金華山焼の中では、大型に属する品です。
口径 11.6㎝、底径 8.9㎝、高 29.8㎝。重 990g。大正時代。
全体に緑交趾釉がムラムラと掛かった尊式花瓶です。
胴中央に、この品について書かれています。
「為 山高水長會 大正癸丑冬〇 寿山手作」
作者は、初代、矢島寿山、大正2年の作です。
山高水長會は、明治末から大正にかけて、岐阜県高山市にあった美術愛好家の集まりです。その会からの依頼でこの品は作られた、とあります。
底は露胎、白い軟陶が用いられています。
内部には透明釉が掛けられ、段継ぎが2箇所、見られます。
器体には、手びねりの指跡が多く残っていて、文字通り、「手作」であることがわかります。
中央には、幅6.5㎝ほどの帯がグルっと回っていて、さらにその上に、貼花&彫りで、山々や舟人物が表されています。
舟中の人物3人は表情が異なるなど、非常に細かい細工がなされています。
帯びの上部、雷紋と蓮弁文に挟まれた部分には
よく見ると、緑釉の間に、紫(少し赤みがかった)釉が点々と散っています。
紫釉は、山々の稜線などにも見られます。
また、その下の胴部は緑釉が薄くなって、紫や赤が小さく点々と散った地肌がのぞいています。
このように、色の使い方にも凝っています。
さて、いよいよ、帯の部分の彫りです。
右から順に・・・
高い山並みが続いています。空には月。
船に乗った三人の人物が景色を眺めています。
この情景を語るのが、彫られた漢詩です。
「( 於是携酒與魚、復遊於赤壁之下。)江流有声、断岸千尺。 山高月小、水落石出。」
(是に於いて酒と魚を携え、復、赤壁の下に遊ぶ。)江流に声あり、断岸千尺。山高く月小にして、水落ち石出ず。
(そこで酒と魚とを携えて、また赤壁の下に遊ぶことになった。)長江は音をたてて流れ、千尺にも及ぶ絶壁が切り立っている。山がそびえ立ち、月は小さく、水は少なくて石が露出している。
これは、北宋の詩人、蘇東坡(1036‐1101)の「後赤壁腑」からの一節ですね。彼は、元豊5年(1082)7月16日(前赤壁)と10月15日(後赤壁)の二度、友人と、流罪地黄州(湖北省黄岡県)の長江に舟を浮かべて赤壁に舟遊びにでかけ、その様子を、韻文の一種である賦にうたいあげました。それが、名文、「前赤壁腑」と「後赤壁腑」(両方合わせて「赤壁腑」)です。
「赤壁腑」は古くから人々に広く愛され、書画や戯曲、小説などの題材となりました。今回の品は、陶磁器の上に「赤壁腑」の世界を展開したものです。皿などの器に「赤壁腑」の詩文や情景を描いた品は散見されますが、浮き彫りにした物は少ないと思います。花瓶の中央に彫られた篆字の詩文と貼花彫刻で表された赤壁や船は、蘇東坡「赤壁腑」の世界、すなわち、大自然の中で見つめる人間の生、を感じさせます。立体的な浮彫は、通常の陶磁器よりも、壮大な詩文を表現するのに向いていると言えるのかもしれません。
以前に紹介した『交趾漢詩文急須』と並べてみました。
どちらも、初代、矢島寿山の作です。色調は少しちがいますが、やはり、中国文人の古い詩文から題をとっています。
文人の世界に遊ぶための準備が少し整ったようです(^.^)