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「2020東京オリンピック」大会13日目の4日は、スケートボードの女子パークが行われました。ストリート種目で男子は堀米雄斗選手が、女子も関矢椛選手が金メダルを獲得。パーク種目でも日本勢のメダル獲得が大いに期待されています。パークは持ち時間45秒のランを3回行い、3回のうちのベストスコアが自分の持ち点となります。45秒間ミスなく滑りきり、なおかつ大技が出れば高得点が期待されます。この種目で日本勢からは、世界ランク1位の岡本碧優、2位の四十住さくら、日本選手団最年少・12歳の開心那(ひらきここな)の3選手が出場しました。
午前の予選では、四十住は高難度の技と高いエアーを見せ、3本ともノーミスで完走。1本目は42.50点、2本目は45.93点、3本目は45.98点をマーク。2組目に登場した開は1本目からアグレッシブな滑りを見せ、ノーズグラインド、フリップインディ(回転する板を掴む技)、さらには角レールに乗り上げる技も見せ、2本目に52.46点を叩き出す。第4組に登場の岡本は、いきなり「バックサイド540(1回転半)」を決めると、難易度の高い技を次々と成功させ、最後はフリップインディを成功。3本目に58.51点を挙げ、全体トップで決勝進出。開は3位、四十住も4位で決勝へ。
午後の決勝戦、予選4位の四十住は安定感のあるエアを見せると、残り10秒でオーリーからの540、さらに板を掴みながらの540を成功。1本目で会心の演技を見せた四十住、60.09点の高得点をマーク。
予選3位の開は、1本目に58.05点を出すと、2本目は両サイドのノーズグラインド、フリップインディ、予選で見せた角レール乗り上げを見せ、ノーミスで完走。予選同様攻めの演技を見せた開は、59.04点をマーク。
予選トップの岡本は、最初のエアで「バリアル540」の大技を出すと、バックサイド540も高さ十分。最後に「キックフリップインディー」を試みるが、ボードを取り損ねてしまった。それでも53.58点の高得点を叩き出した。
2本目を終えて四十住がトップ、開が2位、岡本が暫定3位。日本勢の表彰台独占の可能性が出てきた。しかし、3本目に暫定4位のスカイ・ブラウン(英国)が勝負に出ます。横回転の360から始まり、アリウープバックサイドエア、さらにはキックフリップインディーグラブエアー、540の大技も成功。最後にノーミスの演技を披露したブラウンの得点は56.47点。岡本の得点を上回ったが、四十住と開には及ばず。この時点で日本の金・銀メダルは確定。
そして最終演技者の岡本が登場。メダルを獲得するにはミスは許されない。最初のバリアル540を決めた後、バックサイド540も成功。その後も順調に技をこなし、最後の「キックフリップインディ」にすべてをかけたが、惜しくも失敗・・・。選手たちが岡本の前に集まり、その健闘を称えた。この結果、四十住さくらが金メダル、開心那が銀メダル、銅メダルはスカイ・ブラウン、岡本碧優は4位。
スケートボード・ストリートの男女アベック金メダルに続き、女子パークでも日本人金メダリストが誕生しました!19歳の四十住さくら選手がこの種目の初代女王に輝きました。銀メダルの開心那選手は12歳11カ月でのメダル獲得。「最年少金メダリスト」の関矢椛選手は女子2年生ですが、開選手は中学1年生です。3位のスカイ・ブラウン選手は、イギリス代表だけど宮崎県出身で、父はイギリス人、母は日本人のハーフ。しかも開選手とは同学年です。日本出身の選手が上位独占ですね。
予選で岡本選手や開選手、ブラウン選手が大技を決めて50点台だったのに対し、四十住選手は45点台で4位通過。「決勝で何かやりそう」な気がしましたが、決勝1本目の終盤に540を連発し、60点台をマーク。その後は四十住選手のスコアを上回れず、逃げ切り勝ちを収めました。本当に予選から安定した滑りだと思いました。
四十住選手はこれまでに2018年のアジア大会と世界選手権で優勝し、Xゲームズでも銅メダルを獲得。今年5月には五輪選考の対象大会「DEW TOUR 2021」で優勝しました。地元・和歌山にはスケボーの練習場がなく、大阪や神戸、三重の施設に通うこともありましたが、昨年秋に地元の酒造会社の倉庫を利用した、四十住選手専用の練習場「さくらパーク」が完成。そこで1日8時間以上の練習を行っていたそうです。地元の支援がなかったらメダルは獲得できなかったのかも。