平成28年5月27日(金)の、画像まとめです。
東北(宮城県)から京都へ帰ってきた日です。
宮城から山形・新潟へぐるっと迂回して、乗りテツしながら京都へ帰ってきました
↑当日使用したきっぷ。前日(26日)に、小牛田駅で買っておいたもの。
小牛田から陸羽東線→陸羽西線を進んで余目、羽越本線で日本海沿いに新潟方面へ、新潟駅から新幹線(東京経由)で京都まで、というコース。
↑5月27日の朝。
宮城県大崎市のJR古川駅前「ホテルルートイン」10階客室から、おはようございます。 あいにくのお天気やね
画像の正面に見えているのがJR古川駅です。
↑朝食バイキングをしっかりいただいて、準備万端
8時15分ごろホテルを出発して、古川駅へ向かいました。
↑古川駅前。 ここは、東北新幹線と陸羽東線(りくう とうせん)の乗換駅です。
↑まずはイコカで改札口を通り、ホームに降りて、きょう1本目の列車に乗り込みます。
古川8時32分発、陸羽東線上り列車、小牛田(こごた)ゆきです。
「わざわざ、小牛田まで〝バック〟するのか!? (うすうす感じては いたんだけど…)」
と気になっていた方もおられるでしょうけれど()、まず、きのう乗ってきた区間をバックして、いったん小牛田へ向かいます。
小牛田で折り返し発車する段からを〝正式スタート〟として、陸羽東線を新庄方面へ向かうことにします。
↑8時45分ごろに小牛田(こごた)へ着きました。
イコカの使用はここまでで、いったん改札口から退場して、きのう夕刻に降り立った駅前へ再び出てみました。
曇り空と濡れた路面を見ると気分は憂鬱ですが、この時刻、小牛田駅前の雨はほとんど止んでいました。
↑記事冒頭で紹介した「小牛田→京都市内」の乗車券で改札口を入り、京都へ向けての乗り継ぎが始まりました。わくわくしますわ
小牛田駅の跨線橋を、陸羽東線が発車する1番線ホームへ向かいます。
◎参考◎ 小牛田駅について
宮脇俊三著『終着駅へ行ってきます』の中から、「女川(石巻線)」の章より、引用します。
東北本線小牛田駅は、いかにも鉄道の停車場といった風格のある駅だ。
ここで陸羽東線に乗りかえれば鳴子をへて山形県の新庄に達し、東へ向う石巻線に乗れば石巻から女川へと至る。鉄道の十字路、交通の要衝なのである。構内は広く、機関車や転車台の跡があり、長いホームの屋根や跨線橋は煤けて、蒸気機関車時代の面影をとどめている。蒸機のいないのが不自然なような駅である。
交通の要衝ではあっても、小牛田の町は小さい。一般に幹線の主要駅は、はじめは野っ原であっても、しだいに駅を中心に町が形成されて発達するのが明治いらいの人文地理の法則である。けれども、小牛田の場合は、さして発展しないまま今日に至っている。要するに、駅にくらべて町が小さいのだ。
そのためか、東北新幹線は小牛田を見離した。小牛田の西方約九キロ地点にある古川市に新幹線の駅がつくられた。
古川は陸羽街道(国道4号線)の宿場町であり、「ササニシキ」の中心都市であり、古川経由のほうが東北新幹線の経路が若干短縮されるので、この処置に異存はないけれど、明治二三年の日本鉄道(東北本線の前身)の開通いらい九〇余年にわたって煤けながら頑張ってきた小牛田の心中を察すると同情を禁じえない。
引用おわり。
※原文のまま記載。
宮脇俊三がこれを記したのは、東北新幹線開業直前の昭和57年(1982年)春ごろだったと思われる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
陸羽東線 (りくうとうせん)
↑小牛田駅1番線、陸羽東線の新庄ゆき。キハ111形+キハ112形の2両編成、という表現でいいのかな。キハ100系シリーズですね。
先頭車両の運転席の窓下には、葉っぱのようなイラスト。「奥の細道」という文字も見えます。
↑小牛田9時06分発の、新庄ゆきです。
昨晩を古川駅前で泊まっておいて、今朝再び小牛田まで来たのは、この列車が混雑したらどうしようかと不安に思ったからです。
古川の駅からこの列車に乗り込んだ場合に、すでに車内が満席だったら嫌だな~って思ったものですから。
確実に座席を確保するために、始発駅の小牛田まで出向いた-、というのが本当の理由です。
そういうシナリオを前提に、きのう、この駅で乗車券を買っておいたのです。
「だったら…、ゆうべは小牛田に泊まれば良かったんじゃないの?」
「いや…、宿泊に関しては、ルートイン(ホテル)に泊まりたかったので」
「あっそうか ルートインが気に入ってるって書いてたな。それで古川だったのか。しかし、ルートインに何があるんや、いったい」
「お風呂やねん。ルートインには大浴場があって(←決して広くはないけど)、足を伸ばして風呂に入ることができる。それがいいねん」
↑が…、通勤通学の人波が過ぎたこの時間帯、陸羽東線の乗客はそんなに多くなく、小牛田の発車時刻が近づいても車内はガラガラでした。
「この様子なら、古川から乗っても全然大丈夫だったな」 と思ったりしたけれど、それは結果論。
車両の出入口のところにも〝葉っぱ〟のイラストですね。
「ゆ、け、む、り、ライン か…」と、思わずつぶやきながら読んでみた私です。
陸羽東線の愛称名は<奥の細道 ゆけむりライン>というそう。確かに、この線には〝温泉〟が付く駅名が多いです。
↑まもなく発車です。
↑小牛田を定刻9時06分に発車。
ホームを離れるとすぐに、石巻線のレールが右手のほうへ遠のいていきました。
↑続いて、わが陸羽東線も ぐいっと左へ首を振り、東北本線に別れを告げました。
小牛田から新庄まで94.1kmの道のり、陸羽東線の旅が始まりました。列車は、新庄まで各駅に停車します。
↑小牛田から約10分で、古川へ戻ってきました~
画面、左右に横たわっているのが東北新幹線の古川駅。
陸羽東線は新幹線の下をくぐり抜ける格好です。双方の線路が十字型の立体交差になっている、乗換駅です。
↑駅ホームからも、ルートインが見えました。
ここから陸羽東線は〝大崎市〟の市域に入ります。
古川駅から先、新庄方面へは、宮城県内最後の駅・中山平温泉まで、ずうっと大崎市内を走ります。大崎市って、広いんやね。
↑古川を発車したところ。
貨物駅もくっ付いているのですね。 新幹線が通る以前から、この駅も物流拠点のひとつだったんやね。
↑古川を出ると、塚目(つかめ)、西古川(にしふるかわ)、そして、東大崎の順です。ちなみに、この次の駅は西大崎(にしおおさき)。
ようやく、「大崎」という言葉が駅名にも出てきたね。この付近が、大崎という地名の起源になる場所なのかな?
市町合併により、現在この地域は広い範囲にわたって「大崎市」という区分でまとまっているようです。
私みたいな他所の者には、大崎市という市名がどうもピンとこない …っていうのが正直なところ。
「宮城県大崎市って、どのへんなん?」って、思っていました。
これを機に、大崎市の名前を覚えておこうと思います
↑岩出山にて。
鉄道資料館…? 気になる施設やな。またの機会に訪ねましょう。(←いつだよ)
↑乗客は多くないうえに2両編成とあって、車内は空席多数でノンビリなムードでした。
↑有備館(ゆうびかん)にて。
↑自然情緒あふれる風景の中を走ります。
↑とにかく、車窓には田んぼがたくさん見えました。
田植えが済んでまだ日が浅いようで、水面(水田)に周囲の風景が映り込む様子も 随所で見られました。
私は、こういう風景が大好きです。地元の京都南部でも見られるけれどね。
↑池月(いけづき)にて。
この線区、プラットホームに植え込みがある駅が多かったように思います。
↑川渡温泉(かわたびおんせん)にて。
↑走るにつれて谷が狭まってくる印象というか、車窓の景色がだんだん山がちになってきました。
列車も、登り勾配にさしかかったようです。
新世代のディーゼルカーなので、エンジン出力には余裕があり 坂道をパワフルに登っていきます
↑鳴子御殿湯(なるこごてんゆ)にて。
↑線路は山肌に張り付いているようで、一段高い目線で町並みを眺めながら列車は走ります。
↑ちょうど10時を回ったころ、鳴子温泉(なるこおんせん)に到着しました。小牛田からここまで、ほぼ1時間。
温泉地として有名な鳴子です。伝統こけしの産地としてもよく知られていますね。
陸羽東線にとっても、ここは主要駅であり、この駅が始発・終着となる列車も少なくありません。
私が乗っているこの列車、ここまで途中駅での乗降が乏しかったですが、鳴子温泉駅からは新たに5~6人が乗ってこられました。
この列車の状況からすれば〝大量乗車〟と言って良いです。
乗ってこられたのはご年配の方が多かったです。服装や手荷物の印象から、観光旅行客に間違いなし! 温泉地だものな
↑前方の山々が 車窓に押し迫ってくる感じがあって、「こりゃぁ、トンネルがくるぞ」という予感がしました。
カメラを構えてじぃーっと待って、トンネル入口の瞬間に〝カシャッ〟と。
いいタイミングで写せたと思う
↑1両目も2両目も、相変わらず空いています。
さきほど鳴子温泉から乗ってきた乗客たちも、みんなボックス席を確保して座っていました。
↑中山平温泉(なかやまだいらおんせん)に着くところ。
道路と駅前広場と線路敷との〝仕切り〟が無いように見えますね。この光景、思わず1枚写してしまった。
画面中央に小さく写っていますが、蒸気機関車が保存してありました。野ざらしで、けっこう退色しているようでしたけれども。
ここが宮城県最後の駅です。そして、古川からここまでがずうっと大崎市でした。大崎市、ホンマに広いわ
↑山あいを駆け抜けています。
先ほどまで車窓の大部分を占めていた「水田の風景」が、ちょっと控えめになりましたね
↑堺田(さかいだ)にて。 宮城県に別れを告げて、この駅から山形県に入りました。
「山形日和。」というステッカーが貼ってありますね。
↑県境を越えた列車は、こんどは下り勾配を駆けおりていきます。
↑最上(もがみ)にて。 山形県最上町(もがみまち)という町。周囲を山々に囲まれたのどかな土地みたいです。
ここで、対向の小牛田ゆき列車と行き違い。
↑車窓風景に田んぼが復活!したけれど、行く手には また山が迫ってきました。
地図を見ると、最上町から先へ、もうひとつ山を越えたら新庄にたどり着くようです。
田んぼが多いとはいうものの、決して広大な平坦地というわけではないのです。陸羽東線の車窓は、けっこう山がちな印象です。
↑鵜杉(うすぎ)にて。なんか、変わった駅名だなぁと思いました。
↑南新庄にて。次が、終着の新庄です。
↑山形新幹線の車両を横目に見ながら、新庄駅のホームに滑り込んでいきます。
↑11時10分、終点の新庄に到着。
小牛田から2時間ちょっとの長旅でした。
キハ111形+112形、お疲れさまー。乗客は少なめだったけれど、快適な列車旅でした。
陸羽西線 (りくうさいせん)
↑新庄で乗り換えて、途中下車など休憩は一切無しで()、陸羽西線に進みます。
陸羽西線は、新庄から余目までを結ぶ43.0kmの線です。陸羽東線よりはうんと距離が短いです。
最上川(もがみがわ)に沿って走り、日本海側の庄内平野へ至る路線です。
『おしん』の少女時代の物語の舞台が、この地域でしたね。
↑新庄にて。
山形新幹線E3系電車。 いつのまにか、山形新幹線(車体)はこんな色に変わったんやね。
この画像、同じ車両がふたつ並んでいるように見えますが、よく見たらテールライト(赤灯)のポジションが違うでしょう?
左の車両がE3系2000番台、右の車両がE3系1000番台、です。(細かいわ)
↑新庄にて。
左が、今から私が乗り継ぐ陸羽西線の列車。 右は、奥羽本線(横手・大曲方面)の秋田ゆき普通電車701系。
新庄駅は、各方面からの線路が集まる交通の要衝です。
↑新庄での乗り継ぎ時間は5分。 新庄11時15分発、陸羽西線回り酒田ゆき。
これもキハ111形+キハ112形の2両編成でした。 ただし、車体塗装はノーマル。
↑ホームをうろうろして写真撮っていたので、列車に乗り込んだらロングシートしか空いていなかった
まあ、いいや
↑定刻に新庄を発車して、陸羽西線の旅がスタート。
しばらく奥羽本線のレールと横並びで進んで、おもむろに左へ首を振りました。ぐいぐい、左へカーブしていきます。
奥羽本線、ばいばいき~ん
↑ここでも、窓の外には田んぼが広がります。
田んぼの1枚1枚も、京都南部のそれよりは はるかに広い(大きい)ように見えます。間違いなく、田んぼがデカい。
↑羽前前波。
駅名標越しに見える風景も、田んぼです。
↑写すタイミングが遅れましたけれども、前方に鉄橋が見えてきたので、撮ってみました。
青い鉄橋、みえますか。
↑その鉄橋を渡っています。 これが、最上川。
いよいよ、最上川が姿を見せてくれました
↑古口(ふるくち)にて。
名所案内に「最上峡」の文字が見えます。舟下り観光はこの駅で下車するのが便利ということかな。
↑古口では、まとまった下車がありました。
地元の方たちとともに、旅行カバンらしき大きな荷物を手にした方々も何人か降りていきました。
だからと言って、即、舟下りの観光客だと決めつけるわけにもいかないけれど…
↑車窓に、最上川が見えています。
周囲の山々が次第に川沿いに迫ってきました。
↑最上川の流れは、いたって穏やかです。(穏やかに見えます)
↑こういう風景も〝峡谷〟のうちに入るのかもしれないけれど、断崖・激流みたいな 急峻な印象はまったくありません。
しばらく、ぼんやり眺めていたいような、そんな車窓風景です
↑…と思ったら、トンネルに入ってしまったり
「つれないなぁ」
↑遠目ですが、川面に何か浮かんでいますね
あれが、舟下りか。きっと、そうやわ。
↑やがて、車窓から山々が遠ざかっていきました。
最上川も、向こうのほうへ離れていきました。
山あいの区間を抜けて、庄内平野へ出てきたのです。
↑今朝はイマイチな天気でしたが、だんだん回復しているようで、時折、日差しも出てきました。
↑南野(みなみの)にて。 次が、余目です。
↑電化の羽越本線のレールが見えてきました。
陸羽西線は、そこへぐぐーっと寄せていく感じで接近し、余目に到着しました。
↑余目に到着。 ちょうどお昼、12時02分に到着。確か、定刻着だったと思います。
ここで下車したのは、私と、ほかに1人だけでした。
列車は羽越本線直通の酒田ゆきです。ほとんどの乗客は酒田まで乗っていくみたいやね。
↑余目にて。
隣りに見えている列車は、ここで行き違う、陸羽西線上り・新庄ゆき。
↑乗ってきた列車が、酒田へ向けて出ていきます。 一応、見送る私。
陸羽西線も無事に乗ることができました。ありがとう~
(つづく)
◎おまけ◎ 余目駅のようす
↑ホームの柱に、「おくりびと ロケ地」というプレートが付いていますね。
映画『おくりびと』のなかで、広末涼子さんが出てくるシーンのひとつが、この駅のホームで撮影されたそう。
東北(宮城県)から京都へ帰ってきた日です。
宮城から山形・新潟へぐるっと迂回して、乗りテツしながら京都へ帰ってきました
↑当日使用したきっぷ。前日(26日)に、小牛田駅で買っておいたもの。
小牛田から陸羽東線→陸羽西線を進んで余目、羽越本線で日本海沿いに新潟方面へ、新潟駅から新幹線(東京経由)で京都まで、というコース。
↑5月27日の朝。
宮城県大崎市のJR古川駅前「ホテルルートイン」10階客室から、おはようございます。 あいにくのお天気やね
画像の正面に見えているのがJR古川駅です。
↑朝食バイキングをしっかりいただいて、準備万端
8時15分ごろホテルを出発して、古川駅へ向かいました。
↑古川駅前。 ここは、東北新幹線と陸羽東線(りくう とうせん)の乗換駅です。
↑まずはイコカで改札口を通り、ホームに降りて、きょう1本目の列車に乗り込みます。
古川8時32分発、陸羽東線上り列車、小牛田(こごた)ゆきです。
「わざわざ、小牛田まで〝バック〟するのか!? (うすうす感じては いたんだけど…)」
と気になっていた方もおられるでしょうけれど()、まず、きのう乗ってきた区間をバックして、いったん小牛田へ向かいます。
小牛田で折り返し発車する段からを〝正式スタート〟として、陸羽東線を新庄方面へ向かうことにします。
↑8時45分ごろに小牛田(こごた)へ着きました。
イコカの使用はここまでで、いったん改札口から退場して、きのう夕刻に降り立った駅前へ再び出てみました。
曇り空と濡れた路面を見ると気分は憂鬱ですが、この時刻、小牛田駅前の雨はほとんど止んでいました。
↑記事冒頭で紹介した「小牛田→京都市内」の乗車券で改札口を入り、京都へ向けての乗り継ぎが始まりました。わくわくしますわ
小牛田駅の跨線橋を、陸羽東線が発車する1番線ホームへ向かいます。
◎参考◎ 小牛田駅について
宮脇俊三著『終着駅へ行ってきます』の中から、「女川(石巻線)」の章より、引用します。
東北本線小牛田駅は、いかにも鉄道の停車場といった風格のある駅だ。
ここで陸羽東線に乗りかえれば鳴子をへて山形県の新庄に達し、東へ向う石巻線に乗れば石巻から女川へと至る。鉄道の十字路、交通の要衝なのである。構内は広く、機関車や転車台の跡があり、長いホームの屋根や跨線橋は煤けて、蒸気機関車時代の面影をとどめている。蒸機のいないのが不自然なような駅である。
交通の要衝ではあっても、小牛田の町は小さい。一般に幹線の主要駅は、はじめは野っ原であっても、しだいに駅を中心に町が形成されて発達するのが明治いらいの人文地理の法則である。けれども、小牛田の場合は、さして発展しないまま今日に至っている。要するに、駅にくらべて町が小さいのだ。
そのためか、東北新幹線は小牛田を見離した。小牛田の西方約九キロ地点にある古川市に新幹線の駅がつくられた。
古川は陸羽街道(国道4号線)の宿場町であり、「ササニシキ」の中心都市であり、古川経由のほうが東北新幹線の経路が若干短縮されるので、この処置に異存はないけれど、明治二三年の日本鉄道(東北本線の前身)の開通いらい九〇余年にわたって煤けながら頑張ってきた小牛田の心中を察すると同情を禁じえない。
引用おわり。
※原文のまま記載。
宮脇俊三がこれを記したのは、東北新幹線開業直前の昭和57年(1982年)春ごろだったと思われる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
陸羽東線 (りくうとうせん)
↑小牛田駅1番線、陸羽東線の新庄ゆき。キハ111形+キハ112形の2両編成、という表現でいいのかな。キハ100系シリーズですね。
先頭車両の運転席の窓下には、葉っぱのようなイラスト。「奥の細道」という文字も見えます。
↑小牛田9時06分発の、新庄ゆきです。
昨晩を古川駅前で泊まっておいて、今朝再び小牛田まで来たのは、この列車が混雑したらどうしようかと不安に思ったからです。
古川の駅からこの列車に乗り込んだ場合に、すでに車内が満席だったら嫌だな~って思ったものですから。
確実に座席を確保するために、始発駅の小牛田まで出向いた-、というのが本当の理由です。
そういうシナリオを前提に、きのう、この駅で乗車券を買っておいたのです。
「だったら…、ゆうべは小牛田に泊まれば良かったんじゃないの?」
「いや…、宿泊に関しては、ルートイン(ホテル)に泊まりたかったので」
「あっそうか ルートインが気に入ってるって書いてたな。それで古川だったのか。しかし、ルートインに何があるんや、いったい」
「お風呂やねん。ルートインには大浴場があって(←決して広くはないけど)、足を伸ばして風呂に入ることができる。それがいいねん」
↑が…、通勤通学の人波が過ぎたこの時間帯、陸羽東線の乗客はそんなに多くなく、小牛田の発車時刻が近づいても車内はガラガラでした。
「この様子なら、古川から乗っても全然大丈夫だったな」 と思ったりしたけれど、それは結果論。
車両の出入口のところにも〝葉っぱ〟のイラストですね。
「ゆ、け、む、り、ライン か…」と、思わずつぶやきながら読んでみた私です。
陸羽東線の愛称名は<奥の細道 ゆけむりライン>というそう。確かに、この線には〝温泉〟が付く駅名が多いです。
↑まもなく発車です。
↑小牛田を定刻9時06分に発車。
ホームを離れるとすぐに、石巻線のレールが右手のほうへ遠のいていきました。
↑続いて、わが陸羽東線も ぐいっと左へ首を振り、東北本線に別れを告げました。
小牛田から新庄まで94.1kmの道のり、陸羽東線の旅が始まりました。列車は、新庄まで各駅に停車します。
↑小牛田から約10分で、古川へ戻ってきました~
画面、左右に横たわっているのが東北新幹線の古川駅。
陸羽東線は新幹線の下をくぐり抜ける格好です。双方の線路が十字型の立体交差になっている、乗換駅です。
↑駅ホームからも、ルートインが見えました。
ここから陸羽東線は〝大崎市〟の市域に入ります。
古川駅から先、新庄方面へは、宮城県内最後の駅・中山平温泉まで、ずうっと大崎市内を走ります。大崎市って、広いんやね。
↑古川を発車したところ。
貨物駅もくっ付いているのですね。 新幹線が通る以前から、この駅も物流拠点のひとつだったんやね。
↑古川を出ると、塚目(つかめ)、西古川(にしふるかわ)、そして、東大崎の順です。ちなみに、この次の駅は西大崎(にしおおさき)。
ようやく、「大崎」という言葉が駅名にも出てきたね。この付近が、大崎という地名の起源になる場所なのかな?
市町合併により、現在この地域は広い範囲にわたって「大崎市」という区分でまとまっているようです。
私みたいな他所の者には、大崎市という市名がどうもピンとこない …っていうのが正直なところ。
「宮城県大崎市って、どのへんなん?」って、思っていました。
これを機に、大崎市の名前を覚えておこうと思います
↑岩出山にて。
鉄道資料館…? 気になる施設やな。またの機会に訪ねましょう。(←いつだよ)
↑乗客は多くないうえに2両編成とあって、車内は空席多数でノンビリなムードでした。
↑有備館(ゆうびかん)にて。
↑自然情緒あふれる風景の中を走ります。
↑とにかく、車窓には田んぼがたくさん見えました。
田植えが済んでまだ日が浅いようで、水面(水田)に周囲の風景が映り込む様子も 随所で見られました。
私は、こういう風景が大好きです。地元の京都南部でも見られるけれどね。
↑池月(いけづき)にて。
この線区、プラットホームに植え込みがある駅が多かったように思います。
↑川渡温泉(かわたびおんせん)にて。
↑走るにつれて谷が狭まってくる印象というか、車窓の景色がだんだん山がちになってきました。
列車も、登り勾配にさしかかったようです。
新世代のディーゼルカーなので、エンジン出力には余裕があり 坂道をパワフルに登っていきます
↑鳴子御殿湯(なるこごてんゆ)にて。
↑線路は山肌に張り付いているようで、一段高い目線で町並みを眺めながら列車は走ります。
↑ちょうど10時を回ったころ、鳴子温泉(なるこおんせん)に到着しました。小牛田からここまで、ほぼ1時間。
温泉地として有名な鳴子です。伝統こけしの産地としてもよく知られていますね。
陸羽東線にとっても、ここは主要駅であり、この駅が始発・終着となる列車も少なくありません。
私が乗っているこの列車、ここまで途中駅での乗降が乏しかったですが、鳴子温泉駅からは新たに5~6人が乗ってこられました。
この列車の状況からすれば〝大量乗車〟と言って良いです。
乗ってこられたのはご年配の方が多かったです。服装や手荷物の印象から、観光旅行客に間違いなし! 温泉地だものな
↑前方の山々が 車窓に押し迫ってくる感じがあって、「こりゃぁ、トンネルがくるぞ」という予感がしました。
カメラを構えてじぃーっと待って、トンネル入口の瞬間に〝カシャッ〟と。
いいタイミングで写せたと思う
↑1両目も2両目も、相変わらず空いています。
さきほど鳴子温泉から乗ってきた乗客たちも、みんなボックス席を確保して座っていました。
↑中山平温泉(なかやまだいらおんせん)に着くところ。
道路と駅前広場と線路敷との〝仕切り〟が無いように見えますね。この光景、思わず1枚写してしまった。
画面中央に小さく写っていますが、蒸気機関車が保存してありました。野ざらしで、けっこう退色しているようでしたけれども。
ここが宮城県最後の駅です。そして、古川からここまでがずうっと大崎市でした。大崎市、ホンマに広いわ
↑山あいを駆け抜けています。
先ほどまで車窓の大部分を占めていた「水田の風景」が、ちょっと控えめになりましたね
↑堺田(さかいだ)にて。 宮城県に別れを告げて、この駅から山形県に入りました。
「山形日和。」というステッカーが貼ってありますね。
↑県境を越えた列車は、こんどは下り勾配を駆けおりていきます。
↑最上(もがみ)にて。 山形県最上町(もがみまち)という町。周囲を山々に囲まれたのどかな土地みたいです。
ここで、対向の小牛田ゆき列車と行き違い。
↑車窓風景に田んぼが復活!したけれど、行く手には また山が迫ってきました。
地図を見ると、最上町から先へ、もうひとつ山を越えたら新庄にたどり着くようです。
田んぼが多いとはいうものの、決して広大な平坦地というわけではないのです。陸羽東線の車窓は、けっこう山がちな印象です。
↑鵜杉(うすぎ)にて。なんか、変わった駅名だなぁと思いました。
↑南新庄にて。次が、終着の新庄です。
↑山形新幹線の車両を横目に見ながら、新庄駅のホームに滑り込んでいきます。
↑11時10分、終点の新庄に到着。
小牛田から2時間ちょっとの長旅でした。
キハ111形+112形、お疲れさまー。乗客は少なめだったけれど、快適な列車旅でした。
陸羽西線 (りくうさいせん)
↑新庄で乗り換えて、途中下車など休憩は一切無しで()、陸羽西線に進みます。
陸羽西線は、新庄から余目までを結ぶ43.0kmの線です。陸羽東線よりはうんと距離が短いです。
最上川(もがみがわ)に沿って走り、日本海側の庄内平野へ至る路線です。
『おしん』の少女時代の物語の舞台が、この地域でしたね。
↑新庄にて。
山形新幹線E3系電車。 いつのまにか、山形新幹線(車体)はこんな色に変わったんやね。
この画像、同じ車両がふたつ並んでいるように見えますが、よく見たらテールライト(赤灯)のポジションが違うでしょう?
左の車両がE3系2000番台、右の車両がE3系1000番台、です。(細かいわ)
↑新庄にて。
左が、今から私が乗り継ぐ陸羽西線の列車。 右は、奥羽本線(横手・大曲方面)の秋田ゆき普通電車701系。
新庄駅は、各方面からの線路が集まる交通の要衝です。
↑新庄での乗り継ぎ時間は5分。 新庄11時15分発、陸羽西線回り酒田ゆき。
これもキハ111形+キハ112形の2両編成でした。 ただし、車体塗装はノーマル。
↑ホームをうろうろして写真撮っていたので、列車に乗り込んだらロングシートしか空いていなかった
まあ、いいや
↑定刻に新庄を発車して、陸羽西線の旅がスタート。
しばらく奥羽本線のレールと横並びで進んで、おもむろに左へ首を振りました。ぐいぐい、左へカーブしていきます。
奥羽本線、ばいばいき~ん
↑ここでも、窓の外には田んぼが広がります。
田んぼの1枚1枚も、京都南部のそれよりは はるかに広い(大きい)ように見えます。間違いなく、田んぼがデカい。
↑羽前前波。
駅名標越しに見える風景も、田んぼです。
↑写すタイミングが遅れましたけれども、前方に鉄橋が見えてきたので、撮ってみました。
青い鉄橋、みえますか。
↑その鉄橋を渡っています。 これが、最上川。
いよいよ、最上川が姿を見せてくれました
↑古口(ふるくち)にて。
名所案内に「最上峡」の文字が見えます。舟下り観光はこの駅で下車するのが便利ということかな。
↑古口では、まとまった下車がありました。
地元の方たちとともに、旅行カバンらしき大きな荷物を手にした方々も何人か降りていきました。
だからと言って、即、舟下りの観光客だと決めつけるわけにもいかないけれど…
↑車窓に、最上川が見えています。
周囲の山々が次第に川沿いに迫ってきました。
↑最上川の流れは、いたって穏やかです。(穏やかに見えます)
↑こういう風景も〝峡谷〟のうちに入るのかもしれないけれど、断崖・激流みたいな 急峻な印象はまったくありません。
しばらく、ぼんやり眺めていたいような、そんな車窓風景です
↑…と思ったら、トンネルに入ってしまったり
「つれないなぁ」
↑遠目ですが、川面に何か浮かんでいますね
あれが、舟下りか。きっと、そうやわ。
↑やがて、車窓から山々が遠ざかっていきました。
最上川も、向こうのほうへ離れていきました。
山あいの区間を抜けて、庄内平野へ出てきたのです。
↑今朝はイマイチな天気でしたが、だんだん回復しているようで、時折、日差しも出てきました。
↑南野(みなみの)にて。 次が、余目です。
↑電化の羽越本線のレールが見えてきました。
陸羽西線は、そこへぐぐーっと寄せていく感じで接近し、余目に到着しました。
↑余目に到着。 ちょうどお昼、12時02分に到着。確か、定刻着だったと思います。
ここで下車したのは、私と、ほかに1人だけでした。
列車は羽越本線直通の酒田ゆきです。ほとんどの乗客は酒田まで乗っていくみたいやね。
↑余目にて。
隣りに見えている列車は、ここで行き違う、陸羽西線上り・新庄ゆき。
↑乗ってきた列車が、酒田へ向けて出ていきます。 一応、見送る私。
陸羽西線も無事に乗ることができました。ありがとう~
(つづく)
◎おまけ◎ 余目駅のようす
↑ホームの柱に、「おくりびと ロケ地」というプレートが付いていますね。
映画『おくりびと』のなかで、広末涼子さんが出てくるシーンのひとつが、この駅のホームで撮影されたそう。
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