本当に時間のたつのが速いように感じる今日この頃です。
外来診療を担当する日は、朝8時半に外来に行ってそのまま休みなく外来診療をこなしつつ、合間合間に病棟や手術室などにも顔を出したりしているうちに気がついたら夜になっています。手術を担当する日は、朝早くから手術室にこもりきりで手術に没頭しているうちに外は暗くなっています。やっと仕事を終えて帰宅した途端に緊急手術などで病院に呼び戻されることも多いです。帰宅すると家人はもうとっくに寝ていることも多いです。
私が飯田市立病院に赴任したのは24年前の平成元年4月で、産婦人科のスタッフは最初たった3人(産婦人科医1人、助産師2人)しかいなくて、その3人で外来診療も病棟回診も分娩もすべてこなしました。当時は県内で最も小規模な産婦人科でしたが、この24年の間に扱う分娩件数は県内最多となり、産婦人科スタッフも大変な大所帯となりました。
1年後には県下最大規模の周産期センターも完成する予定なので、多分これからますます忙しくなると思います。眼前には多くの困難がたちはだかってますが、みんなの力を結集して困難を一つ一つ乗り越えていくしかありません。いろいろ悩んでいてもしょうがありません。今まで何とかなってきたんだから、多分これからも何とかなることでしょう。ここまで来たら今さらもう後戻りはできません。定年退職までの残りの6年間は、最後の御奉公でこのまま行けるところまでどんどん突っ走って行くしかありません。その後は大学医局の優秀な後輩達が立派に引き継いでくれることでしょう。
外来診療を担当する日は、朝8時半に外来に行ってそのまま休みなく外来診療をこなしつつ、合間合間に病棟や手術室などにも顔を出したりしているうちに気がついたら夜になっています。手術を担当する日は、朝早くから手術室にこもりきりで手術に没頭しているうちに外は暗くなっています。やっと仕事を終えて帰宅した途端に緊急手術などで病院に呼び戻されることも多いです。帰宅すると家人はもうとっくに寝ていることも多いです。
私が飯田市立病院に赴任したのは24年前の平成元年4月で、産婦人科のスタッフは最初たった3人(産婦人科医1人、助産師2人)しかいなくて、その3人で外来診療も病棟回診も分娩もすべてこなしました。当時は県内で最も小規模な産婦人科でしたが、この24年の間に扱う分娩件数は県内最多となり、産婦人科スタッフも大変な大所帯となりました。
1年後には県下最大規模の周産期センターも完成する予定なので、多分これからますます忙しくなると思います。眼前には多くの困難がたちはだかってますが、みんなの力を結集して困難を一つ一つ乗り越えていくしかありません。いろいろ悩んでいてもしょうがありません。今まで何とかなってきたんだから、多分これからも何とかなることでしょう。ここまで来たら今さらもう後戻りはできません。定年退職までの残りの6年間は、最後の御奉公でこのまま行けるところまでどんどん突っ走って行くしかありません。その後は大学医局の優秀な後輩達が立派に引き継いでくれることでしょう。