勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

投げ込み寺

2006-05-31 23:59:15 | Weblog
生まれては苦界 
死しては浄閑寺


 花又花酔翁の句で知られる浄閑寺(じょうかんじ}は【投げ込み寺】と呼ばれ、薄倖不運の遊女の骨の捨て場であったという。

 地下鉄・三ノ輪駅の真後ろに位置する浄閑寺は作家・永井荷風も度々訪れ、次のように記している。


哀れな娼婦が白骨のゆくえを知らうと思ふ人あらば
哀れな娼婦が悲しき運命の最後を弔はんと欲する人あらば
乞ふ吉原の花散る大門(おおもん)を出て
五十軒をすぎ 土手八丁
その堤を左へとたどりたどって行き給へよ。

 寺の案内によると、浄閑寺に葬られた遊女は実に2万5千に及び、すべての遊女の本名、年令、生国、親許を探索することは不可能だという。

 この寺の下を通る地下鉄工事のさいには、数多くの白骨が掘り出されたそうだ。

 歌舞伎にもある籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)の佐野次郎左衛門に殺された花魁(おいらん)八ッ橋や、年季明けを間近に控えながら、それ故に無理心中の犠牲となった若紫なども葬られている。

 仇討ちに来た本庄兄弟が、白井権八に返り討ちにあい、弟助八が兄助七の首を洗うところを、助八も無残にも討ち果てたという首洗い井戸もある。


永井荷風の文学碑が寺の真後ろにあり


その辺りには遊女の供養塔や


この近くの山谷で労働に生き、労働に老いて
ひとり淋しく人生を終えた人々を祀った、ひまわり地蔵尊もある。

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永井荷風の文学碑の一節です


今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の藝術を

くもりし眼鏡ふくとても
われ今何をか見得べき


このお寺、今もお参りする人が耐えないという。

2006.05.31