遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料14 江戸の小謡集(3)観世當流大宝小謡諸祝言

2020年10月17日 | 能楽ー資料

今回は、『観世當流大宝小謡諸祝言』です。

 

    『観世當流大宝小謡諸祝言』

安永六(1777)年元版、文化九(1812)年再板、菊屋七兵衛、30丁。

 

所有者の表記は、弘化五(1848)年。

 

まず見開きに、七福神たちの三番叟が描かれています。客席では、布袋を中心にして、多くの童子たちが戯れています。中国の故事にちなんだ絵なのでしょうか。

注目されるのは、右下の署名。下河邊水子画とあります。

下河邊水子は、江戸時代、京都の浮世絵師で、滑稽本、往来物など多くの版本の挿絵を描いた画家です。今回の品もその一つです。

小謡集は一般向けの本ですから、絵を多用した物もありますが、絵師の名が入ることは稀です。

 

他の小謡本とことなり、季節ごとに曲を並べてはいません。全部で百十余曲ですが、祝言の曲以外の曲も入っています。

他の小謡い本と同様、玉取、二千石松、伏見など、現行曲にはない曲がみられます。

 

目次の下に、謡いの会の様子が描かれています。

町人たちでしょうか、小鼓も入って楽しそうに、謡い、舞い、打っています。

 

盃のやり取りの場面が描かれています。やはり、一定の形式があるようです。

 

他の謡本と同様、上欄が設けられていますが、教養的なものは一切ありません。すべて謡曲とそれに関連した絵です。

  

           養老

 

        鉢の木

 

         二千石松

 

         葦刈

 

         田村

 

         鵜飼

 

この本の特徴は、本文の小謡よりも、むしろ上欄にウエイトがおかれていることです。しかも、プチ教養ではなく、謡いそのものです。本文の謡いは、せいぜい数分程度、短くて、調子良く、うたいやすいものを集めているのに対して、上欄では、本格的な謡曲を載せています。

その例として、『頼政』の最後、キリ。

宇治川を渡って、敵が攻めてきたところ。

 

 

これまで、と観念し、平等院の松の下で鎧兜を脱ぎ、扇を広げ、切腹する頼政。

 

これだけの謡曲、かなり長いです。私が小鼓を打った『頼政』ですが、14分ほどかかりました。

 

もう一つ注目されるのは、『鉢木』です。

『鉢木』章句の変更です。江戸時代から現代まで、能、謡曲の内容に関する出来事のうちでも、特筆されるものです。

謡われているのは、厳寒の雪の中、旅僧に身をやつした北条時頼をあばら家に迎え入れた佐野常世が、暖をとるべく、大切に育ててきた梅、松、桜を切って、燃やす場面です。

松ハもとより烟(けむり)にて。薪となるもことわりや切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや」

世阿弥作といわれる『鉢の木』の章句は元々はこのようであったのですが、江戸中期頃(元禄という説が多い)、徳川の松平家を燃やして煙にするとは何たること、というわけで、次のように変えられました。

松ハもとより常盤にて。薪となるもことわりや切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや」

つじつまの合わない文になりましたが、このまま、明治後もずっと続き、元の形に戻ったのは、実質的に戦後なのです。

『鉢の木』の章句変更については、他の謡本なども比較検討して、あらためてブログで書きたいと思います。

いずれにしても、この本から、安永六(1777)年には、小謡集のような一般向け謡本にも変更がなされていることがわかります。

 

この小謡集は、最初見た時、謡いばかりで、面白みのない本だなあというのが実感でした。

でも、よく見ると、①絵師による挿絵を数多く載せ、②本格的な謡いを掲載するなど、小謡本のなかでも、特徴のある品であることがわかりました。

特に、掲載された多くの絵は貴重です。絵によって、なかなかうかがい知れない、少し晴れがましい庶民の日常の様子が読み取れます。

また、江戸時代、多くの浮世絵が出された歌舞伎に対して、能の絵は絵師への注文による一品物でした。能、謡いの演目に対応した版絵は非常に少ないのです。今回の挿絵は、その意味で貴重なものです。

なお、能、謡曲の絵として独立して出版された物は、橘守國『謡曲画誌』が唯一のものです。この本と原画については、後のブログで書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今年も2色の酔芙蓉

2020年10月15日 | 故玩館日記

日中はまだ汗ばむ陽気ですが、朝はめっきり冷え込むようになりました。

今朝は早起き、6時前です。

目的は、故玩館向い、中山道脇の酔芙蓉です。

 

もうそろそろのはず・・・と目を凝らすと・・・

 

ありました、朝から濃ピンクに酔っぱらった酔芙蓉の花。

実はこれ、昨日咲いた酔芙蓉です。

 

白は、今朝咲いたばかりの酔芙蓉。

午後には、鮮やかな濃ピンクになりますが、花の命は一日限りです。

 

ところが、気温が下がってくると、昨日咲いた花が、萎まずに、翌日まで元気な姿を保つのです。

同じように、今の季節、朝顔も、一種類で、青と赤の両方の花を一度に楽しめるのですが、今年は例の件アシナガバチ事件で撤去して、朝顔はありません。残念(^^;

 

お見事。見事に生き延びた昨日の酔芙蓉。

 

でも、数時間後には本来の姿になってしまいます(^^;

赤白の饗宴をみられるのは、早朝に限られるのです。

 

昨年は、朝顔、酔芙蓉で、理科遊びやアート遊びを楽しみました。

今年はというと、ハチムカデのダブルパンチをを受け、酔芙蓉でアートする心のゆとりがありません。

かわりに・・・

赤白の酔芙蓉と黒の故玩館をショットにおさめました(^.^)

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能楽資料13 江戸の小謡集(2)『下掛諷酒宴小諷大成』

2020年10月13日 | 能楽ー資料

 先回に続いて、江戸時代の小謡集、『下掛諷酒宴小諷大成』です。


       『下懸酒宴小諷大成』

宝暦九(1759)年、谷口七左衛門、(再版)寛政七(1795)年、書林 此村欽英堂、31丁

 


能舞台で演じられる三番叟と観客。町人が多い。女性も。

 


曲は、春夏秋冬の順に並んでいます。全部で百番です。

鼓瀧、松竹、横山など、先回の『拾遺小諷小舞揃』同様、現行曲にないものが見られます。また、五節句の謡いとして、正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日という謡が入っています。これらも、現行曲にはありません。

タイトルが、『下懸酒宴小諷大成』となっていますが、酒宴向きの曲は、30番ほどです。

 

目次の上の図が面白い。

この図のタイトルは、「謡有十徳」です。謡いには、10の徳があるというのです。

これは、現在でも、「謡曲十徳」とか「謡曲十五徳」といわれるもので、能(謡曲)を習うと、10(15)の良いことがあるとされています。江戸時代から現代まで、流派や時代によって少しずつ異なりますが、謡曲によって多くの徳が得られると言われてきました。

江戸後期の『謡曲十五徳幷注解』(文政六癸羊歳仲春 弘章
堂)にはに、十五徳が次のように説明されています。
①不行而知名所 行かずして名所を知る
②在旅得知音  旅に在つて知音を得る
③不習而識歌道 習はずして歌道を識る
④不詠而望花月 詠ぜずして花月に望む
⑤無友而慰閑居 友無うして閑居を慰む
⑥無薬而散欝気 薬無うして欝気を散ず
⑦不思而昇座上 思はずして座上に昇る
⑧不望而交高位 望まずして高位に交はる
⑨不老而知古事 老いずして古事を知る
⑩不戀而懐美人 戀ひずして美人を懐ふ
⑪不馴而近武藝 馴れずして武藝に近づく
⑫不軍而識戦場 軍ならずして戦場を識る
⑬不祈而得神徳 祈らずして神徳を得る
⑭不觸而知佛道 觸れずして佛道を知る
⑮不厳而嗜形美 厳ならずして形美を嗜む

 


この本、『下懸酒宴小諷大成』ではどうなっているのでしょうか。

位なうして高位にまじハる <・・・・・>⑧
賤して貴人とあそぶ   <・・・・・>⑧?
ならわずして文字を知る <・・・・・>?
行ずして名所をしる   <・・・・・>①
学ばずして歌道をしる  <・・・・・>③
願わずして仏道にいたる <・・・・・>⑭
祈らすして神意にかなふ <・・・・・>⑬

伽なくして閑居をなぐさむ <・・・・>⑤
ぐち(愚智)にしてさとりを得る <・・・>?   
療治なうして病を治す    <・・・>⑥

 

右側に、「謡曲十五徳」のどれに相当するか、番号で示しました。
両者には、微妙な違いがあります。

この本の十徳の中で、「ならわずして文字を知る」は、一般向け啓蒙書である小謡集ならではの項目かもしれません。

 

 

 

本文上欄には、式三番、能面の図、小道具図、小舞の謡、語問對、諷章句、大小鼓打様とあり、これらが、上欄に、以降、掛かれています。先回のブログで紹介した『拾遺小諷小舞揃』と同様、狂言小舞の謡いが載っています。

 


烏帽子と冠。

 


能の作り物。

 


「語(かたり)の部」もり久(盛久)です。謡本の音曲ではない部分が語りです。もちろん、謡いでも習うのですが、メロディでなく話し言葉なので、普通、あまり一生懸命になりません。実は、語りの部分は含蓄が深く、それだけに本当は難しいで所です。こういう、小謡本に語りが載っているのは珍しい。他に、七騎落、鉢木などの語りも載っています。

 


狂言の小道具。

 


狂言面の図。

 


謡い本の記号、章句のかな止めの説明。

 


小鼓打様頭付と狂言面。

 


最後は、やはり、プチ知識です。

篇と冠のいろいろ。

 


イロハ、12月の異名。

 


十干十二支。

 

先回と同様、この小謡本でも、謡いを楽しみながら、教養が身につくように工夫がなされています。また、狂言についても、かなり頁がさかれています。当時の人々は、能と狂言、どちらも楽しんでいたのでしょう。

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能楽資料12 江戸の小謡集(1)『拾遺小諷小舞揃』 

2020年10月11日 | 能楽ー資料

ここしばらく、江戸から近年にまでに出版された種々の謡本をブログで取り上げてきました。それらは、能一番の詞や謡いをすべて書きとめたテキストに、謡い方の記号を付けた物です。一曲全体ではかなりの長さになります。

これらを集めた番綴り本は、かなりのボリュームになります。

そこで、一曲全体ではなく、それぞれの謡曲の中で、誰もが口ずさみやすく、人気のある部分だけを取り出し、集めて一冊にした謡本が多く出版されるようになりました。

それが、小謡集(小謡本)です。

一つ一つの謡いが短いですから、普通の本の中に、百番ほどの謡いが入ります。そして、人々の興味を引くよう、謡いの絵図や解説も載せるなどの工夫がなされています。さらに、謡いとは直接関係のない事柄、例えば礼法について欄外で詳しく述べて、教養が高められるようになっています。

小謡本は親しみやすいので、人々の間に広く行き渡りました。また、寺子屋の教科書としても使われました。

ブログでは、しばらく、江戸時代の小謡集を紹介していきます。

手元にある江戸時代の小謡集、9冊です。このうち一冊は、小笠原流礼法の本ですが、半分以上を小謡いが占めているので、小謡集の中に入れました。

 

今回は、9冊の中で一番古い、『拾遺小諷小舞揃』です。

『拾遺小諷小舞揃』松村清助、津がや九兵衛、元文2(1737)年、32丁。

 

見開き。武士と町人が一緒に謡いの会を催しています。囃子が入ってかなり本格的です。

 

能の小道具、能面と小謡の目次。

 

小謡は81番、小舞は14番載っています。

小謡が能の謡いであるのに対して、小舞は、狂言の謡いです。

小舞が載っている謡本は珍しいです。

 

小謡81番は、春夏秋冬の季節ごとに並んでいます。

諏訪、鼓瀧、さけ、みさほ、神崎、電、かいつかなどは、現行250曲にはなく、江戸から明治にかけて、廃曲になった能だと思われます。かなりの能が上演されなくなったのです。いまでは、復曲されない限り、これらの能に接することはできません。

 

この本では、小舞14番が先に載っています。

小舞も、謡と同じような記号であらわされています。

 

小舞が終わると、小謡です。

高砂から始まります。それぞれの曲について、1から3カ所、数行分の謡が載っています。長いものでも、一つ、数分でうたい終ります。

 

 

『拾遺小諷小舞揃』の最大の特徴は、上欄に、小笠原流の礼法がかなり詳しく載っていることです。

礼法の中でも、特に、食事に関する作法、「給仕配膳仕様」が詳しく書かれています。

 

めしのつぎよう。

 

配膳の仕方の図。

 

飯の喰様の部です。

配られた物の食べ方が、事細かに書かれています。

 

吸い物のすい様。

 

瓜のむき様。

大きさや季節によって、むき方が異なります。

 

饅頭の喰い様を少し詳しく見てみます。

一。 饅頭くひやうの事 
まんぢうは椀に三つ入、ふたを
して出べし。汁を引くとき、ふたに
したるわんをとりて汁をうけ、
右にてはしをとり、左にてまん
ぢうをとり、はし持ながら左右
の手にてわるべし。わりやうハ
こしきつきの方を上にてわる
べし。半分ほどわりかけ。また
おし合/\ニ三度もしめわりに
したるがよきなり。さなければ
あんこぼるゝゆへなり。右の半分を
わんにをき。左のかたをくひしまひ
て、また半分をくふべし。右にはしを
持ながら汁をすふ。実をくふこと
有べからず。若者ハ汁をすハざる
がよきなり。但時宣(じぎ)によりて。一ど
などハすひしてもくるしかるまし。
としよりたる人もニ三度までも
くるしからず。さりながらミハくふ
べからす。さいハ中にあるをくふて
其さらを左の折敷のわきへ直
すべし。後より出。すへかゆべし。
此時ハ左右を左の方へおくべし。

頭:中国から渡来した食べ物。本来は、さい(菜)と一緒にたべるが、日本では、その後、小豆餡の饅頭もつくられるようになった。

こしきつき:饅頭を蒸す時の下側部。

さい:饅頭に添えられる酢菜。

麦:うどんやそうめん類。熱麦(あつむぎ)、温麦(ぬるむぎ)、冷麦(ひやむぎ)がある。

当時の饅頭は、汁をかけて蓋のある椀に入れ、出されたのですね。

箸をもちながら蓋をとり、その蓋に汁をあけ、饅頭を両手で押しわり、半分ずつ食べます。汁は若者は飲まない。老人は2,3度までなら飲んでもいい。酢菜は、皿にのっている物を食べ、食べたら左膳の横へ置く。空いた所へは、次に麺類が出てくる・・・・

私は、小笠原流礼法の本を何冊か持っていますが、専門の礼法書にも、饅頭の食べ方についてこれだけ詳細に書いてありません。配膳や瓜の皮の剥き方なども同じです。小謡本の欄外に、なぜこれほど細かく書かれているのか、不思議です。

 

続いて、プチ知識のいろいろ。

当時、謡いに相当する漢字が、流派によって異なっていたことがわかります。

同様に、くせまい(曲舞、略してクセ)の書き方もいろいろです。

宝生流が、保昌座となっているのも面白い。

この時、すでに喜多流は存在していたはずですが、一般にはまだ認知度が低かったのでしょうか。ここには、観世座、金剛座、保昌座、金春座の四座のみ書かれています。

 

最後に、「萬字盡」として、樹木、鳥、魚、獣の色々が漢字で書かれています。

 

       魚盡。      樹木盡。

 

       獣盡。       魚盡。        

「カタカナイロハ」も小さくのっています。

カタカナは特別に学ぶものだったのですね。

 

このように、『拾遺小諷小舞揃』は、小謡に留まらず、色々な情報を満載して、江戸の人々が教養を身につけられるよう工夫されていたのです。

 

 

 

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能楽資料11 現代の番綴り本(2) 丸岡桂『参考謠本』の衝撃

2020年10月09日 | 能楽ー資料

先に、現行の観世流謡曲大成版の百番集と續百番集を紹介しました。

同じような大綴り本が、それより以前に、2種類、発行されていました。

 

上側:『縮刷 解説参考謠本(天)、(地)』大正八年、観世流改訂本刊行會

下側:『縮刷 参考謠本(人)、(地)』昭和五年、観世流改訂本刊行會

それぞれ、天と地、人と地の2冊ずつです。

これらは、当時、観世流改訂本刊行會から発行されていた改訂謡本を、そのまま縮小印刷し、綴じた物です。

大きさは、16x24㎝ですが、一冊の厚さが3.5-4㎝もあります。

 

まず、大正八年発行の『解説参考謠本』です。

 

いろは順に曲が並んでいます。

 

人気曲『羽衣』を見てみます。

最初の1頁で、曲について簡単に説明しています。

 

謡曲部がはじまります。以前に紹介した、明治、大正の一番綴り本よりも、音符などに相当する記号が増えています。

何よりも特徴的なのは、謡曲文句の右側に、X一、X二、X三、X四、X五・・・と番号がふられ、それぞれの部分について、謡い方の要領が上欄に書かれていることです。

謡曲が音符(記号)通りに謡えることは、謡いをうたう第一歩にすぎません。

謡曲は、それぞれの能の特徴を基に、各段、各部について、強弱、抑揚、テンポ、声の綾、さらには心持ちなど、多くの要素を理解し、声に反映させねばなりません。

大変難しく、奥深いですが、それがまた、謡曲を謡いこんでいく醍醐味でもあります。

しかし、師匠が手本として示す謡いからそれらを感じとり、自分のものにするのは、プロならまだしも、素人には荷が重すぎます。でも、『解説参考謠本』が手元にあれば、謡いの勘所を容易につかめるのです。

 

 

次に、上の『参考解説謠本』から十数年後に発行された『縮刷 参考謠本(人)、(地)』(昭和五年、観世流改訂本刊行會発行)です。

 

同じく、『羽衣』を見てみます。

解題と舞台の展開についての説明。

 

小書き(特殊演出)についての説明。

 

装束、小道具、作り物と全体の謡い方。

 

地拍子の詳細(能の場合の拍子謡い、素謡いでは拍子を考慮せず謡う)

このように、以前の『解説参考謠本』にくらべて、解説部が格段に増加しています。

謡いの部分に入ります。

謡曲文句の右側に、X一、X二、X三、X四、X五・・・と番号がふられ、それぞれについて、謡い方の要領が上欄に書かれていることは、以前の大正15年発行本と同じです。しかし、その数が大きく増え、謡い方が非常に詳細に説明されています。

 

比較のため、現行の『観世流大成版謡本』の中から、『羽衣』を見てみます。

作者、資材、構想。

 

曲趣と節譜解説。

 

舞台鑑賞。

 

辭解(難解字句の解説)。

 

右頁:作り物、小道具、衣装などの説明。

左頁:謡曲部。

 

このように二つを比較をして見ると、両者のコンセプトは非常によく似ています。

現行の『大成版謡本(観世宗家)』は、観世流改訂本刊行會の『参考謠本』を強く意識して編纂されていると考えてよいでしょう。

しかし、『大成謡本』では、『参考謠本』の謡い部上欄の解説に相当するものは全くありません。この点、昭和初期に発行された『参考謠本』の方が、現行の謡本よりはるかに優れていると言わざるをえません。

 

『参考謠本』の『羽衣』をもう少し詳しく見ます。

ほとんどの能は、まず、ワキの謡いや詞から始まります。出だしは非常に重要です。なぜなら、ワキの出方で、演目全体が暗示され、以後の舞台展開を規定していくからです。

 

『羽衣』では、まず、ワキの漁夫白龍とワキツレが謡いだします。

「風早乃。美保の浦曲(ウラワ)を漕ぐ船乃。裏人騒ぐ。波路かな」

最初の注意書きX一は次のようです。

ワキハ漁夫ノ身ナレバ、格別取ルニ及バザレド、一曲總体ニ気品ノ大切ナルヲ思ヒ、殊更賎シゲニ扱フコトナク、而モシテノ天女トハ、上界下界両端ノ対称ヲ明カナラシムルヤウ、通ジテ素朴ニ率直ニ、且ツツヨ/\トアルベシ・・・

これを読むと、ワキとしての謡い方の大よそがわかります。

 

位とは、能のすべてを規定する概念です。謡や囃子、舞いはもとより、演じ方などを、重さで表します。「位が重い」場合、重厚にしっかりと演じられ、「位が軽い」ときは、軽快に演じられます。謡いならば、「位が重い」場合、緊張感を保ちながら重々しくゆっくりとうたいます。

 

また、「風早乃。美保の浦曲(ウラワ)を漕ぐ船乃。裏人騒ぐ。波路かな」の最後の最後の部分は、謡本では「・・・波路かな 打上 X四」となって、打上の横に、X四の注があります。

 

X四には次のように書かれています。

一セイノ段落ヲ附クル大小鼓ノ手ノ名称、素謡ニハ直接関係ナキモ、コ>ニハ一息ヲキテ、別ニ次ナルサシニ移ルベシ

「・・・波路かな 打上 X四」の打上げとは、能舞台において、ワキ、ワキツレの一セイの謡いに合わせて大鼓、小鼓が演奏する際、最初の一小節の終わりに鼓のが打つ手組です。簡単な締めに相当します。通常の謡いでは、鼓などの囃子は入りませんから、好きなように謡えます。しかし本来の謡いでは、ここに小休止が入り一息つくような感じでうたう必要があるのです。

このような注や説明が、『羽衣』一曲で、103箇所もあります。

これにしたがって、謡い方の要領を会得すれば、謡いは格段に上達します。

『縮刷 参考謠本』は、今でも、古書として安価に入手できます。

謡いをされる人は、ぜひ手元に置いていただきたいと思います。

 

さて、現行の観世流大成版謡本は、十四世観世宗家左近元滋が、それまで様々であった観世流謡いの統一という大事業を、有力能楽師や能楽研究家たちを結集して出来上がった謡本です。刊行が始まったのは昭和15年頃と言われていますが、戦争、戦後の混乱期にあたっており、実際に広く普及したのは昭和30年代です。その際、明治、大正、昭和にわたって謡本の改訂に取り組んだ、丸岡桂の観世流改訂本刊行會が念頭にあったのは確かだと思います。

出来上がった大成版謡本は完成度の高いものです。しかし、どういうわけか、謡い方に関する詳細な説明はありません。『参考謠本』の一番重要な所が抜けているのです。

うがった見方をすれば、その分、能楽師の先生方に、謡いを教える余地を多く残したのかも知れません(^^;

 

このように見てくると、明治41(1908)年、観世流の謡本を改革しようと、観世流改訂本刊行會(能楽書林)を設立し、他に先駆けて改訂謡本を出し、さらに、解説参考謠本、参考謠本を発行(明治11年ー大正8年)した丸岡桂の業績は非常に大きいと言えます。

 

あまり知られていませんが、丸岡桂は、発明家でもありました。

明治35、6年、ライト兄弟が初のフライトを行った同じ頃に、足踏式の螺旋翼機を製作しました。この人力ヘリコプターは、実際には飛ばなかったそうです。が、彼の発明した螺旋翼機は、記録に残る日本初の航空機なのです。

そして、空中飛行を試みたその数年後に、観世流改訂本刊行會を興したのです。

空への夢は実現しませんでしたが、その後彼が取り組んだ謡本の改訂は、江戸以来の謡本を大きく変えました。現在、私たちが謡っている近代謡曲のルーツは、明治から大正にかけて、丸岡桂が行った謡本改革にあるのです。

 

単純な尺度では測りしれないマルチ人間、丸岡桂。

明治の人は偉大ですね(^.^)

 

 

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