去る2月25日にこの欄で紹介した、朝日新聞の 「天声人語」 のもう一つの話を紹介します。
夏の終りの日曜。デパートの屋上のゲームコーナーで、小さな男の子が遊んでいる。傍らの母親が、コインを入れてやろうとする。が、投入口がなかなか見つからない。「もっと右だよ」 男の子は母の手をとって導く。でもうまくいかない。手元が狂い、母はコインを落としてしまう。男の子が拾って、母に渡す。白い杖を握った母は手探りで、また試みる。少し離れたベンチに座っているのは、やはり白い杖の父親だ。母も父も、生まれながらに視力がほとんどない。たっぷり遊んだ夕暮れ、男の子が母の手をとり、父が母の服をつかんで、三人は帰っていく。
僕は、3年前の今頃、右眼に網膜剥離をおこし、手術をしました。
或る日、喫茶店でお茶を飲みながら、ふと空を見上げると、眼にごみが入っているように、小さなポツポツとした気泡のような物が動いている。
それは、右眼全体にあり、明るいところを見ると、雪の降る空を見ているようだ。気になったので、病院に行ってみると網膜剥離との診断。早急に手術しないと、失明するとの事。
全身麻酔による手術の後、勿論右眼は眼帯、左眼だけで、携帯のメールを打った。
いつもなら、簡単に打てるメールが、うまく打てない。何度も何度もやり直さなければならない。気持ちが焦る、イライラする。体中にストレスを感じる。こんな気持ちになったのは初めてだ。その場にいたたまれず、病室を出て、院内を歩き回る。しかし何の効果もなし。
片眼が見えるのにこのありさま。もし、両眼が見えなかったらどうなるのだろう。その時思った、失明したら、僕は生きていられないだろう。多分死ぬ。
後で医師に聞いた。目から得る情報は、人が五感で感じる情報の80%を占めるそうだ。生きるのに必要な情報の8割を奪われたときの事を考えてみて欲しい。如何に眼が大切であるかを初めて知った。
世の中に、眼の不自由な人はたくさんいる。そして立派に生きている。ただただ畏敬の念!
障害を持って生きる皆さんに、幸あれと願う。
2005.03.05