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時悠人chosan流処世術

★主治医の独立

2007-09-15 10:09:09 | 日記・エッセイ・コラム

 耐糖検査と合併症予防のため、定期的に病院通いを始めてやがて6年。昨日、診察が終わったあと、主治医から「病院を辞めて、11月にクリニックを開業する」と告げられた。

 「おめでとうございます」とは言ったが、内心、複雑な思いだった。6年前、旅先で脳炎に倒れ、意識不明のままICUで5日間集中治療後、一般病棟で約1ヶ月間入院。九死に一生を得て、国際線を車椅子で搬送され帰国し、金沢の病院を訪ねた時、自力歩行すら出来ない状態だった。窓口担当者は、ハンガリー語の診断書が解読出来ず、診察を断られた。が、たまたま通りかかった今の主治医に救われたのだ。治療経過が分からないまま、症状が「敗血症」と酷似しているとして、新たな病名を貰って入院した。

 退院後も、一貫して診て貰っていただけに、先生が独立することは心の支えを失うようで、憂鬱な気持ちで帰宅した。落胆している私の目の前に、妻が名詞を差し出した。テーブルの上に投げ出した先生から貰った名詞だ。裏面の地図を見ると、今の病院からそれ程遠くなく、我が家からでもせいぜい2キロの近さだった。

 先生からは、「継続して、私でよければ」と口ごもりながらも、「次回の診察時(10月)までに、どうするか決めておいて下さい」と言われていた。総合病院と診療所との違いはあるが、待ち時間が長くて診察時間が短い大病院よりも、自分の体を熟知している主治医の人柄を信じて、転院を決めた。