紫陽花は撮りやすいので、無駄にいっぱい撮ってしまう。
特に珍しい品種もないけれど。
年々好きになっていく白い花。
<てまりてまり>
華麗な花ではないけれど、秋遅くまで色の変化が楽しめる。
これは一番古くからある西洋アジサイ。
浦島ウラちゃんの、その後。
翌日も、ほぼ同じ時間帯の夕食どきにあらわれました。
入るのに、だんだん躊躇しなくなっています。
ゴハン2杯食べたあと、少しくつろいでそのへんに座っていたり。
しかし! こちらがちょっと台所に立った十数秒の隙に、
音もなくテーブルに上がり、煮魚の皿を狙う!
まーったく油断も隙もないね。
そのあとも、のびあがって、ときどきテーブルを気にしつつ、
3杯目を平らげて、お水飲んで帰りました。
ひょいと「立つ」のがうまい猫で、びっくりする。
(もちろん前足は椅子にかけているのですが、かなり直立に近い姿勢)
おなかと四肢が白いので、立つとほとんど白い猫に見える。
肉球は黒豆。
しっぽは、くっきり縞、細くてまっすぐ。
テーブルの食べ物を狙うことに、まったくためらいがない。
どうも猫フードよりもそっちが魅力的に見えるらしい。
ここしばらく、ヒトの食卓をおびやかす猫はいなかったので、
これはいささかマズイことであります。
自衛のため食卓用のフードカバーでも買っとくかなあ。
そのあと、夜遅くにふたたび来たけれど、あいにく、このときは
さんちゃんが在宅で、即座に叩き出された模様。
その翌日(というのは、つまり、きょうです)。
お昼過ぎ、西側の窓の外に姿をあらわしました。
軽く「の~び~」をしてから、「さて」という感じで、縁側に。
おお、早くも余裕じゃないか。
ヒトよりも、猫のほうを警戒しているようで、
さんちゃんが留守のときを慎重に選んで来ているようです。
お昼もしっかり3杯食べてったので、
(さわられることにもちょっと慣れた。毛が荒れてぼさぼさだ)
夜はもう来ないかなあと思っていたら、暗くなってから来ました。
しかし、さんちゃんに阻止され、退散。
『にゃんともクラブ』でも書いたように、すでにおとなになったよそ猫というのは、
家畜と、野生動物、それぞれの良いところを持っていて、
(それぞれの悪いところも持っている、かもしれないけどね!)
ちっちゃい子猫から飼うのとはまったく違った面白さがあると思います。
相性もいろいろ、つきあいの深さもいろいろ。
こっちは一介の給餌係で終わるのか、めでたく里親になれるのか、
はたまた、濃密な愛人関係(?)にまで到達できるのか。
「うち猫」と「外猫」をわけてお世話されているお宅もあると思いますが、
わが家では、「外」では絶対ゴハンをあげません。
場所柄、猫だけでなく、蟻やカラスやタヌキやアナグマなどなど
「招かれざる客」たちをどっと集めてしまう恐れがあるからです。
ちゃんと表から入ってきて、ゴハン食べて、うちの子たちとも
うまくやれるかどうかは、一種の採用試験のようなもの。
いま現在も、さんちゃんは猫穴に貼りついて、ときおり低くうなっており、
まっくらな外にライトを向ければ、おめめがふたつ、ぴかりん、と。
この難関をいかにして突破するかが、当面の最重要課題でしょう。
隊長は手ごわいが、ウララの「機を見る」能力もなかなかのもの。
とりあえず、しばらくは、様子見。
本日のタイトルは、懐かしの『風町通信』より。
そのアジサイいろの雨傘を買った日、レイコはうれしくて、
部屋の中をひとり歩き回りながら、傘をひらいたりとじたりしてみた。
風町通信 | |
竹下文子・作 飯野和好・絵 |
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偕成社 1990年 (新装版) |
稲子さん、ありがとう、思い出させてくれて。