月も朧に白魚の
篝(かがり)も霞む春の空
つめてえ風もほろ酔いに
心持ちよくうかうかと
浮かれ烏(がらす)の只一羽
塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端で
竿の雫か濡れ手で粟
思ひがけなく手に入(い)る百両
ほんに今夜は節分か
西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落とし
豆だくさんに一文の
銭と違って金包み
こいつぁ春から縁起がいいわぇ
篝(かがり)も霞む春の空
つめてえ風もほろ酔いに
心持ちよくうかうかと
浮かれ烏(がらす)の只一羽
塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端で
竿の雫か濡れ手で粟
思ひがけなく手に入(い)る百両
ほんに今夜は節分か
西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落とし
豆だくさんに一文の
銭と違って金包み
こいつぁ春から縁起がいいわぇ
ご存知、歌舞伎「三人吉三」で、お譲吉三が大川端で吐く名台詞である。節分が過ぎると立春、いよいよ春である。とはいっても本格的な寒さはこれから。東京の節分の朝は雪の予報。

節分に柊と鰯の頭を玄関先に飾るのは、その棘と痛みやすく弱い魚・鰯の匂いに、鬼も退散するというわけか。
◇ いわし ◇
いわしを食べようと くちをあければ
いわしも くちをあけていた
いわしを 私のくちに運ぶのは母
見れば その母のくちも
ア~ンと大きく 開いていた
いわしは 水から干されたため
私は それを食べるため
母は 子を思う心から
たえまなく咀嚼(そしゃく)を続ける
“時”という くちのまっただ中で
二人と二匹のいわしが精一杯くちを開いている
ささやかな 昼めし時
-星野富弘さん-
いわしを食べようと くちをあければ
いわしも くちをあけていた
いわしを 私のくちに運ぶのは母
見れば その母のくちも
ア~ンと大きく 開いていた
いわしは 水から干されたため
私は それを食べるため
母は 子を思う心から
たえまなく咀嚼(そしゃく)を続ける
“時”という くちのまっただ中で
二人と二匹のいわしが精一杯くちを開いている
ささやかな 昼めし時
-星野富弘さん-
「鰯の頭も信心から」 というが、信心深くない我が家にも、そろそろ福が舞い込んで来ないものだろうか。それには、柊のように棘がなくなるまで、“時”という大きな口の中で、たえまなくおのれを咀嚼し続ける必要があるのかもしれない。