お彼岸の墓参りを兼ねて、母の十三回忌の法要が実家で営まれた。
生意気で、口ごたえの多い僕は、明治生まれで頑固な父によく怒られた。
家の周りを、箒を持って追いかける父から逃げ回った事も度々。
雪の降る日に、裸足で跳び出し、何時間も歩き廻り、疲れて家に帰ったときは、足の感覚がなくなっていた事もある。
泣きながら、物置小屋で夜中まで過ごした事もあった。
そんな時、いつもかばってくれたのが母だ。
七人もいる子供たちに、分け隔ての無い愛情を注いでくれた優しい母。
他の兄弟もそうだと思うが、母からは、一度も叱られた記憶が無い。
30代の初めの頃、お店をやっていた時だ。嫌な事があり、母の声を聴きたくて電話した。
短い時間だったが、とりとめの無い話をして電話を切った。
店を休んで寝ていると、部屋の窓を叩く音。
開けてみて驚いた。そこにいたのは母だった。
僕の電話の声に何かを感じた母は、1時間以上もかかるのに、跳んできたのだ。
そんな母が息を引取ったのは、母の日も過ぎた、5月15日。
早朝に危篤の報が入る。
急いで病院に駆けつけたが、既に意識は無く、看護婦さんによる人工的な酸素吸入により、辛うじて心臓が動いている程度だった。
先に行っていた姉達に促され、急いで母の枕元に行った僕は、「お母さん!祐二だよ、祐二が来たよ!」そう言って母に声を掛けた。
その時、既に脈拍も、血圧も、ゼロに近い母の眼から二筋の涙が流れ落ちた。
母の最後の涙を見たのは僕だけだった。
霊安室に安置された母に逢いに行くために、病院の庭に出ると、遅れて駆けつけた末の弟に出会った。間に合わなかった事を告げると、立ち止まって、思わず天を仰いだ弟の姿が今も眼に浮かぶ。
通夜のための着替えをしに家に帰り、部屋に入ったその時、突然大きな悲しみに襲われて、ベッドに身を投げ出して号泣した。そして言いようのない寂しさに襲われた。
母が逝ってから、急に元気をなくした父が、母の後を追うように他界したのは、それから1年後だった。
よく喧嘩もしていた二人だが、
愛し合っていたに違いない。
あれから12年の歳月が流れ、二人の命を受け継いで、1歳3ヶ月になったひ孫が元気に愛嬌を振りまいていた。
2005.03.20
生意気で、口ごたえの多い僕は、明治生まれで頑固な父によく怒られた。
家の周りを、箒を持って追いかける父から逃げ回った事も度々。
雪の降る日に、裸足で跳び出し、何時間も歩き廻り、疲れて家に帰ったときは、足の感覚がなくなっていた事もある。
泣きながら、物置小屋で夜中まで過ごした事もあった。
そんな時、いつもかばってくれたのが母だ。
七人もいる子供たちに、分け隔ての無い愛情を注いでくれた優しい母。
他の兄弟もそうだと思うが、母からは、一度も叱られた記憶が無い。
30代の初めの頃、お店をやっていた時だ。嫌な事があり、母の声を聴きたくて電話した。
短い時間だったが、とりとめの無い話をして電話を切った。
店を休んで寝ていると、部屋の窓を叩く音。
開けてみて驚いた。そこにいたのは母だった。
僕の電話の声に何かを感じた母は、1時間以上もかかるのに、跳んできたのだ。
そんな母が息を引取ったのは、母の日も過ぎた、5月15日。
早朝に危篤の報が入る。

先に行っていた姉達に促され、急いで母の枕元に行った僕は、「お母さん!祐二だよ、祐二が来たよ!」そう言って母に声を掛けた。
その時、既に脈拍も、血圧も、ゼロに近い母の眼から二筋の涙が流れ落ちた。
母の最後の涙を見たのは僕だけだった。
霊安室に安置された母に逢いに行くために、病院の庭に出ると、遅れて駆けつけた末の弟に出会った。間に合わなかった事を告げると、立ち止まって、思わず天を仰いだ弟の姿が今も眼に浮かぶ。
通夜のための着替えをしに家に帰り、部屋に入ったその時、突然大きな悲しみに襲われて、ベッドに身を投げ出して号泣した。そして言いようのない寂しさに襲われた。
母が逝ってから、急に元気をなくした父が、母の後を追うように他界したのは、それから1年後だった。
よく喧嘩もしていた二人だが、

あれから12年の歳月が流れ、二人の命を受け継いで、1歳3ヶ月になったひ孫が元気に愛嬌を振りまいていた。

2005.03.20