趣味の能楽の発表会や国立能楽堂の式能があり、週末は能三昧でした。
自分が本当に好きな世界を凝縮してくれているのが能楽だな、としみじみと感じています。
謡いや仕舞いを学びながら、徐々に体得していく面白さも自分の喜びであるし、
能の装束を観る毎に、表装の取り合わせのイメージが広がるのも私の楽しみの一つです。
この年齢になって、ようやく自信を持って自分の好きなことを自分自身で選ぶことができるようになってきたように思います。
10代、20代の頃の自分の選択は、半世紀生きてこれた自分を或る処に安定させるためのものであったような気もするし、そうは言っても、未だにゆらゆらと揺れている中に生きているはずなのですが、アイデンティティの統合の位置がぶれにくくなってきたようにも思います。
何事も、出合いに「遅すぎる」ということは無いと私は解釈しています。
出合った時期が自分にとって最良の時期であるし、自分に相応しいタイミングなのです。
生まれてから今日まで、好きなことを選び続けてきた結果、今の自分が在ることも確かなことでしょうが、否応なく選択せざる得なかったことをどのように解釈していくかも「選ぶ」ということの一つであるようです。
つまり、どんな解釈を自分が選ぶか、ということです。
囚われた解釈に固執することで、自分を苦しめる選択も、選択の一つであろうし、固執されたくなくて解放を信じながら何かを選択していくことも選択の一つです。
自分は何を選ぶのか。
これからも、明るい方向に向いていく何かを信じて選択していきたいものです。
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自分が本当に好きな世界を凝縮してくれているのが能楽だな、としみじみと感じています。
謡いや仕舞いを学びながら、徐々に体得していく面白さも自分の喜びであるし、
能の装束を観る毎に、表装の取り合わせのイメージが広がるのも私の楽しみの一つです。
この年齢になって、ようやく自信を持って自分の好きなことを自分自身で選ぶことができるようになってきたように思います。
10代、20代の頃の自分の選択は、半世紀生きてこれた自分を或る処に安定させるためのものであったような気もするし、そうは言っても、未だにゆらゆらと揺れている中に生きているはずなのですが、アイデンティティの統合の位置がぶれにくくなってきたようにも思います。
何事も、出合いに「遅すぎる」ということは無いと私は解釈しています。
出合った時期が自分にとって最良の時期であるし、自分に相応しいタイミングなのです。
生まれてから今日まで、好きなことを選び続けてきた結果、今の自分が在ることも確かなことでしょうが、否応なく選択せざる得なかったことをどのように解釈していくかも「選ぶ」ということの一つであるようです。
つまり、どんな解釈を自分が選ぶか、ということです。
囚われた解釈に固執することで、自分を苦しめる選択も、選択の一つであろうし、固執されたくなくて解放を信じながら何かを選択していくことも選択の一つです。
自分は何を選ぶのか。
これからも、明るい方向に向いていく何かを信じて選択していきたいものです。
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