「立憲政治下の国民」
として、
言わなければ ならないことを
言いつづけた、
ジャーナリスト・「桐生悠々」
と、ならび、苦のう(悩)の時代を たたかった
れきし(歴史)的政治家、
「斎藤隆夫」
を
ぜひ!
取り上げておきたい、と
うちのチットが
さわいでいるので、とりあげます
(※「ゴルゴ13」の作者とは、無関係)
さいとうたかお(かんじ:斎藤隆夫)は、
山いん(陰)の農家に生まれ、
苦学して 「弁護士」に、
のち アメリカ留学をへて
「立憲民政党」の
ぎいん(議員)に なりました
小さな背丈、病気の後い(遺)症で、よじれた体、
でも
よくとおる声で
はっきりと ものを言い、
「ねずみの殿様」
と
あだ名された、たかお
彼は、
「粛軍演説」と呼ばれる、昭和初期の 国会しつ(質)問で、
いちやく
有名に なりました
軍の政治介入の キケンをとき、
軍を「聖域」とする 風ちょう(潮)に
待った
をかけた
彼の ろんじん(論陣)。
それは、
ただの
「反軍論」ではない
「まともな国民の、まっとうな代弁である」 として、
軍をうならせ、
仲間に 共めい(鳴)され、
世間を かんどうさせ、
「議会史上・不朽の演説」
との
かっさいを あびたのです
そして
その後も たかおは、
巨大化する軍に対し、
いしゅく(萎縮)する
政党仲間を はげまし、
ひくつ(卑屈)になったり、無気力になったら、
国民に わらわれるよ
と
コブすることを
やめませんでした
ですが
そんな たかおも、
太平洋せんそう(戦争)が はじまる前年、
とうとう
軍に
さいごの「抵抗演説」を ぶちかまして、
しゅうぎ(衆議)院から
じょ(除)名されて
しまいます
たかおを追い出した ぎかい(議会)は、
せんそうがはじまって、
じめつ(自滅) しますが、
戦時下、
おおぜいの
「政府・推薦候補」を立てて
行われた
せんきょ(選挙)において、
たかおは、「非推薦で立候補」して、圧しょう(勝) し、
みごと!
ぎいん(議員)に
返り咲きます
「非国民を支持する、非国民め!」と
言われかねない
ご時せい(勢)に、
有けん(権)者が
まもろうとしたのは、
たかおが 守ろうとした、
「あるべき政治のかたち」
でした。
チットによれば
政治家になる前、
たかおは
こんなことを 言ってたそうです。
「国会が、『国民意思の代弁者』 たるためには、
議員自体が
知識と道徳を
兼備しなければならない。
それがない議員で
充たされる国会は
虚偽である!
しかし、
『代議政治』 たる国会政治は、
国民が
政治的意見を持っていることが
必須」
・・・・・・・
これをきき、
クリンは おもいました。
「政党が選べない」とか、「期間が短くて考えられない」
とかいって
今回のせんきょ(選挙)に
行かなかった人。
えらべなかったのは、
ふだんから、考えてないからです