遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

金華山焼6 矢島寿山(初代)『赤壁腑画讃彫緑交趾尊式花瓶』

2025年03月18日 | 故玩館日記

金華山焼の中では、大型に属する品です。

口径 11.6㎝、底径 8.9㎝、高 29.8㎝。重 990g。大正時代。

全体に緑交趾釉がムラムラと掛かった尊式花瓶です。

胴中央に、この品について書かれています。

「為 山高水長會 大正癸丑冬〇 寿山手作」

作者は、初代、矢島寿山、大正2年の作です。

山高水長會は、明治末から大正にかけて、岐阜県高山市にあった美術愛好家の集まりです。その会からの依頼でこの品は作られた、とあります。

底は露胎、白い軟陶が用いられています。

内部には透明釉が掛けられ、段継ぎが2箇所、見られます。

器体には、手びねりの指跡が多く残っていて、文字通り、「手作」であることがわかります。

中央には、幅6.5㎝ほどの帯がグルっと回っていて、さらにその上に、貼花&彫りで、山々や舟人物が表されています。

舟中の人物3人は表情が異なるなど、非常に細かい細工がなされています。

帯びの上部、雷紋と蓮弁文に挟まれた部分には

よく見ると、緑釉の間に、紫(少し赤みがかった)釉が点々と散っています。

紫釉は、山々の稜線などにも見られます。

また、その下の胴部は緑釉が薄くなって、紫や赤が小さく点々と散った地肌がのぞいています。

このように、色の使い方にも凝っています。

さて、いよいよ、帯の部分の彫りです。

右から順に・・・

高い山並みが続いています。空には月。

船に乗った三人の人物が景色を眺めています。

この情景を語るのが、彫られた漢詩です。

「( 於是携酒與魚、復遊於赤壁之下。)江流有声、断岸千尺。 山高月小、水落石出。」

(是に於いて酒と魚を携え、復、赤壁の下に遊ぶ。)江流に声あり、断岸千尺。山高く月小にして、水落ち石出ず。

(そこで酒と魚とを携えて、また赤壁の下に遊ぶことになった。)長江は音をたてて流れ、千尺にも及ぶ絶壁が切り立っている。山がそびえ立ち、月は小さく、水は少なくて石が露出している。

これは、北宋の詩人、蘇東坡(1036‐1101)の「後赤壁腑」からの一節ですね。彼は、元豊5年(1082)7月16日(前赤壁)と10月15日(後赤壁)の二度、友人と、流罪地黄州(湖北省黄岡県)の長江に舟を浮かべて赤壁に舟遊びにでかけ、その様子を、韻文の一種である賦にうたいあげました。それが、名文、「前赤壁腑」と「後赤壁腑」(両方合わせて「赤壁腑」)です。

「赤壁腑」は古くから人々に広く愛され、書画や戯曲、小説などの題材となりました。今回の品は、陶磁器の上に「赤壁腑」の世界を展開したものです。皿などの器に「赤壁腑」の詩文や情景を描いた品は散見されますが、浮き彫りにした物は少ないと思います。花瓶の中央に彫られた篆字の詩文と貼花彫刻で表された赤壁や船は、蘇東坡「赤壁腑」の世界、すなわち、大自然の中で見つめる人間の生、を感じさせます。立体的な浮彫は、通常の陶磁器よりも、壮大な詩文を表現するのに向いていると言えるのかもしれません。

以前に紹介した『交趾漢詩文急須』と並べてみました。

どちらも、初代、矢島寿山の作です。色調は少しちがいますが、やはり、中国文人の古い詩文から題をとっています。

文人の世界に遊ぶための準備が少し整ったようです(^.^)

 

 

 

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金華山焼5 福田旭水『土鈴形菓子器』

2025年03月15日 | 故玩館日記

今回の品は、私には初めて見るタイプの器です。

胴径 16.6㎝、高 14.2㎝。重 770g。大正時代。

上に把手がついた中型の陶器です。

外側は無釉で、底以外は、焼締陶のように茶色くなっています。

これは一体何??

パカっと二つに分かれます。

下側の器にはスリットが入っています。内部はがらんどうで、土玉が入っています。振るとカラカラ鳴ります。

これは、土鈴ですね。

土鈴といえば、これ。

この土鈴は、美江寺土鈴とよばれているもので、かつて、岐阜、美江寺の境内で売られていた品です。

街を興すため、斎藤道三が故玩館の美江寺宿から現在の地に移した乾漆十一面観音立像。岐阜市の始まりを象徴する美江寺観音です。その美江寺の名物になっていたのが、美江寺土鈴です。

正体不明の焼物は、美江寺土鈴を模した金華山焼だったのですね。

下部側面には「金華山」の銘があります。

では、二つに分かれるのは何のため?

もう少し内側を見てみると・・・・

上の蓋も、

下の器も、

綺麗に釉薬が掛かっています。

これは、食べ物を入れる器、おそらく菓子器でしょう。

ならば、お客さんに、さりげなく・・・「どうぞ」

把手の紐をもって器を持ち上げようとすると、

フワッと蓋がとれて・・・

アッと驚く客人!(^.^)

ビックリ、餅(^^;

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金華山焼4 矢島寿山(初代)『漢詩帰園田居彫白泥凉炉』

2025年03月12日 | 故玩館日記

今回の品は、金華山焼の凉炉です。

口径 14.8㎝、底径 13.8㎝、高 31.2㎝。重 2.78㎏。大正時代。

白泥の凉炉です。凉炉は、煎茶用の道具で、炭を入れ、上にボーフラ(湯沸器)をのせて、お湯を沸かすのに用いられます。

炉口は取り外し可能で、火力の調節ができるようになっています。

白泥が燻っていて、前所有者によって使われていた品のようです。

「淵明帰田園居 壽山手作」との彫りがあり、初代、矢島寿山の作であることがわかります。

「淵明帰田園居」は、陶淵明による『帰園田居』の詩ということですね。

早速、彫られた本文をじっくりと眺めました。

篆字でビッシリと漢詩が彫られています。

結構、長文です。

歸園田居(園田の居に帰る) 五首其一

少無適俗韻、性本愛丘山。  
誤落塵網中、一去三十年。  
羈鳥戀舊林、池魚思故淵。  
開荒南野際、守拙歸園田。  
方宅十餘畝、草屋八九間。  
楡柳蔭後簷、桃李羅堂前。  
曖曖遠人村、依依墟里煙。  
狗吠深巷中、鷄鳴桑樹巓。  
戸庭無塵雜、虚室有餘閑。  
久在樊籠裏、復得返自然。  
              
少(わか)きより俗韻に適(かな)うこと無く、性本(もと)丘山を愛す。
誤りて塵網の中に落ち、一たび去ること三十年。
羈鳥(らちょう)舊林を戀(した)い、池魚故淵を思う。
荒を開く南野の際、拙を守りて園田に歸る。
方宅十餘畝、草屋八九間。
楡柳(ゆりゅう)後簷(こうえん)を蔭(おも)い、桃李堂前に羅(つらな)る。
曖曖たり遠人の村、依依たり墟里(きょり)の煙。
狗(いぬ)は吠ゆ深巷の中、鷄は鳴く桑樹の巓(いただき)。
戸庭(こてい)塵雜(じんざつ)無く、虚室(きょしつ)餘閑有り。
久しく樊籠(はんろう)の裏に在れども、復(また)自然に返るを得たり。

少:若い頃から、俗韻:世俗のやり方、性:生まれつき、塵網(じんもう):俗世間の煩しさ=>役人生活、三十年:多年の意、実際は十数年、羈鳥(きちょう):かごの中の鳥、奮林(きゅうりん):元すんでいた林、故淵(こえん):元住んでいた淵、荒:荒れ地、際:辺り、開:開墾する、拙:世渡りが下手なこと、楡柳(ゆりゅう):楡の木や柳の木、後簷(こうえん):家の後ろの軒端、蔭:覆う、桃李:桃やすもも、堂前(どうぜん):前庭、羅: 並べて植える、曖曖(あいあい):遠く霞んで見える様子、遠人村:遠くの村、依依(いい):煙が緩やかにたなびく様子、墟里(きょり):村里、深巷(しんこう):奥まった路地、巓(いただき):てっぺん、戸庭(こてい): 戸口から庭先の辺り、塵雑(じんざつ):世俗的雑事、虚室(きょしつ):何もない部屋、余閑(よかん):ゆとり、樊籠裏(はんろううら);鳥かごの中=>束縛された役人生活

私は若い頃から俗世間とはしっくりいかず、生まれつき丘山を愛していた。ところが誤って役人生活に落ちてしまい、十数年もたってしまった。しかし、籠の中の鳥は古巣の林を恋しく思い、池で飼われた魚は元の淵にあこがれるものだ。そんなわけで、南の野に荒地を開こうと、世渡り下手の自分を大事にして、田園に戻ってきた。四角い宅地は十餘畝、草ぶきの粗末な家だが部屋数は8,9ある。楡と柳が軒端に陰を落とし、桃とスモモは家の前につらなっている。村落が遠く霞んで見え、村里に煙がたなびいている。路地の奥では犬がほえ、桑の木のてっぺんで鶏が鳴いている。庭先辺りは塵ひとつなく、部屋はがらんとしていて十分なゆとりがある。長い間、役人として束縛された生活をおくっていたが、こうやってまた自然に帰ることができた。

若い頃、書と篆刻を習得した矢島寿山にとって、今回の品物は会心作といってよいかも知れません。しかも、陶淵明の詩『歸園田居』は、金華山麓で清貧の暮らしに甘んじながら、作陶を続けていた自分の生き方にピッタリのものであったでしょう。

陶淵明(365―427)は、中国六朝時代、東晋の詩人です。下級貴族の出身で、生活のために何度か官職につきましたが、役所仕事が肌に合わず、官を辞し、故郷へ戻りました。そして、清貧に甘んじながら、自然と酒を愛して田園生活を送り、すぐれた詩を残しました。官を辞して帰郷する時に詠んだ『帰去来辞』に続いて、田園で隠遁生活をする決意と喜びを詠ったのが『帰園田居』五首です。今回の詩は、五首の中の最初の一首です。

こうやって陶淵明『歸園田居』を読んでみると、使われている漢字は難しいですが、書かれている内容は驚くほど平明で素直なことに気づかされました。
これまで、陶淵明は、教科書でしか学ばない遠い人だとばかり思っていました。しかし、1600年前、彼が抱いた思いは、現代の私たちにも十分に通じるものだったのですね。

   (^.^)隣りの淵明さん(^~^)

煎茶に凝っていたのはずいぶん前のこと、道具類は、あちこちへしまい込んでしまい、すぐには出てきません。ボツボツ探し出して、『歸園田居』の詩をツブヤキながら、お茶をすすってみたいと思います。

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3月の伊吹山

2025年03月10日 | 故玩館日記

今日は久しぶりに快晴で、山々が良く見えます。

真西方向を向くと、おなじみの伊吹山、岐阜・滋賀県境に位置します。

実は近年、伊吹山には鹿が増え、草を食べてしまいます。伊吹山は全山石灰岩の塊で、さらに、地理的条件の為、それほどの高山でないにもかかわらず、樹木が茂りません。そのため、剥き出しになった地肌が、雨で侵食されて、故玩館から見ても、山肌が酷くなり、崖崩れなどが頻発しているのがわかります。

しかし、雪の季節は、醜い地肌が白いベールで覆われて、美しい姿をあらわします。さすがに、積雪量の日本記録(11m)がある山です。

今年は雪が多いので、もうしばらくこの姿を楽しめそうです。

伊吹山の手前に横たわっているのは池田山。

故玩館から北へ1㎞も行くと、相対的な位置が変わって、伊吹山はこの山の陰になって、見えなくなります。

緑の池田山の上にスッと立つ伊吹山を、この角度から見るのが私は一番好きです。

池田山の山頂付近に見える四角い所は、ハンググライダーが飛び立つ場所です。飛台に立って下を見ると、ゾッとするほどの高さ(700m)です。私なら、足がすくんで、とても飛べません(^^;

もう少し右(北)を見ると、能郷白山があります。麓の能郷地区には、その名の通り、古い形式の能楽が伝承されています。

視線を元に戻して、

少し左(南)を向くと、遥か向こうに、霊山の山並み(滋賀県)が見えます。

もう少し左(南)に視線をふると、

養老山脈がずーーーーっと三重県まで続いています。

濃尾平野の北方、東方はむろん険しい山続きですが、西方も600-700mくらいの山々が屏風のように立ちはだかって、東西の往来を難しくしているのですね。

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金華山焼3 矢島寿山(初代)『交趾漢詩文急須』

2025年03月08日 | 故玩館日記

今回の品は、初代、矢島寿山による金華山焼です。

最大幅 10.5㎝、奥行 8.3㎝、胴部径 7.2㎝、口径 6.4㎝、底径 5.7㎝。重 122g。大正時代。

初代、矢島寿山(弘化3年ー大正11年)は、書、漢学、篆刻を修めた後、京都で楽焼を研究しました。そして、大正元年、岐阜公園内に窯を築き、寿山焼を興しました。大正5年、2代目に号をゆずるまで、楽焼風の茶碗や花瓶などを製作しました。作品のほとんどには、漢詩が彫られています。

やや小ぶりの煎茶用急須です。

「寿山手作」と彫られていて、初代の作であることがわかります。

軟陶の楽焼で、全面に緑釉が掛かっています。

胴には、大きく漢詩が彫られています。

「水鮮可食起能無時惟適所安」

何のことか、サッパリわかりません。

調べてみると、どうやらこれは、唐の文人、韓愈(大暦3年(768年)‐長慶4年(824年)の『送李愿歸盤谷序』(李愿の盤谷に帰るを送る)からの一節であることがわかりました。盤谷に隠棲する友人、李愿が帰るにあたって、韓愈が送った詩です。

・・・窮居面野処、一升高而望遠。坐茂樹以終日、 濯清泉以自潔。採於山、美可茹。釣於水、鮮可食。起居(能)無時、惟適之(所)安。・・・・・    なお、()内の、「能」、「所」は、原典「居」、「之」と異なります。これは誤り?それとも、寿山が変更?

・・・困窮して野にあっても、高所に上って遠くを望む。茂った木々の間に一日中座り、清らかな泉で身を濯ぎて自らを潔くする。山で採った山菜は、美味なら茹でて食べる。川で釣った魚は、新鮮なうちに食べる。起きるに決まった時はなく、ただ自分に適する場所に安んじる。・・・・・

俗世間から逃れた文人の日常を描写しています。

 

このような詩を読みながら、茶を味わう・・・・これはもう、気分は文人ですね(^.^)

というわけで、この急須は、私のお気に入りで、かなり使いました。

しかし、ある時、粗相をして、蓋を割ってしまいました。

あわてて金継ぎをしたので、出来栄えがイマイチ(^^;

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