プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★プラチナ・ランナーの軌跡⑦ホノルルマラソン(後編)

2020-02-07 08:25:14 | スポーツ
 ラン&ウオークのゴール地点のカピオラニ公園まで並走した妻と別れ、坂を上る頃から応援の数が減り、日の出とともに暑さとの戦いになった。

 折り返し地点では気温が30度を超え、復路は暑さと筋肉痛に耐えながら、歩いたり走ったりして、ゴールしたが、完走した達成感は無かった。

 翌日、ハワイ島観光が組まれていたが、歩く元気もなく、ホテルの部屋のベッドで寝転がり、妻の帰りを待っていた。

 この時の記録「5時間46分32秒」は、2018年の「第4回金沢マラソン」まで不滅のワースト記録になった。

 3度目の2003年では、本番の数日前に開催されるカピオラニ公園を周回するペアマラソンに妻と出場したら、フランク・ショーターやメアリー・デッカーと一緒になり、夢のような時間を貰った。

 私のフルマラソンは、異国の女神のいたずらで始まり、生まれ故郷の金沢で幕を閉じた。