『新スナックカー』
車両系式:12200系
登場初年:昭和44年(1969年)
製造両数:166両(2連×29本、4連×24本、6連×2本)
12000系(旧スナックカー)の登場から2年が過ぎた昭和44年(1969年)に、その量産車として12200系が登場しました。外装・内装とも12000系に準じたスタイルとなり、パッと見た感じは同じです。平成12年までに全車両が引退した12000系と異なり、12200系は現在も各方面への特急運用に活躍しています。
12200系の特徴は、製造両数が非常に多かったことです。
デビュー当初は、12000系と同様に「2両編成を1単位」とした姿だったようですが、その後、中間車(編成の中間に組み込む、運転席が付いていない車両)が追加されたりして、4両編成や6両編成の仕様も登場しました。最終的には、2両編成×29編成、4両編成×24編成、6両編成×2編成、の合計166両を数えるに至り、近鉄の特急系式では随一の勢力を誇る大所帯となりました。
車両数の多い系式なので、製造時期には幅があります(一度に166両がポンと登場したのではない)。
初期に登場した12200系には、12000系と同じく「スナックコーナー」(軽食コーナー)が設けられていましたが、のちに廃止となり、後期に登場した12200系には最初からスナックコーナーが付いていませんでした。…ではありますが、車両の愛称名としては、12000系(旧スナックカー)に対して12200系は「新スナックカー」と呼ぶのが一般的です。
現在活躍している12200系にはスナックコーナー自体がありませんから、今となっては不思議に感じられる愛称名です。昔の名前で出ています、のよう。
◇ ◇ ◇
以前にも述べたように、昭和40年代は、新幹線に客を奪われて「名阪特急(近鉄)」が低迷を続けていた時期です。その〝逆風〟のなかで近鉄が12200系の大量増備に踏み切った背景には、名阪が振るわないぶん伊勢方面への特急輸送を充実させることが不可欠、との考えがあったようです。
これも、近鉄特急の歴史の中では語られる部分ですが、東京方面から新幹線でやってきた旅客を名古屋で受けて近鉄特急は伊勢へと走り、伊勢観光の後は奈良大和路へ旅客を誘い、奈良見物が済んだら最後は京都へ送り込んで、京都から新幹線で東京へ帰ってもらう-、という周遊ルートが作り上げられたそうです。
名古屋→伊勢→奈良大和路→京都という近鉄特急ならではの周遊ルートは、東京方面から大量に旅客を運んでくる「新幹線」が無ければ成り立たないと言っても過言ではありません。大阪~名古屋間の直通輸送(スピード)では到底かなわない新幹線の存在を逆手に取った、見事な攻めです。
話がそれましたが、12200系は、そうした伊勢方面重視の特急網を組み立てるうえで、大いに活躍しました。デビュー当時には、大阪での「万国博覧会」というビッグ・イベントも重なり、万博輸送(特需)にも活躍したそうです。
◇ ◇ ◇
初期に登場した車両からは引退・廃車も出ているようですが、現在も12200系シリーズはたくさんの車両が稼動しています。
京都線の特急にも、よく使われています。
↑私が高校生のときに写した12200系。(なぜ古い写真を貼るのか…。現在も走ってるって言うといて…)
当時は、正面貫通扉に特急マークがあり、行き先表示(←手差し式…でしたよね)はグッと低い位置に付いていた。
現在は、車体リニューアルによって、正面貫通扉に自動式行き先表示幕が付いている。
↑〝その一瞬〟をきっちり写し取れない私です。(スキャナが悪いのではなく、私の実力だ!)
これも、高校生のときに写したものだと思う。
行き先表示が読めません。(ひさん)
でも、いっぱい字が書いてあるみたいだから「橿原神宮前」行きなのだろうと察しがつきます。なので、正面窓の下に付いている小さなプレート(白枠で囲まれた部分。紺地に赤い字で書かれているやつ)には「吉野連絡」と書かれているのです。(情けない鉄道写真やな)
ちゃんと写せていたらなぁ。今となっては、もったいない!
※↑上の画像は2枚とも、京都線の木津川鉄橋(付近)で撮影。1989年~1990年ごろ。
◎画像追加↓
↑平成20年(2008年)10月に撮影した12200系。津駅にて。
リニューアル後の姿、ということになります。
↑平成21年(2009年)2月、河内小阪駅にて撮影。
土休日昼間の、奈良線特急に使用中のひとこま。
↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。
↑平成22年(2010年)2月、大和八木駅にて。大阪線特急の鳥羽ゆき。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅ホームより撮影。
前日に発生したチリ大地震による津波警報の影響で、この日は鳥羽線の一部と志摩線が運休に…。
鳥羽・賢島方面への特急列車も「五十鈴川ゆき」として運行された一日でした。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅ホームより撮影。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅にて。(上の画像と同じ列車)
隣りの伊勢中川ゆき各停を待たせて、特急が先に発車していきます。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)撮影。
昔なつかしい「網棚」の編成に当たったので、車内でカシャっと撮影。
↑平成22年(2010年)8月28日(土)、八木西口にて。
京都発→橿原神宮前ゆき(吉野ゆき連絡特急)。
↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。
↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。
↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。
↑正面の行き先案内に「大阪難波」と表示できる車両。
平成22年11月13日(土)、鶴橋にて。(後打ち)
↑平成24年3月24日(土)、丹波橋にて。後打ち。
橿原神宮前→京都ゆきに運用中。
↑平成24年3月29日(木)、富野荘にて。
吉野連絡、橿原神宮前ゆき。
↑平成24年5月26日(土)、塩浜にて。(通過)
12200系4両+22600系2両の6両編成。宇治山田発→名古屋ゆきの乙特急に運用中。
↑平成26年1月11日(土)、大和八木にて。
名阪乙・大阪難波ゆき12200系と、阪伊乙・鳥羽ゆき伊勢志摩ライナーが出合う。
↑平成26年2月23日(日)、鳥羽線内を走行中に撮影。
このときは、伊勢市から鳥羽まで12200系特急に乗りました。
↑同上。平成26年2月23日(日)、鳥羽線内を走行中に撮影。
↑平成28年1月8日(金)、五十鈴川にて。 2250系復刻塗装の5200系と並んだところ。
名伊乙特急、賢島ゆきに運用中。
↑同上。
五十鈴川を発車し、次の停車駅・鳥羽へと向かう。
↑平成29年3月22日(木)、京都線の木津川鉄橋にて。京都発→賢島ゆきに運用中。
↑平成31年2月13日(水)、京都にて。
↑同上。
↑平成31年2月13日(水)、京都発→橿原神宮前ゆきの車内にて。
↑同上。
↑同上。
↑平成31年2月13日(水)、橿原神宮前にて。
↑令和2年(2020年)2月11日(火・祝日)、大和八木→大和西大寺間にて乗車。
↑同上。令和2年(2020年)2月11日(火・祝日)、大和八木→大和西大寺間にて乗車。
↑同上。大和八木→大和西大寺の特急券。
同年(令和2年)2月1日から、近鉄特急は客室内禁煙になりました。(喫煙室はのぞく)
ただし、12200系には喫煙室の設置工事が行われませんでした。
12200系単独運用の列車については、特急券に「この列車に喫煙室はありません」と記されています。
↑令和2年(2020年)5月25日(月)、京都にて。
↑令和2年(2020年)9月4日(金)、富野荘~新田辺間にて。
↑令和2年(2020年)9月4日(金)、新田辺~富野荘間にて。
↑令和2年(2020年)9月4日(金)、新田辺~興戸間にて。
↑同上。
↑令和2年(2020年)9月7日(月)、京都にて。
↑同上。
↑令和2年(2020年)9月14日(月)、大和西大寺にて。
橿原神宮前→京都ゆき運用で、ホームに停車中。
↑同上。
↑令和3年(2021年)2月8日(月)、狛田にて。
橿原神宮前ゆきに運用中。
↑同上。
↑令和3年(2021年)2月9日(火)、新田辺にて。
橿原神宮前ゆきに運用中。
↑同上。
車両系式:12200系
登場初年:昭和44年(1969年)
製造両数:166両(2連×29本、4連×24本、6連×2本)
12000系(旧スナックカー)の登場から2年が過ぎた昭和44年(1969年)に、その量産車として12200系が登場しました。外装・内装とも12000系に準じたスタイルとなり、パッと見た感じは同じです。平成12年までに全車両が引退した12000系と異なり、12200系は現在も各方面への特急運用に活躍しています。
12200系の特徴は、製造両数が非常に多かったことです。
デビュー当初は、12000系と同様に「2両編成を1単位」とした姿だったようですが、その後、中間車(編成の中間に組み込む、運転席が付いていない車両)が追加されたりして、4両編成や6両編成の仕様も登場しました。最終的には、2両編成×29編成、4両編成×24編成、6両編成×2編成、の合計166両を数えるに至り、近鉄の特急系式では随一の勢力を誇る大所帯となりました。
車両数の多い系式なので、製造時期には幅があります(一度に166両がポンと登場したのではない)。
初期に登場した12200系には、12000系と同じく「スナックコーナー」(軽食コーナー)が設けられていましたが、のちに廃止となり、後期に登場した12200系には最初からスナックコーナーが付いていませんでした。…ではありますが、車両の愛称名としては、12000系(旧スナックカー)に対して12200系は「新スナックカー」と呼ぶのが一般的です。
現在活躍している12200系にはスナックコーナー自体がありませんから、今となっては不思議に感じられる愛称名です。昔の名前で出ています、のよう。
◇ ◇ ◇
以前にも述べたように、昭和40年代は、新幹線に客を奪われて「名阪特急(近鉄)」が低迷を続けていた時期です。その〝逆風〟のなかで近鉄が12200系の大量増備に踏み切った背景には、名阪が振るわないぶん伊勢方面への特急輸送を充実させることが不可欠、との考えがあったようです。
これも、近鉄特急の歴史の中では語られる部分ですが、東京方面から新幹線でやってきた旅客を名古屋で受けて近鉄特急は伊勢へと走り、伊勢観光の後は奈良大和路へ旅客を誘い、奈良見物が済んだら最後は京都へ送り込んで、京都から新幹線で東京へ帰ってもらう-、という周遊ルートが作り上げられたそうです。
名古屋→伊勢→奈良大和路→京都という近鉄特急ならではの周遊ルートは、東京方面から大量に旅客を運んでくる「新幹線」が無ければ成り立たないと言っても過言ではありません。大阪~名古屋間の直通輸送(スピード)では到底かなわない新幹線の存在を逆手に取った、見事な攻めです。
話がそれましたが、12200系は、そうした伊勢方面重視の特急網を組み立てるうえで、大いに活躍しました。デビュー当時には、大阪での「万国博覧会」というビッグ・イベントも重なり、万博輸送(特需)にも活躍したそうです。
◇ ◇ ◇
初期に登場した車両からは引退・廃車も出ているようですが、現在も12200系シリーズはたくさんの車両が稼動しています。
京都線の特急にも、よく使われています。
↑私が高校生のときに写した12200系。(なぜ古い写真を貼るのか…。現在も走ってるって言うといて…)
当時は、正面貫通扉に特急マークがあり、行き先表示(←手差し式…でしたよね)はグッと低い位置に付いていた。
現在は、車体リニューアルによって、正面貫通扉に自動式行き先表示幕が付いている。
↑〝その一瞬〟をきっちり写し取れない私です。(スキャナが悪いのではなく、私の実力だ!)
これも、高校生のときに写したものだと思う。
行き先表示が読めません。(ひさん)
でも、いっぱい字が書いてあるみたいだから「橿原神宮前」行きなのだろうと察しがつきます。なので、正面窓の下に付いている小さなプレート(白枠で囲まれた部分。紺地に赤い字で書かれているやつ)には「吉野連絡」と書かれているのです。(情けない鉄道写真やな)
ちゃんと写せていたらなぁ。今となっては、もったいない!
※↑上の画像は2枚とも、京都線の木津川鉄橋(付近)で撮影。1989年~1990年ごろ。
◎画像追加↓
↑平成20年(2008年)10月に撮影した12200系。津駅にて。
リニューアル後の姿、ということになります。
↑平成21年(2009年)2月、河内小阪駅にて撮影。
土休日昼間の、奈良線特急に使用中のひとこま。
↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。
↑平成22年(2010年)2月、大和八木駅にて。大阪線特急の鳥羽ゆき。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅ホームより撮影。
前日に発生したチリ大地震による津波警報の影響で、この日は鳥羽線の一部と志摩線が運休に…。
鳥羽・賢島方面への特急列車も「五十鈴川ゆき」として運行された一日でした。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅ホームより撮影。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅にて。(上の画像と同じ列車)
隣りの伊勢中川ゆき各停を待たせて、特急が先に発車していきます。
↑平成22年(2010年)2月28日(日)撮影。
昔なつかしい「網棚」の編成に当たったので、車内でカシャっと撮影。
↑平成22年(2010年)8月28日(土)、八木西口にて。
京都発→橿原神宮前ゆき(吉野ゆき連絡特急)。
↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。
↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。
↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。
↑正面の行き先案内に「大阪難波」と表示できる車両。
平成22年11月13日(土)、鶴橋にて。(後打ち)
↑平成24年3月24日(土)、丹波橋にて。後打ち。
橿原神宮前→京都ゆきに運用中。
↑平成24年3月29日(木)、富野荘にて。
吉野連絡、橿原神宮前ゆき。
↑平成24年5月26日(土)、塩浜にて。(通過)
12200系4両+22600系2両の6両編成。宇治山田発→名古屋ゆきの乙特急に運用中。
↑平成26年1月11日(土)、大和八木にて。
名阪乙・大阪難波ゆき12200系と、阪伊乙・鳥羽ゆき伊勢志摩ライナーが出合う。
↑平成26年2月23日(日)、鳥羽線内を走行中に撮影。
このときは、伊勢市から鳥羽まで12200系特急に乗りました。
↑同上。平成26年2月23日(日)、鳥羽線内を走行中に撮影。
↑平成28年1月8日(金)、五十鈴川にて。 2250系復刻塗装の5200系と並んだところ。
名伊乙特急、賢島ゆきに運用中。
↑同上。
五十鈴川を発車し、次の停車駅・鳥羽へと向かう。
↑平成29年3月22日(木)、京都線の木津川鉄橋にて。京都発→賢島ゆきに運用中。
↑平成31年2月13日(水)、京都にて。
↑同上。
↑平成31年2月13日(水)、京都発→橿原神宮前ゆきの車内にて。
↑同上。
↑同上。
↑平成31年2月13日(水)、橿原神宮前にて。
↑令和2年(2020年)2月11日(火・祝日)、大和八木→大和西大寺間にて乗車。
↑同上。令和2年(2020年)2月11日(火・祝日)、大和八木→大和西大寺間にて乗車。
↑同上。大和八木→大和西大寺の特急券。
同年(令和2年)2月1日から、近鉄特急は客室内禁煙になりました。(喫煙室はのぞく)
ただし、12200系には喫煙室の設置工事が行われませんでした。
12200系単独運用の列車については、特急券に「この列車に喫煙室はありません」と記されています。
↑令和2年(2020年)5月25日(月)、京都にて。
↑令和2年(2020年)9月4日(金)、富野荘~新田辺間にて。
↑令和2年(2020年)9月4日(金)、新田辺~富野荘間にて。
↑令和2年(2020年)9月4日(金)、新田辺~興戸間にて。
↑同上。
↑令和2年(2020年)9月7日(月)、京都にて。
↑同上。
↑令和2年(2020年)9月14日(月)、大和西大寺にて。
橿原神宮前→京都ゆき運用で、ホームに停車中。
↑同上。
↑令和3年(2021年)2月8日(月)、狛田にて。
橿原神宮前ゆきに運用中。
↑同上。
↑令和3年(2021年)2月9日(火)、新田辺にて。
橿原神宮前ゆきに運用中。
↑同上。