土☆彩☆畑へ ようこそ

愉快な仲間たちが勢いで始めた野菜作りと お腹いっぱいの記録です。^m^
スローライフ、万歳!

1/11(日) 法事で 県北の地へ 1

2015-01-13 02:00:00 | 日記

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早いもので 母が亡くなって
四十九日を迎えました。

畑ブログなので 身内のことを書くのは
どうしたものか・・と
法事の会食の模様中心に
さらっと載せる予定にしてましたが
思った以上に画像が多く、
備忘録も兼ね 少し内容も変えて
2回に分けて記録しておきます。
少々辛気臭い話に お付き合いください。

  

実家は 臨済宗です。

初七日は 葬儀の日に執り行いましたが

二七日、三七日、四七日、
五七日、六七日・・と
お寺さんが
卒塔婆を持ってお経あげに来てくださるので
その度に
以前も載せた このような 御霊具膳を作り、


そして

お水まつり・・といったかな?


こういうものを用意しました。

お参りする人が 洗米を 向こう側のいれものに
移し入れ 
この葉っぱで お水をかけます。

方丈さん(ご住職さん)のお話では
一人のヒト には 両親二人いるわけだから、
1代遡るごとに、先祖の数は2倍となる

そうやって どんどん遡り
30代迄遡ると なんと人数は 億を超えるんだとか。

中には 餓鬼道に落ちたものも居るかもしれない・・

また 鳥になっている者も居るかもしれない・・小鳥 のデコメ絵文字

そういうわけで
お水まつりに使った洗米は
ためておいて
鳥のために 墓所に撒いたり、小鳥 のデコメ絵文字
庭に撒いたりするんだとか。。小鳥 のデコメ絵文字

こういうことを 一週間ごとに繰り返していると
母も だんだん 
上の世界に近づいていくような 気持ちになるので
不思議なものです。



そして迎えた 四十九日の法要の日です。
最近やたらと縁の深い 県北の街へ向かいます。

途中 母の生家のあった 某所へ。

母の生家は
以前も載せましたが
神社の神官だったようです。 
といっても もう 家はなく
母の弟たちも 皆 関東に出て
継ぐ者がなかったので
遠縁の者が まつりごとなどをやっているとか。。 

一応 喪中なので
参道の鳥居をくぐることは控え、
上の方の神社駐車場から 下の方を眺めた
画像をば。  

 母の父親(ゆずぽんの祖父)は
教職に就いていたので
実際に母が生まれたのは
ここにあった家ではなかったようですが
ゆずぽんが子供の頃には 
母について この参道の下の方の脇にあった
祖父の家屋敷で 過ごしたものです。 

文化財のお話が来るほど
相当古く 無駄に広い、、、

フクロウがいるんじゃないかと
思わず壁のシミに目をやる 風呂

田舎の家につきものの 暗く離れた便所。 

その便所の出口には
あれ、なんていうのかなぁ、、
 水が入ったプラスティック製の
下に付いてるストロー状の金具を押すと、
水が出て手を洗える・・っていう、、、

これって 他の親類の家にもあったなぁ。。 

でも そこで過ごす夏の日は
ワクワクの 楽しい日々でした。 

母も 若くして嫁いだようなので
実のところ どれくらい その家で過ごしたのか・・・
それだけに
里帰りする母も なにか楽しげだったのを
忘れることができません。

 そして 今でも 時々訪れたくなる
癒しスポットです。

祖父のお墓にお参りして 更に北上し、
実家の菩提寺へ向かいます。

この日は 母の四十九日と
実は 昨年そうだったようなのですが
父の 二十五回忌の法要を。

法要が終わり、墓所にて納骨。
墓のある小高い山より 下を望む。


 父の生家があった場所の裏山のようです。
父も 若くしてこの地を離れたので
今では いくらかの土地と 墓所のみ。

その土地も 父の古い友人の息子さんたちが
みかんを作って いらっしゃいます。

ここら辺にはイノシシや鹿が出るらしく
コンクリートを敷いて だいぶん登りやすくなった
墓までの道ですが
みかん山と 墓所の境には
イノシシ、鹿の侵入を防ぐ
頑丈な金属製の扉が付いていました。 



さて 法事の会食です。

入口までで 今日はおしまい。(笑)




続きは 明日。(すんません) 


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コメント (28)
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