去る9月29日(火)に、水戸線と水郡線(すいぐんせん)に乗ってきたので、そのときの画像を貼っておきます。
↑今回の乗車券。
いつも通り、旅行前日に地元で買っておきました。
京都から新幹線東京経由で小山へ、水戸線で水戸へ行き、水郡線で安積永盛へ至り、そこから東北本線で宇都宮まで、の片道切符にしました。
水郡線の支線(常陸太田支線)に乗るぶんの乗車券は、当日現地で買い足すことにしました。
◇ ◇ ◇
平成27年9月29日(火)、天気晴れ。
朝6時前に自宅を出発し、近鉄電車で京都駅へ出て、京都6時38分の「のぞみ100号」東京ゆきに乗りました。
早朝から関東方面へ乗りに出かけるときに、しばしば利用している「のぞみ100号」です。
6時38分発っていうのが、京都駅まで近鉄の急行電車でやってきて乗り継ぐのに、ちょうどいい時刻なのです。
京都から乗り込むぶんには どうでもいいことなんだけど、この「のぞみ100号」は〝西明石始発〟ののぞみ号という変わり種です。
「のぞみ100号」は定時運行により、午前9時前に東京駅へ到着しました。
私はすぐさま東北新幹線ホームへ乗り換え移動して、東京9時16分発「なすの255号」郡山ゆきに乗り込み、午前10時前に小山駅へ着きました。
↑「なすの255号」の車窓から。
↑午前10時前に、小山へ着きました。
「なすの255号」は、はやぶさ・こまち編成(E5系+E6系)の17両編成でした。普通車はすべて自由席。
↑水戸線と水郡線。
水戸線(みとせん)は、東北本線の小山(おやま)から 常磐線の友部(ともべ)までを結ぶ線。
水郡線(すいぐんせん)は、常磐線の水戸からスタートして福島県の郡山方面(安積永盛〔あさかながもり〕)へ結ばれている線です。
水戸線 (小山→友部)
↑それでは、まず、小山駅から「水戸線」に乗ることにします。
小山10時08分発、水戸線から常磐線へ直通する 普通 勝田ゆきに乗ります。
↑小山駅の水戸線ホームにて。
私が乗った10時08分発は、画面左側(16番線)に見えている列車です。
水戸線は交流電化(小山駅構内のみ直流電化だそう)なので、車両は交直流電車のE531系。常磐線と同じ車両やね。
↑小山発車の際、東北本線(宇都宮線)の電車遅れによる接続待ちがあり、所定より3分ほど延発しました。
車掌が、車内放送でそのことをしきりにお詫びしていました。
「3分の遅れぐらい、一向に構わないぞ…」と、私は思いながら乗っています。
小山から二つめの駅、結城(ゆうき)。
↑タタンタタン…と、軽やかにレールを鳴らしながら走っていきます。
↑列車はE531系の5両編成。
この時間帯、この区間では、乗客も多くなくて、車内もガランとして静かでした。
私も、小山で乗り込んだ時からボックス席を確保できました。
↑気持ちよい青空が広がっています。
↑東結城~川島間で、鬼怒川にかかる鉄橋をわたりました。
先日の大雨で洪水被害が出た常総市は、ここからもう少し下流にあります。
↑鬼怒川の鉄橋にて。
中州に群生している草とかも、泥にまみれて、なぎ倒されている様子が見てとれました。大雨による増水があったことが窺えます。
普段は、これぐらいの水量で流れている川なんやね。
↑小山から20分ほどで、下館(しもだて)に着きました。10時30分の定刻着でした。
「小山を発車した時は3分遅れだったが、遅れを回復し、現在は時刻通りに運行しており、下館には定刻に着く」旨、車掌の案内放送もありました。
下館は、関東鉄道(常総線)と真岡鐡道線への乗り換え駅。
関東鉄道の常総線は、洪水被害のため、一部区間で列車運行ができない状況だそう。復旧工事が進められているそうです。
なお、関東鉄道・真岡鐡道はJR線ではないので今回は乗らずにパスしますが、またいつか、乗りに来たいと思います。
↑見づらいですが、下館で対向列車と行き違いをしました。
水戸線は、単線です。
↑下館を発車して、列車はさらに東へとひた走ります。
遠くに見える頂きは、筑波山。
↑新治(にいはり)。
お客の乗降はあまり無かったけれど、風変わりな読み方の駅名やね。
新居浜と今治を足して2で割った…みたいな
単にそれだけの連想なのですが、ふと、四国の地図を思ってしまった私でした。
↑沿線随一の中心駅だろうと思っていた さきほどの下館でも、それほどの大きな乗降の動きはありませんでした。
そもそも、小山を発車したときから そんなに混雑していなかった車内ですが、ますますガラーンとした雰囲気になってきました。
↑10時45分、岩瀬に着きました。1分停車して、ここでも対向列車と行き違いをしました。
午前中のこの時間帯、水戸線の電車は約30分間隔で走るので、対向列車とすれ違うチャンスも増えます。
これよりも後の時間帯(午後)になると、水戸線は約60分間隔(1時間に1本)の運行となり、ちょいと間延びします。
ちなみに、この岩瀬駅からは、かつて「筑波鉄道」という私鉄が分岐していたのですね。
筑波山のふもとを走って土浦~岩瀬間を結んでいたローカル私鉄です。
グーグルマップの衛星画像(アース)で眺めてみると、筑波鉄道の線路跡地は結構残っているみたいで、容易にルートを〝たどる〟ことができます。
↑繰り返しますが、今回もいい天気に恵まれました
…っていうか、乗車券などを買いそろえるのが旅行前日なので、その時点で「あすの天気予報」を確認して、出かけるかどうかを判断している面もあります。
あまりにもひどい〝大雨予報〟とかが出ていたら、旅行前日の時点で「行くのをやめる」という判断をすることもあります。
過去の旅記録を振り返ってみても、基本的に、結果的に、天気がいいでしょう? 雨の日に乗りに出かけたことは少ないと思います。
↑小山から約1時間…、定刻11時11分に友部へ着きました。 (私のデジカメの記録では11時10分撮影となっている)
これで、小山~友部間50.2kmの水戸線を走破し終えました。
乗ってきた列車は、友部からそのまま常磐線に乗り入れて、勝田まで行きます。
↑11時29分、水戸着。
私はここで下車しました。
今年の春(3月末)以来、半年ぶりに水戸再訪です。(あのときは、常磐線と磐越東線に乗りました)
水戸駅で途中下車して、駅ビルのレストラン街で昼食にしました。
午後は水郡線に乗らねばならず、昼食以外について、のんびり道草・寄り道をしている時間はありません。観光は無し!
水戸の街を見物するのは、またの機会に…
水郡線 (水戸→安積永盛 と、 上菅谷~常陸太田)
↑ささっと昼食を済ませた私は、再び水戸駅の改札内へ。
水郡線(すいぐんせん)ホームの1番・2番乗り場へ降りていきます。
12時15分発のワンマン、常陸大宮(ひたちおおみや)ゆきに乗ります。
↑水戸駅の水郡線ホームのそばにあった、沿線案内の看板。
水戸から安積永盛まで、たくさんの駅があります。
途中、上菅谷から常陸太田までの「支線」がくっ付いています。この支線もひっくるめて「水郡線」です。
水戸~安積永盛が137.5kmと、上菅谷~常陸太田が9.5kmの、合計147.0kmが水郡線の営業キロです。
↑発車時刻が近づいたのを見計らって(?)、ディーゼルカーがホームに入ってきました。
これが12時15分発のワンマン・常陸大宮ゆき。キハE130系気動車の2両編成でした。
新しいタイプのディーゼルカーですね。前に、久留里線に乗ったとき、この形式が走っていましたな。
線路を隔てて向かいのホームに止まっている列車は、常磐線の普通電車415系。
↑水戸を出てから約15分で上菅谷(かみすがや)に到着。
ここで下車して、ホーム隣りで待機していた常陸太田(ひたちおおた)ゆきに乗り換えました。
上菅谷~常陸太田間の〝支線〟を往復してくることにします。この支線区間も、線名としては「水郡線」なんですねぇ。
↑上菅谷のホーム駅名標。
次駅の案内が二手に分かれていますが、どちらも水郡線ってことやね。水郡線から水郡線が分岐している~
ややこしいので、支線のほうを〝常陸太田支線〟と呼んだりもする…みたいなのかな(?)
↑窓の外には、黄金色の〝じゅうたん〟です。この地域でも稲刈りの時期を迎えているようです。
↑12時47分に、終点 常陸太田に着きました。
上菅谷から常陸太田までは、手元の「京都市内→宇都宮まで」の乗車券には含まれない区間なので、常陸太田駅の出札で乗り越し運賃を支払いました。
↑常陸太田の駅前。きれいな駅です。
再開発というか、最近に建て替えられたばかりの駅舎なのだろうな…と察しがつきます。
↑駅前のバス・タクシーのりばも、きれいに整備されています。
もともと鉄道用地だった部分を整理して、こうした駅前スペースに転用したのかな…? と思いを巡らせてみました。
常陸太田駅って、もともとは線路が幾本か敷かれた広い構内の駅だったのかも(?)
また、この駅のそばには、かつて「日立電鉄」というローカル私鉄も乗り入れていて、常北太田駅(じょうほくおおた)という終着駅があったそう。
水郡線の常陸太田駅の目と鼻の先に、日立電鉄の常北太田駅があった、ということです。
先ほどの筑波鉄道と同様ですが、グーグルマップの衛星画像で眺めてみると、日立電鉄の線路跡地も〝たどる〟ことができます。
↑常陸太田駅の改札口付近。
明るくて、きれいで、みどりの窓口もある駅です。
1時間に1本しか列車が発着しないのがモッタイナイ感じの駅ですね
↑さっき乗ってきた列車が13時11分発で折り返すので、私もそれに乗って上菅谷へ戻ります。
↑常陸太田から上菅谷までのきっぷ。210円也。
↑常陸太田にて、折返し時刻を待つ列車内から、駅のそばを通りかかった路線バスを撮る。茨城交通のバス。
中ドアより後方の側窓の上部には、「がんばっぺ!常総」の貼り紙が見えました。
↑常陸太田への〝支線〟に乗り終えて、再び上菅谷へ戻ってきました。
ここからは「京都市内→宇都宮まで」の乗車券に復帰し、郡山(安積永盛)方面へと水郡線の旅を続けます。
ホーム駅名板に書いてある「奥久慈清流ライン」は、水郡線の愛称なんやね。
この先、当地を流れる久慈川に寄り添って、水郡線の列車は走ります。
↑上菅谷13時33分発、普通郡山ゆきが入ってきました。(水戸から走ってきた列車です)
同じくキハE130系で、こんどは3両編成でした。
↑3両編成だけれど、上菅谷から乗り込んでみれば、各車両の座席はそれなりに埋まっていました。
私は、2両目の乗降ドアのそばで立っていることにしました。
稲刈りが終わった田んぼの景色が、車窓を流れていきます。
↑13時49分、常陸大宮。
ここでまとまった人数の降車があり、車内の座席がけっこう空きました。
ドア横で立ちんぼだった私も、一躍、ボックス席の主になりました
↑山方宿(やまがたじゅく)にて。
この駅に限らず、水郡線には建物(駅舎)が立派な駅が少なくありませんでした。
↑山方宿の次駅の、なかふにゅう駅。
「なかふにゅう」を漢字で書いたら、どんな感じ(?)
答えは、このあとすぐ。
↑列車は、久慈川に沿って走ります。
郡山ゆきの場合は、久慈川をさかのぼっていくことになります。
さっきの答えは、中舟生(なかふにゅう)です
↑下小川(しもおがわ)で、対向の水戸ゆきと行き違い。
↑上小川(かみおがわ)。
ここも、大きくて立派な駅建物でした。
駅以外の用途というか、地域のコミュニティセンターみたいなのを兼ねているのかな?
↑いくつもの駅を過ぎて、気が付けば、いつのまにか車内は〝圧倒的に〟ガラガラになっていました。
次は、常陸大子(ひたちだいご)。
車内放送があり、常陸大子で後ろの車両を切り離して、郡山方面へは先頭の1両のみで運行する旨が伝えられました。
いま私が乗っているのは2両目
どうりで、この車両はガラガラになってしまうわけだ…
↑午後2時半すぎ、常陸大子に着きました。(所定14時31分着ですが、2分ほど遅れていた気がする。気のせいかな)
ホーム駅名板の向こうに、蒸気機関車がちらっと見えています。保存してあるんやね。
「ひたちたいし」じゃなくて、「ひたちだいご」と読む駅名です。
水郡線の駅には、常陸太田、常陸大宮、常陸大子と、なんとなく似た雰囲気の駅名が多いねぇ。(えっ、似てないか)
↑私も先頭の車両に乗り移って、郡山方面へと乗り進んでまいります。
「(込んでいて)座れないかも…」と思いながら先頭車へ移ってみれば、小さいほうのボックス席が運よく空いていて、そこに腰を下ろしました。
ちょっと、陽が当たりますけれどな。
↑水戸から安積永盛(郡山)を目指す水郡線の旅のなかでは、先ほどの常陸大子も、まだ中間点には達していません。
常陸大子で1両編成になり、郡山へ向けてラストスパートをかけるのかと思いきや…、距離的にはまだここから先のほうが随分長いという…
↑久慈川と山々の風景がきれいでした。
↑茨城県から福島県に入って最初の駅、矢祭山。
↑いたるところ、稲穂の風景です。日本の秋を実感します。
↑相変わらず、のんびりムードの車内です。
1両編成で事足りてますわ
↑15時38分、磐城石川(いわきいしかわ)に着きました。所定、当駅は15時35分発なので、やっぱりちょっと遅れ気味の運行だったんやな
到着の際、窓越しに、大勢がホームで待ち構えているのが見えました。下校の高校生の皆さんやね。ここからは車内が込みそう。1両編成で大丈夫か
磐城石川の名の通り、ここは石川町というのですな。高校もあって、大きな町なのですね。
地図を見たところ、甲子園でもその名を知られている学法石川高校が、この駅の近くにあるみたい。
「ああっ 〝あの〟石川かぁ」 と、私もすぐに合点。
(学法石川高校だけでなく、県立石川高校というのも、この町にはあります)
↑混じりけのない真っ青な空だったはずが、だんだんと雲が〝割り込んで〟くるようになりました。
天気が崩れるような雲行きではなさそうなので、心配は要らんだろう…。
陽の当たる窓際に座っている私としては、これぐらいの陰りがあるほうが有り難いです。
↑川東(かわひがし)にて。
まだ最近まで使われていたらしい対向ホーム。もともと、この駅では列車の行き違いができる仕組みだったんやね。
現在の列車運転本数に照らして、今後、もうこの駅で行き違いをする可能性は無い、ということなのでしょう。
↑水戸駅から126kmであることを示すキロポスト。
小塩江(おしおえ)にて。
↑谷田川(やたがわ)で、最後の行き違い。
水戸ゆきとすれ違いました。
↑16時19分、定刻に安積永盛(あさかながもり)へ着きました。
水郡線内では終始やや遅れ気味のダイヤで走ってきた列車ですが、最後はきっちり時間通りに戻しましたな
この駅で東北本線と合流するので、水郡線のレールはここまで。これにて水郡線の走破完了です。
列車は1両編成のまま東北本線に直通して、次駅の郡山終点まで走っていきます。
私は郡山まで乗る必要はないので、ここで下車して、東北本線の上りに乗り換えることにします。
↑安積永盛(あさかながもり)駅です。
難しい読み方…、だなぁ。
↑安積永盛にて、東北本線下り普通福島ゆき。719系電車。
夕方のラッシュ時間帯に入っており、ホームにもたくさんのお客が待っていました。
この駅から乗り込む人、けっこう多いですわ。
↑安積永盛16時32分発、普通・黒磯ゆきがやってきました。701系の4両編成。(郡山から走ってきた列車です)
私もこれに乗って、東北本線を上ることにします。
まずは、この電車で黒磯まで行きます。
↑夕方ということで、安積永盛で乗り込んだときは車内も混雑していたけれど、駅ごとにちょっとずつ降車が続きました。
そして、新白河でドドドッとまとまった下車があり、私の周囲のロングシートにも人の気配が無くなりました。
『新白河すごいなぁ。いっぺんに車内がガラガラになったやん』
↑新白河から宇都宮方面へ…、厳密にいうと、新白河~宝積寺間ですが、
私、この区間は、昨年5月に寝台特急「北斗星」で通過したことがあるだけ、という区間なのです。
走破済みであることは間違いないけれど、あのときは夜で車窓の景色も見られなかったし、自分でもなんかスッキリしていなかった部分があります。
「この区間は、もう一度普通電車で乗っておきたいな」 と思っていました。
↑17時29分、黒磯に着きました。
黒磯駅は、東北本線のなかでも、電化の直流と交流が切り替わる駅として、昔から知られています。
私も、子どものころから、この駅の名前は知っていました。
↑見上げれば、駅のすぐそばを東北新幹線の高架が通っています。
乗換駅を造るのに〝もってこい〟のロケーションなのに…、どうしてここに新幹線の駅が無いのか?と、不思議に思える光景です。
新幹線建設の際、いろんな経緯があって、黒磯駅のひとつ隣りの駅・那須塩原(なすしおばら)が新幹線との乗換駅として整備されたのですね。
向かい側のホーム、画面奥に見えている電車が、接続の宇都宮ゆき。私もそれに乗り継いで宇都宮まで行きました。
↑なんだか、独特な響きが感じられる駅名だと思います。
東京方面への次駅が、那須塩原です。
◎宇都宮で、ぎょうざ食べて帰ってきました
↑黒磯で乗り継いで、宇都宮に着いたのは午後6時半ごろでした。
あとは京都へ帰るだけ。宇都宮からは、新幹線利用にて、東京経由で京都へ帰ることにします。
ここまで来たので、せっかくだから、宇都宮のぎょうざを食べて帰ってきました
宇都宮駅前に「宇都宮餃子館」というのがあったので、そこで食べました。
↑ぎょうざ、おいしかったです
「宇都宮の、ぎょうざを食べに、この店に入ったのだぞ!」
と、自分自身に言い聞かせたんだけど、やっぱり、ビールのほうが進んでしまってさ
ビールの友にぎょうざをいただきながら、美味なひとときを過ごしました。
↑お腹も満ちて、宇都宮をあとにします。
宇都宮から京都まで、新幹線で突っ走る!
乗車券の有効期間は「5日間」だけど、それを今から「3時間27分」で使い切るっ (←大げさな)
(宇都宮19:21発「なすの」→東京から「のぞみ」→京都22:48着)
↑再掲動画ですが、この日、帰り際に宇都宮駅の新幹線ホームで撮影したものです。
↑最後の一枚、東京駅にて。
20時30分発「のぞみ133号」岡山ゆきに乗って、帰りました。
京都で降りるぶんには どうでもいいことなんだけど、この「のぞみ133号」は〝西明石に停車して姫路を通過する〟という変わり種です。
↑今回の乗車券。
いつも通り、旅行前日に地元で買っておきました。
京都から新幹線東京経由で小山へ、水戸線で水戸へ行き、水郡線で安積永盛へ至り、そこから東北本線で宇都宮まで、の片道切符にしました。
水郡線の支線(常陸太田支線)に乗るぶんの乗車券は、当日現地で買い足すことにしました。
◇ ◇ ◇
平成27年9月29日(火)、天気晴れ。
朝6時前に自宅を出発し、近鉄電車で京都駅へ出て、京都6時38分の「のぞみ100号」東京ゆきに乗りました。
早朝から関東方面へ乗りに出かけるときに、しばしば利用している「のぞみ100号」です。
6時38分発っていうのが、京都駅まで近鉄の急行電車でやってきて乗り継ぐのに、ちょうどいい時刻なのです。
京都から乗り込むぶんには どうでもいいことなんだけど、この「のぞみ100号」は〝西明石始発〟ののぞみ号という変わり種です。
「のぞみ100号」は定時運行により、午前9時前に東京駅へ到着しました。
私はすぐさま東北新幹線ホームへ乗り換え移動して、東京9時16分発「なすの255号」郡山ゆきに乗り込み、午前10時前に小山駅へ着きました。
↑「なすの255号」の車窓から。
↑午前10時前に、小山へ着きました。
「なすの255号」は、はやぶさ・こまち編成(E5系+E6系)の17両編成でした。普通車はすべて自由席。
↑水戸線と水郡線。
水戸線(みとせん)は、東北本線の小山(おやま)から 常磐線の友部(ともべ)までを結ぶ線。
水郡線(すいぐんせん)は、常磐線の水戸からスタートして福島県の郡山方面(安積永盛〔あさかながもり〕)へ結ばれている線です。
水戸線 (小山→友部)
↑それでは、まず、小山駅から「水戸線」に乗ることにします。
小山10時08分発、水戸線から常磐線へ直通する 普通 勝田ゆきに乗ります。
↑小山駅の水戸線ホームにて。
私が乗った10時08分発は、画面左側(16番線)に見えている列車です。
水戸線は交流電化(小山駅構内のみ直流電化だそう)なので、車両は交直流電車のE531系。常磐線と同じ車両やね。
↑小山発車の際、東北本線(宇都宮線)の電車遅れによる接続待ちがあり、所定より3分ほど延発しました。
車掌が、車内放送でそのことをしきりにお詫びしていました。
「3分の遅れぐらい、一向に構わないぞ…」と、私は思いながら乗っています。
小山から二つめの駅、結城(ゆうき)。
↑タタンタタン…と、軽やかにレールを鳴らしながら走っていきます。
↑列車はE531系の5両編成。
この時間帯、この区間では、乗客も多くなくて、車内もガランとして静かでした。
私も、小山で乗り込んだ時からボックス席を確保できました。
↑気持ちよい青空が広がっています。
↑東結城~川島間で、鬼怒川にかかる鉄橋をわたりました。
先日の大雨で洪水被害が出た常総市は、ここからもう少し下流にあります。
↑鬼怒川の鉄橋にて。
中州に群生している草とかも、泥にまみれて、なぎ倒されている様子が見てとれました。大雨による増水があったことが窺えます。
普段は、これぐらいの水量で流れている川なんやね。
↑小山から20分ほどで、下館(しもだて)に着きました。10時30分の定刻着でした。
「小山を発車した時は3分遅れだったが、遅れを回復し、現在は時刻通りに運行しており、下館には定刻に着く」旨、車掌の案内放送もありました。
下館は、関東鉄道(常総線)と真岡鐡道線への乗り換え駅。
関東鉄道の常総線は、洪水被害のため、一部区間で列車運行ができない状況だそう。復旧工事が進められているそうです。
なお、関東鉄道・真岡鐡道はJR線ではないので今回は乗らずにパスしますが、またいつか、乗りに来たいと思います。
↑見づらいですが、下館で対向列車と行き違いをしました。
水戸線は、単線です。
↑下館を発車して、列車はさらに東へとひた走ります。
遠くに見える頂きは、筑波山。
↑新治(にいはり)。
お客の乗降はあまり無かったけれど、風変わりな読み方の駅名やね。
新居浜と今治を足して2で割った…みたいな
単にそれだけの連想なのですが、ふと、四国の地図を思ってしまった私でした。
↑沿線随一の中心駅だろうと思っていた さきほどの下館でも、それほどの大きな乗降の動きはありませんでした。
そもそも、小山を発車したときから そんなに混雑していなかった車内ですが、ますますガラーンとした雰囲気になってきました。
↑10時45分、岩瀬に着きました。1分停車して、ここでも対向列車と行き違いをしました。
午前中のこの時間帯、水戸線の電車は約30分間隔で走るので、対向列車とすれ違うチャンスも増えます。
これよりも後の時間帯(午後)になると、水戸線は約60分間隔(1時間に1本)の運行となり、ちょいと間延びします。
ちなみに、この岩瀬駅からは、かつて「筑波鉄道」という私鉄が分岐していたのですね。
筑波山のふもとを走って土浦~岩瀬間を結んでいたローカル私鉄です。
グーグルマップの衛星画像(アース)で眺めてみると、筑波鉄道の線路跡地は結構残っているみたいで、容易にルートを〝たどる〟ことができます。
↑繰り返しますが、今回もいい天気に恵まれました
…っていうか、乗車券などを買いそろえるのが旅行前日なので、その時点で「あすの天気予報」を確認して、出かけるかどうかを判断している面もあります。
あまりにもひどい〝大雨予報〟とかが出ていたら、旅行前日の時点で「行くのをやめる」という判断をすることもあります。
過去の旅記録を振り返ってみても、基本的に、結果的に、天気がいいでしょう? 雨の日に乗りに出かけたことは少ないと思います。
↑小山から約1時間…、定刻11時11分に友部へ着きました。 (私のデジカメの記録では11時10分撮影となっている)
これで、小山~友部間50.2kmの水戸線を走破し終えました。
乗ってきた列車は、友部からそのまま常磐線に乗り入れて、勝田まで行きます。
↑11時29分、水戸着。
私はここで下車しました。
今年の春(3月末)以来、半年ぶりに水戸再訪です。(あのときは、常磐線と磐越東線に乗りました)
水戸駅で途中下車して、駅ビルのレストラン街で昼食にしました。
午後は水郡線に乗らねばならず、昼食以外について、のんびり道草・寄り道をしている時間はありません。観光は無し!
水戸の街を見物するのは、またの機会に…
水郡線 (水戸→安積永盛 と、 上菅谷~常陸太田)
↑ささっと昼食を済ませた私は、再び水戸駅の改札内へ。
水郡線(すいぐんせん)ホームの1番・2番乗り場へ降りていきます。
12時15分発のワンマン、常陸大宮(ひたちおおみや)ゆきに乗ります。
↑水戸駅の水郡線ホームのそばにあった、沿線案内の看板。
水戸から安積永盛まで、たくさんの駅があります。
途中、上菅谷から常陸太田までの「支線」がくっ付いています。この支線もひっくるめて「水郡線」です。
水戸~安積永盛が137.5kmと、上菅谷~常陸太田が9.5kmの、合計147.0kmが水郡線の営業キロです。
↑発車時刻が近づいたのを見計らって(?)、ディーゼルカーがホームに入ってきました。
これが12時15分発のワンマン・常陸大宮ゆき。キハE130系気動車の2両編成でした。
新しいタイプのディーゼルカーですね。前に、久留里線に乗ったとき、この形式が走っていましたな。
線路を隔てて向かいのホームに止まっている列車は、常磐線の普通電車415系。
↑水戸を出てから約15分で上菅谷(かみすがや)に到着。
ここで下車して、ホーム隣りで待機していた常陸太田(ひたちおおた)ゆきに乗り換えました。
上菅谷~常陸太田間の〝支線〟を往復してくることにします。この支線区間も、線名としては「水郡線」なんですねぇ。
↑上菅谷のホーム駅名標。
次駅の案内が二手に分かれていますが、どちらも水郡線ってことやね。水郡線から水郡線が分岐している~
ややこしいので、支線のほうを〝常陸太田支線〟と呼んだりもする…みたいなのかな(?)
↑窓の外には、黄金色の〝じゅうたん〟です。この地域でも稲刈りの時期を迎えているようです。
↑12時47分に、終点 常陸太田に着きました。
上菅谷から常陸太田までは、手元の「京都市内→宇都宮まで」の乗車券には含まれない区間なので、常陸太田駅の出札で乗り越し運賃を支払いました。
↑常陸太田の駅前。きれいな駅です。
再開発というか、最近に建て替えられたばかりの駅舎なのだろうな…と察しがつきます。
↑駅前のバス・タクシーのりばも、きれいに整備されています。
もともと鉄道用地だった部分を整理して、こうした駅前スペースに転用したのかな…? と思いを巡らせてみました。
常陸太田駅って、もともとは線路が幾本か敷かれた広い構内の駅だったのかも(?)
また、この駅のそばには、かつて「日立電鉄」というローカル私鉄も乗り入れていて、常北太田駅(じょうほくおおた)という終着駅があったそう。
水郡線の常陸太田駅の目と鼻の先に、日立電鉄の常北太田駅があった、ということです。
先ほどの筑波鉄道と同様ですが、グーグルマップの衛星画像で眺めてみると、日立電鉄の線路跡地も〝たどる〟ことができます。
↑常陸太田駅の改札口付近。
明るくて、きれいで、みどりの窓口もある駅です。
1時間に1本しか列車が発着しないのがモッタイナイ感じの駅ですね
↑さっき乗ってきた列車が13時11分発で折り返すので、私もそれに乗って上菅谷へ戻ります。
↑常陸太田から上菅谷までのきっぷ。210円也。
↑常陸太田にて、折返し時刻を待つ列車内から、駅のそばを通りかかった路線バスを撮る。茨城交通のバス。
中ドアより後方の側窓の上部には、「がんばっぺ!常総」の貼り紙が見えました。
↑常陸太田への〝支線〟に乗り終えて、再び上菅谷へ戻ってきました。
ここからは「京都市内→宇都宮まで」の乗車券に復帰し、郡山(安積永盛)方面へと水郡線の旅を続けます。
ホーム駅名板に書いてある「奥久慈清流ライン」は、水郡線の愛称なんやね。
この先、当地を流れる久慈川に寄り添って、水郡線の列車は走ります。
↑上菅谷13時33分発、普通郡山ゆきが入ってきました。(水戸から走ってきた列車です)
同じくキハE130系で、こんどは3両編成でした。
↑3両編成だけれど、上菅谷から乗り込んでみれば、各車両の座席はそれなりに埋まっていました。
私は、2両目の乗降ドアのそばで立っていることにしました。
稲刈りが終わった田んぼの景色が、車窓を流れていきます。
↑13時49分、常陸大宮。
ここでまとまった人数の降車があり、車内の座席がけっこう空きました。
ドア横で立ちんぼだった私も、一躍、ボックス席の主になりました
↑山方宿(やまがたじゅく)にて。
この駅に限らず、水郡線には建物(駅舎)が立派な駅が少なくありませんでした。
↑山方宿の次駅の、なかふにゅう駅。
「なかふにゅう」を漢字で書いたら、どんな感じ(?)
答えは、このあとすぐ。
↑列車は、久慈川に沿って走ります。
郡山ゆきの場合は、久慈川をさかのぼっていくことになります。
さっきの答えは、中舟生(なかふにゅう)です
↑下小川(しもおがわ)で、対向の水戸ゆきと行き違い。
↑上小川(かみおがわ)。
ここも、大きくて立派な駅建物でした。
駅以外の用途というか、地域のコミュニティセンターみたいなのを兼ねているのかな?
↑いくつもの駅を過ぎて、気が付けば、いつのまにか車内は〝圧倒的に〟ガラガラになっていました。
次は、常陸大子(ひたちだいご)。
車内放送があり、常陸大子で後ろの車両を切り離して、郡山方面へは先頭の1両のみで運行する旨が伝えられました。
いま私が乗っているのは2両目
どうりで、この車両はガラガラになってしまうわけだ…
↑午後2時半すぎ、常陸大子に着きました。(所定14時31分着ですが、2分ほど遅れていた気がする。気のせいかな)
ホーム駅名板の向こうに、蒸気機関車がちらっと見えています。保存してあるんやね。
「ひたちたいし」じゃなくて、「ひたちだいご」と読む駅名です。
水郡線の駅には、常陸太田、常陸大宮、常陸大子と、なんとなく似た雰囲気の駅名が多いねぇ。(えっ、似てないか)
↑私も先頭の車両に乗り移って、郡山方面へと乗り進んでまいります。
「(込んでいて)座れないかも…」と思いながら先頭車へ移ってみれば、小さいほうのボックス席が運よく空いていて、そこに腰を下ろしました。
ちょっと、陽が当たりますけれどな。
↑水戸から安積永盛(郡山)を目指す水郡線の旅のなかでは、先ほどの常陸大子も、まだ中間点には達していません。
常陸大子で1両編成になり、郡山へ向けてラストスパートをかけるのかと思いきや…、距離的にはまだここから先のほうが随分長いという…
↑久慈川と山々の風景がきれいでした。
↑茨城県から福島県に入って最初の駅、矢祭山。
↑いたるところ、稲穂の風景です。日本の秋を実感します。
↑相変わらず、のんびりムードの車内です。
1両編成で事足りてますわ
↑15時38分、磐城石川(いわきいしかわ)に着きました。所定、当駅は15時35分発なので、やっぱりちょっと遅れ気味の運行だったんやな
到着の際、窓越しに、大勢がホームで待ち構えているのが見えました。下校の高校生の皆さんやね。ここからは車内が込みそう。1両編成で大丈夫か
磐城石川の名の通り、ここは石川町というのですな。高校もあって、大きな町なのですね。
地図を見たところ、甲子園でもその名を知られている学法石川高校が、この駅の近くにあるみたい。
「ああっ 〝あの〟石川かぁ」 と、私もすぐに合点。
(学法石川高校だけでなく、県立石川高校というのも、この町にはあります)
↑混じりけのない真っ青な空だったはずが、だんだんと雲が〝割り込んで〟くるようになりました。
天気が崩れるような雲行きではなさそうなので、心配は要らんだろう…。
陽の当たる窓際に座っている私としては、これぐらいの陰りがあるほうが有り難いです。
↑川東(かわひがし)にて。
まだ最近まで使われていたらしい対向ホーム。もともと、この駅では列車の行き違いができる仕組みだったんやね。
現在の列車運転本数に照らして、今後、もうこの駅で行き違いをする可能性は無い、ということなのでしょう。
↑水戸駅から126kmであることを示すキロポスト。
小塩江(おしおえ)にて。
↑谷田川(やたがわ)で、最後の行き違い。
水戸ゆきとすれ違いました。
↑16時19分、定刻に安積永盛(あさかながもり)へ着きました。
水郡線内では終始やや遅れ気味のダイヤで走ってきた列車ですが、最後はきっちり時間通りに戻しましたな
この駅で東北本線と合流するので、水郡線のレールはここまで。これにて水郡線の走破完了です。
列車は1両編成のまま東北本線に直通して、次駅の郡山終点まで走っていきます。
私は郡山まで乗る必要はないので、ここで下車して、東北本線の上りに乗り換えることにします。
↑安積永盛(あさかながもり)駅です。
難しい読み方…、だなぁ。
↑安積永盛にて、東北本線下り普通福島ゆき。719系電車。
夕方のラッシュ時間帯に入っており、ホームにもたくさんのお客が待っていました。
この駅から乗り込む人、けっこう多いですわ。
↑安積永盛16時32分発、普通・黒磯ゆきがやってきました。701系の4両編成。(郡山から走ってきた列車です)
私もこれに乗って、東北本線を上ることにします。
まずは、この電車で黒磯まで行きます。
↑夕方ということで、安積永盛で乗り込んだときは車内も混雑していたけれど、駅ごとにちょっとずつ降車が続きました。
そして、新白河でドドドッとまとまった下車があり、私の周囲のロングシートにも人の気配が無くなりました。
『新白河すごいなぁ。いっぺんに車内がガラガラになったやん』
↑新白河から宇都宮方面へ…、厳密にいうと、新白河~宝積寺間ですが、
私、この区間は、昨年5月に寝台特急「北斗星」で通過したことがあるだけ、という区間なのです。
走破済みであることは間違いないけれど、あのときは夜で車窓の景色も見られなかったし、自分でもなんかスッキリしていなかった部分があります。
「この区間は、もう一度普通電車で乗っておきたいな」 と思っていました。
↑17時29分、黒磯に着きました。
黒磯駅は、東北本線のなかでも、電化の直流と交流が切り替わる駅として、昔から知られています。
私も、子どものころから、この駅の名前は知っていました。
↑見上げれば、駅のすぐそばを東北新幹線の高架が通っています。
乗換駅を造るのに〝もってこい〟のロケーションなのに…、どうしてここに新幹線の駅が無いのか?と、不思議に思える光景です。
新幹線建設の際、いろんな経緯があって、黒磯駅のひとつ隣りの駅・那須塩原(なすしおばら)が新幹線との乗換駅として整備されたのですね。
向かい側のホーム、画面奥に見えている電車が、接続の宇都宮ゆき。私もそれに乗り継いで宇都宮まで行きました。
↑なんだか、独特な響きが感じられる駅名だと思います。
東京方面への次駅が、那須塩原です。
◎宇都宮で、ぎょうざ食べて帰ってきました
↑黒磯で乗り継いで、宇都宮に着いたのは午後6時半ごろでした。
あとは京都へ帰るだけ。宇都宮からは、新幹線利用にて、東京経由で京都へ帰ることにします。
ここまで来たので、せっかくだから、宇都宮のぎょうざを食べて帰ってきました
宇都宮駅前に「宇都宮餃子館」というのがあったので、そこで食べました。
↑ぎょうざ、おいしかったです
「宇都宮の、ぎょうざを食べに、この店に入ったのだぞ!」
と、自分自身に言い聞かせたんだけど、やっぱり、ビールのほうが進んでしまってさ
ビールの友にぎょうざをいただきながら、美味なひとときを過ごしました。
↑お腹も満ちて、宇都宮をあとにします。
宇都宮から京都まで、新幹線で突っ走る!
乗車券の有効期間は「5日間」だけど、それを今から「3時間27分」で使い切るっ (←大げさな)
(宇都宮19:21発「なすの」→東京から「のぞみ」→京都22:48着)
↑再掲動画ですが、この日、帰り際に宇都宮駅の新幹線ホームで撮影したものです。
↑最後の一枚、東京駅にて。
20時30分発「のぞみ133号」岡山ゆきに乗って、帰りました。
京都で降りるぶんには どうでもいいことなんだけど、この「のぞみ133号」は〝西明石に停車して姫路を通過する〟という変わり種です。
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