昨日公園に足を運び、撮ってきた写真である。
相変わらず美しい木だ。
前にも言ったように、この木は、センダンの域を超えて進化している。わかるものはわかるだろう。
この木が一本、ここに立っているだけで、公園に生えているほかの植物にもよい影響を与えている。それによって、この公園に足を運ぶものは、とてもよい愛を感じることができる。
人間はこの公園を大事にせねばならない。
このように、植物にも、その個体によって差がある。その個体差を感じることができるようになれば、人間はだいぶ勉強が進んだことになる。
たとえば、マリーゴールドという花だが、この花は、植物の中ではかなり平凡な花だ。人間に協力してくれるが、あまり良い顔はしてくれない。だが、かのじょの子供が通う、小学校の正門前に植えられているマリーゴールドは、その花としてはたいそう進化している。かのじょは昔から知っていた。そのマリーゴールドの写真を、かのじょは何度かブログにあげているはずだ。とてもエネルギーの強い花である。
その花がなぜ進化したのかはわからないが、たぶん小学校に植えられているということが、大きく影響したのだろう。子どもがいっぱい集まるところには、愛もいっぱい集まる。小さな弱いものを守るために、花も一生懸命に働いているのだ。
もちろん、もともとこの花が、進化した魂であり、それを偶然に学校が買い求めてそこに植えたのだと言うことも考えられる。
このように、植物にも個性がある。高い勉強を積んだ花や木を見分けられるようになったら、あなたがたには、たいそうよいことがあるだろう。その花や木があるだけで、その場所がとてもよいことになっていくからだ。
かのじょがほかに知っている、高く進化した木には、幼稚園の庭に生えていたソテツがある。これもブログにあげているはずである。ほかのソテツと比べてみたまえ。違いがわかるはずである。
このようにわたしは、かのじょの記憶の倉庫に眠っている知識を、あなたがたに開放する。かのじょは、豊かな知識の持ち主だ。あなたがたのために、ほんとうによいことができる。わたしはそれらを、もっとも美しい形で、あなたがたに与えよう。
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