閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

果てのない牧場

2008-02-06 14:33:54 | 日々

羊を数える話のつづき。
長くなるので飽きた人は寝てください。

「ひつじ」にしても「シープ」にしても、数えるときに、
羊は頭の中で横移動するらしい。
その移動方向が「右から左へ」か、「左から右へ」か、
人によってそれぞれ違うらしい、ということを新たに発見。

たとえばAyakaさんの場合(メールありがとうございます)、
真ん中に柵があって、羊は右から左へ跳び越える。
柵の左側に羊がたまっていくんだそうです。
すると左側のスペースがだんだんなくなっていくので、
「数え終わった羊は見えないところで裏から回ってもう一回」
…エンドレスの羊。
なんだかコマーシャルの撮影用セットみたいですね。

これが、わたしの頭だと、なぜか逆。
真ん中に柵があるのは同じなんですが、
羊は「左から右へ」跳び越えて、野原へ出て行っちゃう。

この方向って何だろう。
右脳と左脳、とか、右利きと左利きとか、
何か関係あるんでしょうか。

わたしの場合は、絵本と関係があるのかもしれません。
最近の絵本は、ほとんどが横組みになっています。
表紙の左端が綴じてあって、右側を開く。
中をめくると文字が横書きで左から右へ書いてあります。
文字だけでなく、絵も右向きになっているはずです。

たとえば、
桃太郎が鬼退治に出かける場面を想像してください。
(ぐりとぐらが森へ出かける場面、でもいいですが…)
横書きの絵本なら、桃太郎は左から右へ歩いていく。
その場面の右端をめくった先に犬がいる。
まためくるとサルがいて、キジがいる。
その先、つまり右へ右へと行ったところに鬼が島がある。

面白いのは、鬼退治を終えた一行が帰ってくるとき。
帰ってくるんだから、こんどは左向きかっていうと…
そうはならないんですね。
左を向かせてみると、あきらかに不自然。
帰るんじゃなくて、逆行するという感じになってしまう。
だから帰りもやっぱり右向き。

つまり、絵本の中での方向っていうのは、
相対的・空間的なものではなくて、
主観的・時間的なものなんでしょうね。
右へ右へと「時間が」進んでいく。
いま開いているページの左が過去、右が未来です。
全部つなげて一枚の絵巻物にしてみますと、
左端におじいさんの家があって、右へ進むと鬼が島があって、
そのままずーっと右へ行くと最初のおじいさんの家に帰りつく。
地図だったらこれはありえないですが、
絵本の世界はそういうふうにできています。

えーと…話がそれましたが。

わたしが羊を数えても眠れなかったのは、
羊が左から右に動いていたから、ではないかと思うのです。
わたしの頭では、右に行くこと自体がアクティヴな状況で、
つねに「それで?」「それから?」と無意識に展開を考え、
結末を求めていたから…ではないだろうか。

羊を呼び集めて囲いの中に入れる方式に変えたとたん、
不思議なことに、羊の方向も切り替わりました。
「右から左へ」。正確にいえば「右奥から左手前へ」。
数えた羊は柵の「左手前」にたまっていくようになったのです。

「手前」というのは絵本でいえばページの外です。
手前にいるのは読者である自分自身。
ここは行き止まりに見えて、じつは無限のスペースなので、
羊なんて枕にパンヤを詰めるみたいにいくらでも入る。

おかえり、羊たち。
そして、おやすみなさい。

コメント
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