夏休みが終わると、毎日の残暑は厳しくとも「ああ、夏は終わるのだな…」と感じますね。
私はこの時期にも関わらず「さっ、いよいよ近づいてきた。居ずまいを正して、いざいざっ」という「仕切り」をすることもなく、毎日を穏やかに過ごしています
徐々に秋らしくなっていき、夕方になると虫の声が聞こえ、一気に陽が短くなっていく… そんな時期にサブクラスが始まり、ちょっと長めの講評の時間が終わると、日吉の教室の階段が暗くてねえ。あれやこれや策を講じましたが、なかなか安心には至らず。とても気になりました
そんな時期なのに、全く緊張感のない私 うれしいような… 悲しいような… そう、一抹の寂しさ、ですかね。
30年間続いた「私の秋」。今思い返せば、毎日パソコンに向かい、頭をひねりながら真剣に願書の添削をしていたことは、私の「喜び」でもあった… 苦心もしたけれど、何よりも「生み出す」という感動だったのだなあ、とあらためて実感しました
文章を書くというよりも、モニターの上の紙面に、その家庭の、その子の「暮らしの情景」「生い立ち、成長期」を描く時間は、とてつもなくクリエイティブであり、同時にその子の人生の大切な1ページを創り上げるような気持ちだった、のだと思います。
他にも、サブクラスのカリキュラムの内容や進め方を考えたり、事務的な作業で模擬面接の日程表を作ったり、それぞれの家庭の受験日時のカレンダーを作ったり…と、この時期以降、11月末あたりまでは、私の頭の中は「エンジン、フル稼働状態」でした
そんなことを、とてもとても懐かしく思い出しています。
昨年末までに教室を片付け、お借りしていた日吉のお部屋もお返し、つつがなく終えた…との安堵はあったものの、気がかりがゼロであったか?と問われると、じつはそうではありませんでした それは「第二子が受験する」というご家庭があるのをわかっていたから、です。
その中の1つのご家庭は、新しい先生のもとで問題なく準備をされている、ということをお聞きしていましたが、もう1家庭は、とてもお歳の離れた第二子でいらして… 日頃からお親しくしているにも関わらず、いつも別の話題でお話することが多く、第二子ちゃんの準備については、おたずねしたこともありませんでした。教室を終えた私が、そんなことをお聞きするのはとてもおこがましい、との思いがあって。けれど、そのご家庭のことを考えていると「たぶん、私に出来ることは、ある…よな…」との思いも頭をもたげ、心の中がザワザワ
私も、先方も、熟考の末(だと思います)… お互いに思い切って8月に入ってから声をかけ合い「いろいろとご相談に乗る!出願に関しては私に出来ることはお手伝いをさせていただく!」ということになりました。
でもね、そんないろんなお手伝いから見えてきたことで、私は本当に本当に驚いたのですよ
なんとまあ、たった1年で、各校の出願方法が大きく様変わりしたのですから。
すでに昨年は「コロナ禍が明けた年」でしたので、いろいろなことが「元に戻った」という安堵というか、喜びというか… 各学校には新年度の受験に対する「意気込みのようなもの」をとても感じました。ただ「やっと普通じゃない状態から、元に戻して良くなった」という状況でした。なので、今になって思うと、昨年はどの学校も「本当にこれで良いのかな?」というような、手探り的なところも多かったのかもしれません。
たぶん、各学校ともコロナ禍で行われた数回の受験を通して「見えてきたこと、見えてきたもの」は少なからずあったのでしょう。こういう「コロナ禍からの気づき」という点では、小学校受験の世界以外でも、たくさんあったに違いありません。
すでに、お子様達が中学生以上になられているような卒業生家庭のみなさんは、まさにこの時期、メールでこんなやり取りをしたことがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか?
パパ・ママ「先生、出願は初日
ですよね。何時頃に学校に到着すれば良いでしょうか?記載された時間、ぴったりでしょうか?それとも、少し早目、が良いですか?早目ならば、どのくらい早目が良いですかねえ…」
私「あまり早すぎるのも学校にご迷惑ですよね
ご近所との兼ね合いもありますし。それでは、40分くらい早めにおいでになって、様子をうかがう、というのはいかがでしょう?」
受験をするに当たり、これはものすごく大事な質疑応答、でしたよね。
ところが 今年はね、多くの学校が「webでの出願」になっている、のです。昔は「インターネット系」が不得意だと思われていたカトリックの伝統校であっても、です。驚かれませんか???
もちろん、すべてをインターネット利用で完結させてしまう、ということではなく、最初の出願だけをweb利用として、その後は自ら記入したものを郵送する、というようなシステムも多いのですが…
それでも、出願の朝の「武者震いするような緊張感」や、「失敗できないという思いで頭が痛くなる
」そんなことからは解放されるかもしれません。
まさに、コロナ禍での笑い話のように「明日の会議はweb会議だから、画面に映る上半身だけはきちんと着替えるけれど、先方には見えることのない下はパジャマのままでもOKだよね、はっはっは。」という感じで、出願も可能なのですね
「web出願なんてとんでもない そんな緊張感がないことでどうする
」なーんて、古狸の皺くちゃ先生として憤慨しているわけではありません
ただただ、そんな時代になったのだなあ、と、心底驚いているだけ、です。
web出願だから起こりうるトラブルもあるのだろうなあ、と想像もします。手順通りに入力をしていったのに、なぜか繰り返しエラーの画面になってしまう…とか、そんなことを考えると、私はドキドキしてしまいます
でも、そのうちに、すべてが「ネット上で済ませられるように」なるのだろうな、と考えています。なぜならば、ネット上で志望動機等を書いた願書を共有することが出来れば、複数の先生方が簡単に読めるようになりますものね 膨大な量の紙媒体を、校長先生や受験担当の先生方の手元に留めるよりも、はるかに効率が良いかもしれません。ただ、今までは「そういうことを考えもしなかった」というだけで…
ただ、もしそうなったとしたら 私はちょっとだけ残念に思うことがあるのです。それはね…
お父様やお母様の中には、とても達筆な方がおいでになります 今の時代、なかなか「書いた文字」を見る機会が少なくなりましたが、ちょっとした走り書きや、頂戴したお年賀状や季節のお葉書で「まあ、このママ(パパ)は、こんなに達筆でいらしたんだあ
」と感動することもしばしば、でした。
そういう保護者の方がお書きになる手書きの願書は、当然とても読みやすく、紙面が輝いて見える
そういうものに対する先生方の評価?感激!にっこり!がなくなってしまうのは、残念です…
パソコンに打ち出された文字は、誰にとっても読みやすいですが、思わず加点したくなる?というプラスアルファは起こらなくなってしまいますよね
なーんて、そんなことも思いましたが、いやいや… 私自身、簡単なお葉書以外は、長文だからという理由で、文末の署名以外は、ほとんど自筆でお手紙を書かなくなっていることを思えば、私がいろいろ言える立場ではありませんねえ
いずれにせよ。時代はどんどん変わっていくのだなあ、としみじみ感じています…
そして何よりも。web上での手続きや何や、そういうことに関して決して強くない私です
まさに、そんな昔流の私に「天のカミサマ」が教室を終える潮時を、奇しくも教えてくださったのかもと、晩夏の青い空を見上げ、苦笑の思いで考えています