法隆寺ハーフマラソンは別格として、二番目に思い出深いのは、初フルとなった「ホノルルマラソン」で、きっかけがユニークだった。
1998年。通っていたフィットネス・クラブが企画した「ホノルルマラソン招待キャンペーン」に面白半分で応募したら、くじ運の悪い私が当選した。(^_-)-☆
妻は、観光気分で便乗し応援ツアーに加わり、10㎞のラン&ウオークに出たが、私は54歳で走り始めて1年足らず。しかも、3月に初めて10㎞のロードレースに出場しただけの未熟者だった。
準備期間の3か月間、自己流の猛練習を重ねたが、不安を抱えたまま12月13日を迎えた。
午前5時、打ち上げ花火とともに3万人のランナーから歓声があがり、スタートする光景は噂にたがわぬ大イベントでテンションの高まりを抑えられなかった。
スタート地点のアラモアナ公園からワイキキ通りに入ると、沿道で応援する人達が、イルミネーションやホテルの明かりに浮かび上がり、幻想的な雰囲気が漂った。が、楽しい時間は早く過ぎた。
1998年。通っていたフィットネス・クラブが企画した「ホノルルマラソン招待キャンペーン」に面白半分で応募したら、くじ運の悪い私が当選した。(^_-)-☆
妻は、観光気分で便乗し応援ツアーに加わり、10㎞のラン&ウオークに出たが、私は54歳で走り始めて1年足らず。しかも、3月に初めて10㎞のロードレースに出場しただけの未熟者だった。
準備期間の3か月間、自己流の猛練習を重ねたが、不安を抱えたまま12月13日を迎えた。
午前5時、打ち上げ花火とともに3万人のランナーから歓声があがり、スタートする光景は噂にたがわぬ大イベントでテンションの高まりを抑えられなかった。
スタート地点のアラモアナ公園からワイキキ通りに入ると、沿道で応援する人達が、イルミネーションやホテルの明かりに浮かび上がり、幻想的な雰囲気が漂った。が、楽しい時間は早く過ぎた。