閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

お盆

2010-08-15 14:33:24 | 日々
わたしの育った家は無宗教だったので、
お盆もお彼岸もよく知らない。
父は長男ではあったけれど、故郷を離れて転勤を重ねていたから、
九州の山奥にあるご先祖の墓地は叔母に任せたままで、
ほとんどお墓参りにも行ったことがなかった。

お盆といえば、思い出すのは「地蔵盆」のほう。
通っていたお寺の幼稚園の、夏休みの行事のひとつだった。
夕方からみんな浴衣を着てあつまり、
園庭の隅のお地蔵様におまいりをしてから、
歌をうたったり、花火をしたりする。

頭上には子どもの数だけ赤い提灯がつるされていて、
ひとつひとつにひらがなで名前が書いてある。
終わるころにはとっぷり暗くなっているから、
ろうそくのともった自分の名前の提灯をもらい、
それで足元を照らしながら帰ってくる。

ゆらゆらする光と影が面白かった。
ころばないように、火を消さないように、
気をつけて歩くのも面白かった。
夜に遊ぶという非日常の珍しさに、
浴衣や提灯という小道具の楽しさも加わって、
そのわくわくした気分をよく覚えている。

赤い提灯に墨で書かれた名前がくっきり浮かび、
その7つの文字をじっと見ていた。
子ども心に、それはとても上手な字に思えた。
上手な字で書いてもらえたことが、ひどくうれしかった。
良い名前だとほめられているような気がして、うれしかった。

ろうそくが燃えつきると、提灯はたたまれて、
押入れの天袋にしまわれ、次の年を待つ。
小学校にあがってしまうと、もう出番はなかったけれど、
自分の名前の提灯はいつまでもそこにあり、
わたしはいまでもそのことを忘れない。



それと前後した記憶に出てくるお菓子がある。
棒のついた丸くて白いおせんべいだ。
ミニチュアのうちわの形になっていて、
朝顔や金魚など夏らしい絵が描いてある。

おせんべいといっても、もなかの皮のような軽いもので、
お砂糖の味がしたような気がする。
色も形もきれいで、おままごと的に可愛らしかった。
食べるのがもったいないと思った。
でも、ちびちびとかじっていたら、すぐなくなってしまった。

記憶では近所の小さなお菓子屋で売っていたのだが、
買ってもらったことは一度しかない。
思い出して、また食べたい、と言うと、
「あれは夏のものだから…」と母はなぜか言葉を濁した。
だけど、夏が何度やってきても、それっきり、
うちわのおせんべいにはめぐり会えなかった。

あれがお盆のお供え菓子だったと知ったのは
ずうっとあとになってからのこと。
関西特有のものなのか、その後東京に引っ越したので
よけいに出会う機会がなくなってしまったのだろう。
そんなものをいつまでもしつこく覚えている子に、
母は困っただろうなと、今になって思う。
コメント
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