遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

20年ぶりの根尾川~薄墨桜と鮎にふられ、ランチ~

2019年08月11日 | 故玩館日記

鮎釣りをやめてから、20年以上になります。

それまで足繁く通った川の一つ、根尾川を久しぶりに訪れてみました。

根尾川は、揖斐川の大支流です。揖斐川はダムが多く、水が潤んでしまっています。それに比べ、根尾川はダムの影響が比較的少なく、良い水質を保っています。いきおい、そこで育つ鮎の味も一級、全国から多くの釣り師が押し寄せました。

鮎釣りと骨董市は似ています。他の人より少しでも早く行かないと・・・・心がはやるのです(笑)。今は両方とも御無沙汰ですから、心はいたって平静、小旅行気分で家族にかつての武勇伝など聞かせつつ、上流部へ。

根尾川と並行して、第三セクター、樽見鉄道が走っているので便利です。

今回は、もちろん釣りは無し。家族サービスです。濃尾大震災と薄墨桜を目指します。

薄墨桜の2㎞ほど南(下流部)に濃尾震災の震源地があります。

 

観測史上最大の地震、濃尾震災の跡

尾震災は、明治24年(1891)10月28日、岐阜県本巣郡根尾村水鳥を震源に起こった巨大地震です。マグニチュード8の直下型地震で、観測史上最大の地震といわれています。

 

根尾谷断層帯(長さ80㎞)がずれ、地震が起こりました。この場所に、その時の跡がはっきりと残っています。画面の上部、左側奥へ、地震による段差が続いています。畑と右側の道路などが断層のずれを表しています。段差6m、横ずれ最大8mもあるそうです。阪神淡路大震災時の野島断層のずれが、縦、0.5-1.2m、横1-2mだったことを考えると、濃尾震災がとてつもなく大きな地震であったことがわかります。

 

 

かなりの段差です。これだけ大地が動けば、恐ろしいことになる。

 

故玩館蔵の鶏卵写真です。尾張清洲(織田信長の清洲城があった地)の被害も相当なものです。直下型地震ではあったのですが、地震波は濃尾平野を北から南へ走り、遠く離れた名古屋なども大きな被害を受けたのです。濃尾平野は巨大な扇状地なのですね。地盤が非常に柔らかいのです。濃尾地震の特徴は、家屋の全壊率が非常に高いことです。故玩館の辺り、全壊率100%、震源の根尾水鳥地区と同じです。

 

隣には、断層をまたいで、地震断層監察官・体験館があります。

 

そのすぐ下流部には、巨大な岩が河原に。これは、右側の山が川に崩れ落ちたものなのです。

 

まるで山のように大きな岩。地震のエネルギー、莫大なものです。

昔は、よく大雪が降りました。2月のアマゴの解禁日、ここまでたどり着くのに、必死だったのを思い出しました。

 

薄墨桜

薄墨桜、真夏に行っても、誰もいません。

 

樹齢1500年以上、幹周り9.9mの迫力はさすがです。

 

4月の初めなら、こんな景色が。

もちろん、シーズンには混雑するのですが、かつてのようなブームはありません。今から40年ほど前でしょうか。宇野千代の短文で人気に火が付き、昼間はここまでたどり着くのが難しいほど多くの人が、全国から訪れました。ここから何十㎞も南の故玩館の辺りでも、関東、関西ナンバーの人から、薄墨桜への道を聞かれたことが何度かありました。

 

薄墨桜下の根尾川です。三日にあげず、鮎釣りに通っていた場所です。先ほどの薄墨桜へは赤い橋を渡って、山道を200mほど。

肝心の川です。釣り人がいません。目をこらすと、左岸にポツンと一人が竿を握っています。なんということでしょう。ここは、釣り人銀座のはず。釣り人たちがズラッと両岸から竿を出すのが当たり前の場所なのです。水も石も悪くない、でも釣れてないんですね・・・何故でしょうか。

 

意気消沈してランチ

釣りをするつもりで来たのではないのですが、根尾川がこの有様では意気が上がりません。お腹もすいてきたので、お昼を・・・この辺りには、ほとんど店がありません。先ほどの、赤い橋を渡った所にあるお店(野原屋さん)へ。仕出し、民宿、食堂、なんでもありです。オトリ鮎もあります。

 

ランチを注文しました。一番リーゾナブル(^_^;)

まずは、サラダとスープ。

 

鯖、ナス、カボチャの南蛮揚げ、カレーソースかけ。

 

デザートとコーヒーがついて・・・・ワンコインでした。

うーん、リーゾナブル。飲まず食わずで鮎と格闘していた時とはエライ違いです。

と言うわけで、今回は、すっかりマダムブログになってしまいました(笑)

 

 

コメント (6)
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