勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

東日本大震災報道写真展

2013-03-07 03:11:36 | Weblog
 あの悪夢の日から間もなく2年が経とうとしている。遅々として進まない復興、事故処理もなす術がないまま原発推進を明言する政府。しかし刻々と時は流れ、人は生きていかなければならない。そして、あの悪夢も少しづつ風化しているのではないだろうか。

 東京有楽町マリオン11階の朝日ホールでは、3.1~3.13まで東日本大震災報道写真展が開かれている。そこには、震災当時の生々しい写真や、僅かではあるが復興に向けて前を向く人々の姿がある。


 写真展は、「1部・あのとき何が」「2部・原発事故」「3部・悼む」「4部・明日へ」と4部構成で展示されている。特に1部、2部、3部の写真からは、あの日の生々しい情景が伝わり、涙なくして見ることはできない。

 自ら命を絶った福島県相馬市の酪農家が、新築したばかりの堆肥舎の壁に残した「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」のメッセージ。「抱きしめて」と題した、父親の葬儀に、抱きしめたおとうさんの遺影に顔を摺り寄せて母の胸で泣く子供。

 以前、新聞でも見ていた「抱きしめて」の子供の写真の前では、再び胸が締め付けられる思いに目頭を熱くした。偶々、これらの写真を見ながら前を歩く二人連れのご婦人の涙声の会話も聞こえてきた。

 地震と津波は自然災害であるが、原発事故は人災である。原発に関しての朝日新聞の世論調査では、原発を利用することに反対か賛成かの質問に、福島県民の、賛成19%、反対64%に対し、全国の、賛成37%、反対46%とは大きな差がある。日本の原子力発電を今後どうしたらよいかの質問も、同じように福島と全国とでは、やめるかやめないかに大きな差があることを朝日新聞が報じている。原発の被害を直接被った人と、自分には関わりないと高を括る人との差が明らかである。

 この東日本大震災の報道写真展を見て、改めて被災者の身になって考えるべきであり、震災と原発事故を風化させてはならないと痛感した一日だった。

電話調査

2013-03-05 22:28:32 | Weblog
 2020年の夏季五輪の東京開催を目指し、IOC評価委員会の視察が4日から始り、東京スカイツリーは3/4~3/7まで、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会と共同で特別ライティングが実施されている。


 また、今年の5月には、関東エリアの地デジテレビ電波は、東京タワーから東京スカイツリーに移行する予定であるが、一部で電波を正しく受信できない可能性もあるという。それに伴い関東地区の各放送局では「スカイツリー受信確認テスト」を行っている。

 今日の午前中、珍しく我が家の固定電話が鳴った。「〇〇さんのお宅ですか?NHKの△△と申しますが、少々お時間をいただけますか?」と女性の声。「はい」と応えると、スカイツリーの受信確認テストに関しての調査であり、受信確認を行っているかなどの質問であった。幸い我が家ではノイズなどもなく正常に映っていることを伝えた。全戸に対しての調査ではないと思われるが、何故か僕はこのような社会調査や世論調査などに出くわすことが多い。


 そもそも、おこがましくもメディアの場に最初に顔を出したのは、30数年前の30代半ばの頃、TBSテレビのクイズ番組に出場したのが始まりだった。それ以来、メディアを汚すことも恐れず、2005年の国勢調査では個人情報の問題に関して、自宅玄関での取材がNHKテレビのニュースで流れた。2008年9月25日には、麻生政権に関しての電話での世論調査を受けた。2010年3月30日には、建設途中のスカイツリーと桜とのコラボの写真を撮っていた隅田公園で、ドイツの放送局のインタビューを受け、後日ドイツで放映された動画のDVDまで送っていただいた。


 ブログのサブタイトル≪相田みつをさんの言葉「一生感動一生青春」を生きる証として≫にもあるように、好奇心旺盛な僕、小さなことにも感動する心を持ち続けたい。それがこんな機会を作ってくれるのだろうか?これからもぢい散歩を続け、こんなサプライズを楽しむ人生でありたいと思う。

吉原芸術大サービス

2013-03-04 02:58:41 | Weblog
 先日も話題にしたが、今は昔、遊郭として栄えた街吉原は、奥浅草といわれる浅草寺裏に位置する、知る人ぞ知る色町である。その吉原地区にある吉原弁財天を中心に行われた「吉原芸術大サービス」と銘打ったパフォーマンスは、若手芸術家たちによる吉原の繁栄と衰退を経た、吉原の再生を願う新しい風である。


 吉原神社では、≪羽衣≫抄の琵琶演奏があり、もの悲しい音色が神社境内に響き、その後、新装なった吉原弁財天に場所を移してのファッションショーが繰り広げられた。

 吉原といえば花魁、その花魁に扮した fifi antenna project のメンバーによる水引の衣装はちょっとセクシーで、寒空にも負けない熱気が見るものを圧倒していた。







 観音裏の奥浅草・吉原は、10日の日曜日までの一週間、若手芸術家の作品発表によるパフォーマンスが行われ、新しい吉原に生まれ変わりつつある。

うれしいひなまつり

2013-03-02 15:32:47 | Weblog
 男所帯の我が家にも雛人形がある。手芸好きの方の手作り内裏雛である。普段は他の人形と一緒に人形ケースに収まっているが、やはりこの時期にはケースから躍り出て、主役として飾り棚の中央で存在感を示してくれる。


 この季節になると、必ず聞こえてくる歌がある。 ♪あかりをつけましょ ぼんぼりに♪ と始まる、サトウハチロー・作詞、河村光陽・作曲の、「うれしいひなまつり」を知らない人はいないだろう。

 

 ところが2番の歌詞 ♪お内裏さまと おひなさま 二人ならんで すまし顔♪ にいつも疑問を感じていた。お内裏さまとは、男雛と女雛の一対を指し、お内裏さまとおひなさまが二人ならんで・・・とは言わない。この疑問を払拭してくれたのが、昨年の3月3日の朝日新聞「うたの旅人」の記事だった。

 作詞のサトウハチロー氏は最初の妻と離婚し、一男二女を引き取った翌年のひな祭りに、二人の娘に豪華なひな人形を贈った。その娘の喜ぶ顔を見て作ったのが「うれしいひなまつり」だったという。後に歌詞の間違いに気付いたハチロー氏は「この歌に関係する権利を全て買い取って、この歌を捨ててしまいたい」と言っていたという。しかし、彼の思惑とは裏腹にこのうれしいひなまつりは、日本人では知らない人がいないほど、彼の作品の中では最も良く歌われる歌のひとつになってしまった。そんなエピソードを知ってこの歌を歌うのも、また別の趣があるかもしれない。

 この哀調あるメロディーは、何度も来日しているメキシコのコーラスグループ、トリオ・ロス・パンチョスが「哀れなみなしごたち」というタイトルで歌い、最近までメキシコの歌曲だと思われていたらしい。

 一昨年、うれしいひなまつりの後に襲った東日本大震災時の大津波は、多くのみなしごを作ってしまった。あれから間もなく2年が経つ。彼らの悲しみは永遠に癒えないかもしれないが ♪着物を着かえて 帯しめて 今日は私も晴れ姿 春の弥生の このよき日 何よりうれしい ひなまつり♪ が来ることを願ってやまない。