プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★プラチナ・ランナーの軌跡⑧JAL千歳マラソン

2020-02-08 08:24:40 | スポーツ
 200をこすレースにまつわる思い出となると、快走した時よりも苦い思いをした時の方が多い。

 JAL千歳マラソンは、記録証が10枚(フル1、ハーフ9)残っていたが、まぼろしのフルが二つあって、いま思い出しても赤面する。

 一つは、関門の制限時間に間に合わず失格し、もう一つは、完走したが途中のコースを間違えて失格になったもので、翌年、3度目に「4時間28分45秒」で、辛うじて無念を晴らした。

 言い訳すれば、当時のルールは現在よりも厳しく(39㎞5時間⇒現在5時間40分)、コースも違った。その後、開催時期も変更(9月⇒6月)になり、ハーフに転向して妻と一緒に走ることにしたら、2年連続で土砂降りにあい、走友から「雨夫婦」と揶揄された。

 「3年連続で雨だったらもう出ない」と決めて臨んだ2010年。晴天に恵まれ、新緑の国立公園を走る魅力に取りつかれ、7年連続で出場したが、走力不安で2016年を最後に卒業した。