わたしの育った家は無宗教だったので、
お盆もお彼岸もよく知らない。
父は長男ではあったけれど、故郷を離れて転勤を重ねていたから、
九州の山奥にあるご先祖の墓地は叔母に任せたままで、
ほとんどお墓参りにも行ったことがなかった。
お盆といえば、思い出すのは「地蔵盆」のほう。
通っていたお寺の幼稚園の、夏休みの行事のひとつだった。
夕方からみんな浴衣を着てあつまり、
園庭の隅のお地蔵様におまいりをしてから、
歌をうたったり、花火をしたりする。
頭上には子どもの数だけ赤い提灯がつるされていて、
ひとつひとつにひらがなで名前が書いてある。
終わるころにはとっぷり暗くなっているから、
ろうそくのともった自分の名前の提灯をもらい、
それで足元を照らしながら帰ってくる。
ゆらゆらする光と影が面白かった。
ころばないように、火を消さないように、
気をつけて歩くのも面白かった。
夜に遊ぶという非日常の珍しさに、
浴衣や提灯という小道具の楽しさも加わって、
そのわくわくした気分をよく覚えている。
赤い提灯に墨で書かれた名前がくっきり浮かび、
その7つの文字をじっと見ていた。
子ども心に、それはとても上手な字に思えた。
上手な字で書いてもらえたことが、ひどくうれしかった。
良い名前だとほめられているような気がして、うれしかった。
ろうそくが燃えつきると、提灯はたたまれて、
押入れの天袋にしまわれ、次の年を待つ。
小学校にあがってしまうと、もう出番はなかったけれど、
自分の名前の提灯はいつまでもそこにあり、
わたしはいまでもそのことを忘れない。
それと前後した記憶に出てくるお菓子がある。
棒のついた丸くて白いおせんべいだ。
ミニチュアのうちわの形になっていて、
朝顔や金魚など夏らしい絵が描いてある。
おせんべいといっても、もなかの皮のような軽いもので、
お砂糖の味がしたような気がする。
色も形もきれいで、おままごと的に可愛らしかった。
食べるのがもったいないと思った。
でも、ちびちびとかじっていたら、すぐなくなってしまった。
記憶では近所の小さなお菓子屋で売っていたのだが、
買ってもらったことは一度しかない。
思い出して、また食べたい、と言うと、
「あれは夏のものだから…」と母はなぜか言葉を濁した。
だけど、夏が何度やってきても、それっきり、
うちわのおせんべいにはめぐり会えなかった。
あれがお盆のお供え菓子だったと知ったのは
ずうっとあとになってからのこと。
関西特有のものなのか、その後東京に引っ越したので
よけいに出会う機会がなくなってしまったのだろう。
そんなものをいつまでもしつこく覚えている子に、
母は困っただろうなと、今になって思う。
お盆もお彼岸もよく知らない。
父は長男ではあったけれど、故郷を離れて転勤を重ねていたから、
九州の山奥にあるご先祖の墓地は叔母に任せたままで、
ほとんどお墓参りにも行ったことがなかった。
お盆といえば、思い出すのは「地蔵盆」のほう。
通っていたお寺の幼稚園の、夏休みの行事のひとつだった。
夕方からみんな浴衣を着てあつまり、
園庭の隅のお地蔵様におまいりをしてから、
歌をうたったり、花火をしたりする。
頭上には子どもの数だけ赤い提灯がつるされていて、
ひとつひとつにひらがなで名前が書いてある。
終わるころにはとっぷり暗くなっているから、
ろうそくのともった自分の名前の提灯をもらい、
それで足元を照らしながら帰ってくる。
ゆらゆらする光と影が面白かった。
ころばないように、火を消さないように、
気をつけて歩くのも面白かった。
夜に遊ぶという非日常の珍しさに、
浴衣や提灯という小道具の楽しさも加わって、
そのわくわくした気分をよく覚えている。
赤い提灯に墨で書かれた名前がくっきり浮かび、
その7つの文字をじっと見ていた。
子ども心に、それはとても上手な字に思えた。
上手な字で書いてもらえたことが、ひどくうれしかった。
良い名前だとほめられているような気がして、うれしかった。
ろうそくが燃えつきると、提灯はたたまれて、
押入れの天袋にしまわれ、次の年を待つ。
小学校にあがってしまうと、もう出番はなかったけれど、
自分の名前の提灯はいつまでもそこにあり、
わたしはいまでもそのことを忘れない。
それと前後した記憶に出てくるお菓子がある。
棒のついた丸くて白いおせんべいだ。
ミニチュアのうちわの形になっていて、
朝顔や金魚など夏らしい絵が描いてある。
おせんべいといっても、もなかの皮のような軽いもので、
お砂糖の味がしたような気がする。
色も形もきれいで、おままごと的に可愛らしかった。
食べるのがもったいないと思った。
でも、ちびちびとかじっていたら、すぐなくなってしまった。
記憶では近所の小さなお菓子屋で売っていたのだが、
買ってもらったことは一度しかない。
思い出して、また食べたい、と言うと、
「あれは夏のものだから…」と母はなぜか言葉を濁した。
だけど、夏が何度やってきても、それっきり、
うちわのおせんべいにはめぐり会えなかった。
あれがお盆のお供え菓子だったと知ったのは
ずうっとあとになってからのこと。
関西特有のものなのか、その後東京に引っ越したので
よけいに出会う機会がなくなってしまったのだろう。
そんなものをいつまでもしつこく覚えている子に、
母は困っただろうなと、今になって思う。