JR片町線(学研都市線)の、木津~長尾間が非電化だった頃… の写真です。

↑同志社前~田辺(京田辺)間で撮影。近鉄京都線でいうと興戸付近。
1988年(昭和63年)の秋に撮影したもの。私が高校生だった頃です。
ちなみに、田辺駅が京田辺駅に改称されたのは1997年(平成9年)春のことです。
手前に広がっている田んぼ(稲穂)は現在は無く、ホームセンター「コーナン」の敷地になっています。
国鉄急行色のキハ58(キハ28?)と朱色のキハ47による2両編成は、木津~長尾間でもよく見られました。

↑田辺(京田辺)駅での列車交換風景。1988年(昭和63年)の秋に撮影。
この翌年に完成した「木津~長尾間の電化工事」がせっせと進められていた時期です。田辺駅の構内にも、真新しい架線柱が立ち上がった頃。
古い木造駅舎とディーゼルカーの組み合わせが懐かしいです。
この駅舎は、今の京田辺駅で言う「西出口」側に当たる位置にありました。

↑田辺駅を発車する、木津ゆきのディーゼルカー。1988年秋に撮影。
正面の行き先表示には「木津-長尾」と掲げて、列車はこの区間を行ったり来たりしていました。
国鉄時代には、両運転台タイプの車両が単行(1両編成)で運用されることもありましたが、
JRになってからは基本的には2両編成で走っていたなぁ…と記憶しています。
調べ直してみると、片町線に「学研都市線」という愛称名が付けられたのは1988年(昭和63年)の春から、だったみたい。
なので、上の写真を撮ったときには学研都市線という呼び名がすでにあったことになります。
古い駅舎とディーゼルカーの組み合わせは〝学研都市線〟のイメージから程遠かったですね。
でも、真新しい架線柱とディーゼルカーの組み合わせで眺めると、新しい時代の幕開けを実感させる光景でした。
「いよいよ〝学研都市線〟がやって来るんだな!」って。

↑上の画像とほぼ同じ地点から写してみた、現在の風景です。(2009年7月5日撮影)
道路と線路の間がフェンスで仕切られてしまいました。
〝都市化する〟っていうのは、こういうことなんだね…。
◇ ◇ ◇
今から24年前のことになるのですが、昭和60年(1985年)の〝きょう〟というか…7月5日に、
私は、当時は非電化だった片町線(非電化だったのは木津~長尾間)のディーゼルカーに〝初めて〟乗りました。
こういうことに関しては、無駄なぐらいに正確な記憶ですが、これは、ちゃんと日付を覚えています。
『日付は7月5日で間違いない! それと…、曜日も確か、平日だったはず…!』
という記憶で、私の中に残っているのです。
念のため、今回、曜日は調べ直してみました。
やっぱり…、金曜日だったようです。(←ほら、平日でしょう)
昭和60年といえば、私は中学生の頃でしたが、ちょうど学校の期末試験が終わった直後で、この日は「平日だけど学校が休み」という一日だったのです。
そういう〝特殊な休日〟に乗りに行ったので、記憶にも残っているのだと思います。
その日は、田辺駅から列車に乗って長尾駅までを1往復してみただけ…、というささやかな初乗りでした。
でも、これがきっかけで、私はディーゼルカーの雰囲気がすっかり気に入ってしまい、その後も何度となく、片町線のディーゼルに乗りに行ったものです。
しかし…、もう24年も経ったのか。
遠い昔のお話になってしまいましたな。
◎おまけ画像◎
↓国鉄時代の田辺駅

↑木造駅舎だったころの田辺駅。国鉄時代です。
1986年1月撮影と、自分では記録しています。

↑田辺駅の構内。ホームから木津方向を望んだ写真。(これも1986年1月撮影)
画面のずうっと奥のほうに、ミツマンボがちらっと見えています。非常に見づらいですが。

↑田辺駅の外から、停車中の列車を写したもの。(1986年1月撮影)
この日は、珍しく、ディーゼル機関車が走っていました。
保線用の車両を引っ張って、木津方向へと走り去っていきました。
田辺駅の構内には「木」がたくさん立っていました(植えられていたのかな?)。小さな花壇もあったように記憶しています。

↑上の画像とほぼ同じ地点から写してみた、現在の様子です。
画面右奥の「鉄塔」は、1986年の当時から存在していましたが、上の画像ではこれを写しとれていません。
でも、これがほぼ同じ地点に立って写した画像なのです。
↓田辺小学校の北側にあった「踏切」付近から撮影

↑田辺駅(京田辺駅)の南方、田辺小学校の北側にあった踏切付近から撮影。
これも、1986年1月の撮影だと思います。(自分ではそう記録している)

↑上の画像とほぼ同一地点から、きょう撮影したものです。
田辺小学校の北側にあった踏切は、現在は陸橋(歩道橋)に改められているので、そこから撮ってみました。
画面奥に見えている「鉄塔」を定点にして新旧画像を比較してもらったらいいと思います。
線路沿いにも住宅などが増えて、現在はこんな風景になっています。

↑こんな写真も出てきたので、貼っておきます。
これも、上の2点とほぼ同じ場所から撮ったものです。
上の2点は線路の西側から撮ったもので、これは線路の東側から撮ったもの。
同様に、画面右奥の「鉄塔」を定点にして見てもらったら良いです。
木津~長尾間の電化が完成したときに写したものです。(1989年春)

↑同志社前~田辺(京田辺)間で撮影。近鉄京都線でいうと興戸付近。
1988年(昭和63年)の秋に撮影したもの。私が高校生だった頃です。
ちなみに、田辺駅が京田辺駅に改称されたのは1997年(平成9年)春のことです。
手前に広がっている田んぼ(稲穂)は現在は無く、ホームセンター「コーナン」の敷地になっています。
国鉄急行色のキハ58(キハ28?)と朱色のキハ47による2両編成は、木津~長尾間でもよく見られました。

↑田辺(京田辺)駅での列車交換風景。1988年(昭和63年)の秋に撮影。
この翌年に完成した「木津~長尾間の電化工事」がせっせと進められていた時期です。田辺駅の構内にも、真新しい架線柱が立ち上がった頃。
古い木造駅舎とディーゼルカーの組み合わせが懐かしいです。
この駅舎は、今の京田辺駅で言う「西出口」側に当たる位置にありました。

↑田辺駅を発車する、木津ゆきのディーゼルカー。1988年秋に撮影。
正面の行き先表示には「木津-長尾」と掲げて、列車はこの区間を行ったり来たりしていました。
国鉄時代には、両運転台タイプの車両が単行(1両編成)で運用されることもありましたが、
JRになってからは基本的には2両編成で走っていたなぁ…と記憶しています。
調べ直してみると、片町線に「学研都市線」という愛称名が付けられたのは1988年(昭和63年)の春から、だったみたい。
なので、上の写真を撮ったときには学研都市線という呼び名がすでにあったことになります。
古い駅舎とディーゼルカーの組み合わせは〝学研都市線〟のイメージから程遠かったですね。
でも、真新しい架線柱とディーゼルカーの組み合わせで眺めると、新しい時代の幕開けを実感させる光景でした。
「いよいよ〝学研都市線〟がやって来るんだな!」って。

↑上の画像とほぼ同じ地点から写してみた、現在の風景です。(2009年7月5日撮影)
道路と線路の間がフェンスで仕切られてしまいました。
〝都市化する〟っていうのは、こういうことなんだね…。
◇ ◇ ◇
今から24年前のことになるのですが、昭和60年(1985年)の〝きょう〟というか…7月5日に、
私は、当時は非電化だった片町線(非電化だったのは木津~長尾間)のディーゼルカーに〝初めて〟乗りました。
こういうことに関しては、無駄なぐらいに正確な記憶ですが、これは、ちゃんと日付を覚えています。
『日付は7月5日で間違いない! それと…、曜日も確か、平日だったはず…!』
という記憶で、私の中に残っているのです。
念のため、今回、曜日は調べ直してみました。
やっぱり…、金曜日だったようです。(←ほら、平日でしょう)
昭和60年といえば、私は中学生の頃でしたが、ちょうど学校の期末試験が終わった直後で、この日は「平日だけど学校が休み」という一日だったのです。
そういう〝特殊な休日〟に乗りに行ったので、記憶にも残っているのだと思います。
その日は、田辺駅から列車に乗って長尾駅までを1往復してみただけ…、というささやかな初乗りでした。
でも、これがきっかけで、私はディーゼルカーの雰囲気がすっかり気に入ってしまい、その後も何度となく、片町線のディーゼルに乗りに行ったものです。
しかし…、もう24年も経ったのか。
遠い昔のお話になってしまいましたな。
◎おまけ画像◎
↓国鉄時代の田辺駅

↑木造駅舎だったころの田辺駅。国鉄時代です。
1986年1月撮影と、自分では記録しています。

↑田辺駅の構内。ホームから木津方向を望んだ写真。(これも1986年1月撮影)
画面のずうっと奥のほうに、ミツマンボがちらっと見えています。非常に見づらいですが。

↑田辺駅の外から、停車中の列車を写したもの。(1986年1月撮影)
この日は、珍しく、ディーゼル機関車が走っていました。
保線用の車両を引っ張って、木津方向へと走り去っていきました。
田辺駅の構内には「木」がたくさん立っていました(植えられていたのかな?)。小さな花壇もあったように記憶しています。

↑上の画像とほぼ同じ地点から写してみた、現在の様子です。
画面右奥の「鉄塔」は、1986年の当時から存在していましたが、上の画像ではこれを写しとれていません。
でも、これがほぼ同じ地点に立って写した画像なのです。
↓田辺小学校の北側にあった「踏切」付近から撮影

↑田辺駅(京田辺駅)の南方、田辺小学校の北側にあった踏切付近から撮影。
これも、1986年1月の撮影だと思います。(自分ではそう記録している)

↑上の画像とほぼ同一地点から、きょう撮影したものです。
田辺小学校の北側にあった踏切は、現在は陸橋(歩道橋)に改められているので、そこから撮ってみました。
画面奥に見えている「鉄塔」を定点にして新旧画像を比較してもらったらいいと思います。
線路沿いにも住宅などが増えて、現在はこんな風景になっています。

↑こんな写真も出てきたので、貼っておきます。
これも、上の2点とほぼ同じ場所から撮ったものです。
上の2点は線路の西側から撮ったもので、これは線路の東側から撮ったもの。
同様に、画面右奥の「鉄塔」を定点にして見てもらったら良いです。
木津~長尾間の電化が完成したときに写したものです。(1989年春)