
青年部会広報誌のコラム取材(写真集め)のため、きのう、八木西口駅へ行ってきました。
八木西口は、奈良県内にある、近鉄橿原線の駅です。
京都駅から近鉄の急行電車に乗りますと…、
「この電車は、橿原神宮前ゆき急行です。途中の停車駅は、東寺、竹田、丹波橋、桃山御陵前、大久保、新田辺、新祝園、高の原、大和西大寺、西ノ京、郡山、平端、田原本、大和八木、八木西口、畝傍御陵前です」(急行の西ノ京停車は土曜休日ダイヤの昼間のみ)
…といったぐあいで、八木西口は、橿原神宮前を目前にした最後の最後に出てくる駅です。
この駅で下車するのは、私は今回が初めて…かな?
中学時代に、遠足でこの界隈へ来たことがあったはずなのですが。
あのときは八木西口で降りたんだったっけ?
橿原神宮前まで乗って行ったのかな。
えっ? 畝傍御陵前で降りた?
さっぱり覚えてないな…。
↓以下、画像です。

↑八木西口駅の入口。
ここから階段を下りて、改札口は地下にあります。
そのあと、また階段を上って、ホームは地上にあります。

↑橿原神宮前ゆき各駅停車が到着。(大和西大寺から走ってきた列車です。最後尾の車両を撮影したもの)
この駅には、急行と各駅停車が止まります。
※『時刻表』の上では、大和西大寺から橿原神宮前までを結ぶ各駅停車として設定されているのですが…。
車両運用の都合なのか、昼間のダイヤでは、京都発→大和西大寺ゆきの各駅停車(京都線の各停)は、
終点の大和西大寺に到着すると、そのまま橿原神宮前ゆき各駅停車に化けて運転を続けることが多い。
なので、画像の列車も、京都から延々と各駅に停車しながら走ってきたやつだったかも…。

↑橿原神宮前ゆき特急が通過するところ。(京都から走ってきた列車です)
終点の橿原神宮前で、吉野ゆき特急(南大阪・吉野線系統)にスムーズに乗り換えられるようにダイヤが組まれています。
「吉野連絡」のプレートを付けて走るのは、そういう意味です。

↑八木西口駅の特徴である、駅構内の渡り線(上り線と下り線を結ぶ線路)。
定期列車はこの渡り線を通ることはありませんが、大阪線から橿原線への車両の移動や、回送列車・臨時列車の運行時、この線路が威力を発揮します。
ちゃんと油も塗られて、錆ついていないポイント(分岐器)が、この渡り線が人知れず活用されていることを物語っています。
画像は、橿原神宮前からの京都ゆき急行が滑り込んでくるところです。

↑駅の外へ出て、橿原神宮前側から八木西口駅を写してみました。
画像中、駅の手前で線路の頭上を横切っているガード橋は、JR桜井線の線路です。(←新しく、路線愛称名が付けられたんだったっけな)
JR桜井線の畝傍駅(うねび駅)が、ここから近いです。
八木西口駅から東へ歩いて行くと、10分ぐらいで(10分もかからないかな…)JR畝傍駅に着きます。

↑大和西大寺方面への出発信号機。信号機がふたつあります。
駅を出たところにポイントがあって、線路は二方向に分かれる仕組みです。
ポイントを真っ直ぐ進むのが橿原線(大和西大寺・京都方面へ向かいます)で、ポイントを左へ進むと大阪線に通じる連絡線(短絡線)です。
定期列車はすべて直進して橿原線を進んでいきます。ここから大阪線へ乗り入れていく定期列車はありません。

↑ホームのそばに残る、錆ついた線路。(これはもう使われていない線路みたいです)
京都~伊勢間の直通特急が運行開始した頃は、現在の新ノ口短絡線がまだ出来ていなくて、
列車は橿原線でこの八木西口まで走ってきて、スイッチバックで大阪線に入り、そのあともう一度スイッチバックして、
伊勢方面を向いて走って行ったそうです。(←この認識で合っていたかな?)
列車運行上の要衝というか、大事な役割を果たしてきた駅なのですね。
こんなふうに側線が残っているのは、当時の名残りかも。

↑せっかくなので、JR畝傍駅へも行ってみました。
大正時代の建立とある大きな「橿原神宮」の石碑(石塔)が目に止まります。
時間がなかったので、ゆっくり見てこれませんでしたが、〝往時〟を偲ばせる風情に包みこまれた駅のようでした。
また行ってみたい駅です。

↑きのうの乗車ルートは、大和西大寺~八木西口間を橿原線で往復してきただけ…。
行きは各停電車に乗って行きました。
帰りも八木西口から各停電車に乗り込んだのですが、次の大和八木に着いたら、
「西大寺へはあとの特急が先に着く」
と、アナウンスがあったので、急遽、特急に乗り換えてみました。
賢島からの京都ゆき特急「伊勢志摩ライナー」でした。(なので、大和八木駅では大阪線ホームから発車します)
八木15:25発→西大寺15:48着です。わずか23分間ですが、特急電車で旅行気分
