勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

やっと終った~

2005-03-11 23:51:41 | Weblog
この時期、いつも憂鬱なのが、確定申告。
たいした稼ぎもないのに、払わなければならない税金。これも義務だから仕方ないか。
この申告書、いつもぎりぎりにならないと取り掛かれない。悪い癖。 今日、一日かけて、やっと書き上げた。
月曜日、税務署に行ってこよう。税金、ちゃんと使ってよね! あ~ぁ、疲れた~~~。
2005.03.11

またやっちゃった。大失敗!PARTⅡ

2005-03-10 23:15:10 | Weblog
 今日も無事一日が終わろうとしていた矢先の、お店での話。お客様と踊りながらの会話です。
「私、不眠症だったの」
「エッ、お子さん、いないの?」
「・・・・・???」

うすら若き、いや、間違い。うら若き?レディーに対して、なんという事を。不妊症なら、「だった」と過去形にはしないだろう。でも、あれって治るのかな?
思わず、顔を見合わせて、組んでいた手を離し、あっちと、こっちに別れて大笑い。
またまた、ドジなフジの一日でした。
2005.03.10

小さい春、み~つけた!

2005-03-09 21:45:41 | Weblog
4月下旬の陽気、という汗ばむ程の暖かさが、夕方には冷たい風に変わり、春まだ浅しと感じさせる今日、月2回の高齢者ホームでのダンス教室に行ってきました。
郊外にあるそのホームに行く道すがら、暖かな日差しを受けて、タンポポが2輪、身を寄せ合って咲いていました。
タンポポ、好きな花の一つです。因みに漢字でこう書きます[蒲公英]。
和名で「ほこうえい」と言い、葉や根は生薬として使われるそうです。(大辞林より)
2005.03.09.

ちょっと感動!

2005-03-08 17:49:17 | Weblog
 何年か前の話です。自転車で通勤している僕は、仕事場の近くで、駅のそばの歩道のわきに自転車を停めている。例に漏れず、そこは通勤する人の自転車でいっぱいで、歩道の半分近くを占領しているのだ。

仕事の帰り、午後11時頃だった。まだ程々の数の自転車が停めてある。自分の自転車を引き出そうとすると、そばにあった自転車が4~5台、将棋倒しのようにバタバタと倒れてしまった。
「ア~ァ」 溜息をつきながら、そのまま行ってしまおうかと思ったのだが、自分で倒したものなので、仕方なくそれを起こそうとすると、側を通りかかった20代後半と思われる青年が、「お手伝いしましょうか?」と言いながら、自転車を起こし始めたのです。
僕は「ありがとう!」と言ったものの、自分がもし逆の立場だったら果たして手伝っただろうか?自問自答した。多分知らん顔をして通り過ぎただろう。
ところが、更に驚いたのは、その青年のすぐ後ろから来た、やはり20代と思われる女性が、黙って一緒に手伝ってくれたのだ。
「ありがとう!」の言葉を背に女性が立ち去った後、その青年が言いました。「あの人、僕と関係ありません」
青年が立ち去ろうとした時、思わず聞いてしまった。「何故手伝ってくれたの?」馬鹿な質問と思いながら、聞かずにいられなかった。
彼は、何気なく答えた。「僕も自転車に乗りますから」
そして、青年が立ち去った後、清々しい気持ちと共に、自分を恥じた。
自転車に乗って帰る先で、信号待ちをしていた青年にもう一度聞いてしまった。「ありがとう!でも何故手伝ってくれたの?」青年は、黙って微笑みながら帰って行きました。
その日は、何か得した一日のような気がしました。

2005.03.08

見えることの有難さ

2005-03-05 21:54:24 | Weblog
 去る2月25日にこの欄で紹介した、朝日新聞の 「天声人語」 のもう一つの話を紹介します。

 夏の終りの日曜。デパートの屋上のゲームコーナーで、小さな男の子が遊んでいる。傍らの母親が、コインを入れてやろうとする。が、投入口がなかなか見つからない。「もっと右だよ」 男の子は母の手をとって導く。でもうまくいかない。手元が狂い、母はコインを落としてしまう。男の子が拾って、母に渡す。白い杖を握った母は手探りで、また試みる。少し離れたベンチに座っているのは、やはり白い杖の父親だ。母も父も、生まれながらに視力がほとんどない。たっぷり遊んだ夕暮れ、男の子が母の手をとり、父が母の服をつかんで、三人は帰っていく。

 僕は、3年前の今頃、右眼に網膜剥離をおこし、手術をしました。
或る日、喫茶店でお茶を飲みながら、ふと空を見上げると、眼にごみが入っているように、小さなポツポツとした気泡のような物が動いている。
それは、右眼全体にあり、明るいところを見ると、雪の降る空を見ているようだ。気になったので、病院に行ってみると網膜剥離との診断。早急に手術しないと、失明するとの事。

 全身麻酔による手術の後、勿論右眼は眼帯、左眼だけで、携帯のメールを打った。
いつもなら、簡単に打てるメールが、うまく打てない。何度も何度もやり直さなければならない。気持ちが焦る、イライラする。体中にストレスを感じる。こんな気持ちになったのは初めてだ。その場にいたたまれず、病室を出て、院内を歩き回る。しかし何の効果もなし。

 片眼が見えるのにこのありさま。もし、両眼が見えなかったらどうなるのだろう。その時思った、失明したら、僕は生きていられないだろう。多分死ぬ。
後で医師に聞いた。目から得る情報は、人が五感で感じる情報の80%を占めるそうだ。生きるのに必要な情報の8割を奪われたときの事を考えてみて欲しい。如何に眼が大切であるかを初めて知った。

 世の中に、眼の不自由な人はたくさんいる。そして立派に生きている。ただただ畏敬の念!
障害を持って生きる皆さんに、幸あれと願う。

2005.03.05

暖冬?

2005-03-04 20:38:20 | Weblog
 昨夜から降り始めた雨は、未明から雪に変わり、朝の東京は降りしきる雪に深々と冷える。
2月23日に吹いた春一番の後、暖冬といわれたこの冬が嘘のように、毎日寒い日が続く。
浅草寺の五重塔も、雪化粧をして、誇らしげに雪空に聳えていました。
春本番まで、もう一息ですね。
2005.03.04

裸の王様

2005-03-03 23:34:02 | Weblog
家来達は何も言えない裸の王様、西武グループの堤 義明氏逮捕のニュースが踊る。
いつの世も独裁者は必ず滅びる。
過去には、ルーマニアのチャウシェスク、最近では、イラクのフセイン(これは他力ではあるが)、そしてコクドの堤氏。
もう一人、どこかの国に、どうしようもない独裁者がいる。
この裸の王様は、いつ風邪をひくのだろうか?
二度と立ち上がれない風邪を・・・
2005.02.03

惜別!

2005-03-01 21:01:57 | Weblog
 日本でも多くのファンを持つ、タンゴバンド指揮者のアルフレッド ハウゼ氏が1月14日に亡くなっていた事を、昨日の朝日新聞の夕刊の「惜別」という欄で知りました。
若い頃、来日した彼の演奏会に、何度も足を運んだ事を思い出します。

今は亡き、タレントの藤村有弘氏の軽妙な司会が楽しかった事や、僕の好きな歌手の一人、菅原洋一氏との競演に感動し、また或る時は、開演のベルで場内が暗くなり、シーンとなったその時、幕が閉じたまま、突然“ジェラシー”の曲が流れ、徐々に幕が開くと、舞台では楽団員が演奏し、袖からハウゼ氏がタクトを振りながら現われる。
そんな演出と演奏に、身震いし、鳥肌が立った事を鮮明に覚えています。
懐かしさと共に、残念です。

彼への追悼の意味を込めて、私のHPの表紙に、彼の指揮による“ジェラシー”の曲の一部を添付しましたので、お聴き下さい。
HPには、左の欄のブックマークのdancin'-fujiからも入れます。
2005.03.01