昨日、友人に手紙を出そうとして、書き出しで悩んだ。彼岸を過ぎて、なお残暑が厳しいために季語をどうしたらよいか迷った。今日も気温は、30度近くまで上がるとの予報だ。
最近、視力減退に伴い、手紙をメールで代用するようにしたのだが、メールを読んでくれない相手との意思疎通は面倒だ。電話をかければ簡単に済む用件なのに、受話器を持つのが怖い。苦情対応に明け暮れた体験がトラウマとして残っているのか、めったに電話を使わない。在宅中でも留守電にすることも珍しくない。
今は、携帯電話を持たない人は偏屈もの呼ばわりされそうだが、反面、気楽でもある。ジムの更衣室やプールサイドで携帯メールをチェックしたり、大声で電話している姿は実にぶざまで失敬だ。自分の時間を優雅に過ごすために、ジムに通うのではないようだ。ジム仲間で、ゴルフ狂がいる。毎週ゴルフに行って、打ち上げに酒を飲み、カラオケに興じ、帰宅して「疲れた!」と、つぶやくようでは、リフレッシュにはならないと、会えばからかっている。
外国人から日本人が”働き蜂”と揶揄されたのも、生来の悲観主義と貧乏性のせいかも知れない。気付くのが遅すぎたが、時代の流れに身を委ねながらも、路傍の山野草に秋の気配を感じたい。置き忘れてきた貴重な財産を一つひとつ取り戻す日々を送りたい。