4/26(金)第二の目的地は
福岡県、飯塚市にある 旧伊藤伝右衛門邸です。
伊藤伝右衛門は 若いころは魚の行商や船頭など職を転々としながら、
赤貧生活を続けますが、やがて父と手掛けた炭鉱事業が時流に乗り、
のちに福岡・筑豊の炭鉱王と言われた人です。
伝右衛門50歳(数えで52歳)の時に
歌人・柳原白蓮(本名・燁子・・あきこ)25歳(数えで27歳)と再婚。
白蓮は 大正天皇の従妹にあたり、大正三美人の一人です。
この「旧伊藤伝右衛門邸」は、白蓮が伝右衛門に嫁いでから、
7歳年下の 編集者であり社会運動家であり法学士である宮崎龍介
と恋に落ち、
「絶縁状」を叩きつけるまでの10年間を過ごした場所です。
→白蓮事件参照
この辺のいきさつは
平成26年度に放映されたNHK連続テレビ小説「花子とアン」
にも描かれています。
伝右衛門は白蓮を迎え入れる為、
旧伊藤伝右衛門邸の改築を行います。
敷地面積約2300坪という敷地に、
部屋数25という広大な家屋を設けるのです。\(◎o◎)/
建築も国指定重要文化財となりました。
アールヌーヴォー調のマントルピースのある応接間
食堂
どのお部屋も照明が素敵です。
一畳たたみを敷き詰めた 長い畳廊下(50m)の天井は
矢羽根天井(錯覚により 天井に高低差を感じる)
があしらわれています。
本座敷にはお雛様が たくさん飾られていました。
お庭の全景は写せてませんが
住居の増築に合わせ明治〜昭和に掛けて築庭された池泉回遊式庭園で
国指定名勝
素敵!
奥座敷
伊藤家の複雑な家庭環境・・・
妾の子 父の妾の子 妹の子 母方の従兄妹が同居
その狭間での苦悩を ひたすら歌に託し
白蓮は「心の花」に作品を発表。
妻となった柳原白蓮のために増設した二階座敷です。
竹の節だけを残した欄間(らんま)や
銀箔を張った襖など驚くような技法を使い、
白蓮好みに仕上げているそうです。
銀箔を張った襖など驚くような技法を使い、
白蓮好みに仕上げているそうです。
白蓮は わが県ともかかわりが深く
別府には 伝右衛門が
高貴な美しい妻・白蓮のために建てたと言われる
『伊藤別荘』というものがあり
白蓮と多くの人との出会いのサロンとなってました。
駆け落ちした 宮崎龍介とも
こちらで出会ったと言われています。
終戦後の米軍の接収・返還を経て
「ホテル赤銅御殿(あかがねごてん)」となりましたが
1979年に解体され、
往時をしのぶものは 現地には白蓮の歌碑しかありません。
今では住宅地になっているようです。
赤胴御殿の存在は
ゆずぽんの記憶の中にも うっすら残ってますよ。
社会科見学 まだまだ 続きますよ~~~((´∀`))