勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

6メートルの回想    1/3

2005-03-30 18:05:45 | Weblog
 これは作家の友人が書き下ろした、実在の死刑囚の話である。まだ本になっていないものだが、是非読んでいただきたい。

死刑囚・谷山康夫(仮名)が死刑執行当日、最後の礼拝が終り、6メートル先の、刑が執行される場所に行くまでの間の情況を描いたものであり、その内容は確かな取材と、体験を基に書かれており、読む者に問題提起をもしているものである。  

 「 6メートルの回想 」  著 * 双瀬 三歳 (ふたせ みつとし)
 
「主文、被告人を死刑に処す」
大阪地方裁判所第803号法廷での判決であった。
数年後、大阪高等裁判所1012号法廷では、「主文、被告人の控訴を棄却する」という判決が下された。すぐに上告をしたが、その結果は高等裁判所同様、「被告人の上告を棄却する」という判決文の送達があった。これで事実上の死刑が確定した事になる。
死刑が確定した事によって、今までの被告人という身分から、死刑囚という身分に変る事になる。

法律を見ると、死刑確定後3ヶ月未満に刑の執行を行なう、と書かれている
しかし実際には、3ヶ月以内に刑の執行をされる極刑囚(死刑囚の事をこう呼ぶ)はいない。何故なら、極刑囚達は自分の延命のためだけに、無駄な事とは知りながら、特別抗告を行い、それでも駄目ならば、再審請求を起こす。
通常、特別抗告や、再審請求を行なっている間は、刑の執行は行なわれない。
身分は既に極刑囚になっているが、訴訟手続きの最中は、原則として刑の執行が猶予される。たとえそれが、ただ単に本人の延命工作としてのものだけであったとしても。
極刑囚が一番神経過敏になるのは、総選挙後である。総選挙が行なわれ、法務大臣が変ると、極刑囚達は、自分の死刑執行書に印鑑が押されるのではないかと怯える。
その怯えの中、死刑囚が事件を起こすこともある。

極刑囚は、毎週教戒を行なう。
教戒とは、様々な宗教の宗教家達が来て、極刑囚に説話や、法話を行い、自分達が起こした罪の大きさ、深さを悟らせ、反省させる為のものであるが、その最中に極刑囚・谷山康夫は、隠し持っていたハサミで、隣にいた同じ極刑囚の喉を掻き切ったのであった。
谷山康夫は、ここで殺人事件、或いは殺人未遂事件を起こせば、それを事件として審理している間は、自分の刑の執行は行なわれないものと考えた結果の行動であった。

だが、谷山康夫の思惑は外れた。外れただけではなく、自分の死期を早める結果となったのである。
何故ならば、拘置所側は、それを事件として告発せずに、他の書類を作成した。
その書類は、大阪拘置所長名で法務大臣に当てた、谷山康夫の死刑執行嘆願書であった。
数日後、嘆願書を受け取った法務大臣は、死刑執行命令書に印鑑を押したのである。

死刑執行は、日本国内4箇所にある死刑場で行なわれる。大阪拘置所も、その死刑場がある施設の一つであった。死刑場は、大阪拘置所の奥まったところにある。
死刑囚や、死刑についてはいろんな作家が著にしているが、多少の誤りがある。
現在の死刑場は、平床降下式で、13階段など何処にもない。そして極刑囚は、自分の死刑が執行される直前まで、それを知る事はない。それは、囚情の安定と、発作的な自殺などを防止するためである。
死刑前夜に、ご馳走を食べさせたり、煙草を吸わせるような事もない。勿論家族などにも知らせはいかない。
家族に知らせが行くのは、刑の執行が終わってからである。
法務大臣が死刑執行命令書に印鑑を押すと、その時点でその書類がファックスで、死刑囚が収監されている、死刑場のある施設に送られる。
同時に、その判決を行った高等裁判所、及び高等検察庁に送付される。
その書類が拘置所に届いた時から、一番近い時間に死刑の執行が行われるのだ。
午前中に届けば午後一時から、夕方届けば翌朝十時、と言った具合である。

その日、拘置所の保安課及び、警備隊は朝から動きが激しかった。
昨日の午後遅く、法務大臣の印が押された、谷山康夫の死刑執行命令書が届いた。 執行は、今日の午前十時になる。
保安課、及び、警備隊職員が数名、通常勤務をはずれ待機している。
九時三十五分、待機職員が動いた。 三名は極刑囚の居房がある舎房の西側の廊下から入り、舎房出入り口で待機する。 連行指揮官以下三名は、中央廊下から舎房に入って、居房に行き、当日執行がある極刑囚を連行するのだ。
極刑囚は、職員の足音に敏感に反応する。 通常の運動、あるいは教戒、その他の行事の時以外の時間に、大勢の職員が舎房に入ってくると、自分の刑の執行ではないかと怯える。従って、できるだけ、足音を忍ばせ、最低の人員しか舎房内には入らない。
警備隊の四人の連行職員は、静かに谷山康夫の居房の前に立った。
「谷山、行くぞ」 これが執行の、最初の宣告であった。
居房内で、安座し読書をしていた谷山康夫の顔がゆがんだ。 しばし呆然としている谷山に、連行の警備隊員が無表情で次の声をかけた。 「称呼番号!」
「ひゃ、百二十、い、一番」
谷山の声が震えている。 谷山康夫は、ひどく緩慢な動作で立ち上がると、ふらふらと、まるで夢遊病者のように出口迄歩いてくる。
谷山康夫には、この2メートルほどしかない出口迄もが、ひどく長いものに感じられていた。 拘置所から支給されたビニールのスリッパが、思うように履けない。 連行の警備隊職員は、何も言わず無表情で、じっとそれを待っていた。
ようやく廊下に出た谷山康夫は、運動や教戒の時とは違って、反対の西側廊下の方へ連行されていく。
同じ舎房に入っている他の極刑囚は、一言も声を出さない。 ある者は居房の中央に座って、又ある者は、廊下側の窓辺に寄って、じっと息を殺している。 自分の執行の時と重ね合わせており、今日、自分が執行を免れたことにホットしているのであった。

つづく
2005.03.30