格闘技イベント「K-1」で活躍した元格闘家のマイク・ベルナルドさんが、14日に南アフリカ・ケープタウン死去しました。42歳でした。日本のリングで人気を集めた「剛腕」の雄姿はもう見ることができません…。
海外のメディアなどによると、ベルナルドさんは14日早朝にケープタウン市内の自宅で大量の薬物を服用した後に倒れ、救急車で病院に運ばれましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。死因などは確認されていませんが、一部では薬物自殺という情報もあるとのことです。
ベルナルドさんは1969年にケープタウンで生まれ、1995年の「K-1グランプリ」で初来日し、初出場でベスト4まで進出。翌年の「K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦」では、ピーター・アーツと武蔵を破り、決勝でアンディ・フグと対戦しましたが、下段後ろ回し蹴り(フグトルネード)を浴びてKO負けし、準優勝に終わりました。
2000年にはプロボクシングに転向し、WBF世界ヘビー級王座を獲得。しかし、その年にライバルであり盟友だったアンディ・フグさんが白血病で他界したことがきっかけでK-1復帰を表明。フグさんが参戦するだった「K-1 WORLD GP 2000 福岡大会」に出場し、全試合1RKO勝ちで優勝し、12月の決勝大会の出場権を獲得するも欠場。2002年以降はダウンを奪われたり、判定orKOで負ける試合が相次ぐなど不調が続き、2006年に現役引退を表明。引退後は後進の指導にあたっていました 。
ベルナルドさんの突然の訃報を受け、選手や関係者からもお悔やみのコメントが寄せられ、長年フジテレビのK-1グランプリの司会を務めた藤原紀香さんは、自身のホームページで「いまはまだ信じられない。悲しくて胸が張り裂けそうです」とコメントを掲載。K-1の代表を務めた谷川貞治氏は「本当に驚いていますし、心を痛めております」と述べました。
「K-1四天王」の一人であり、ベルナルドさんの最大のライバルだったピーター・アーツ選手は、出発前日に前妻からの電話でベルナルドさんの訃報を知り、「最初は信じられなかった」とショックを隠しきれず、「素晴らしいパンチを持ったボクサーだった。とても悲しい」とライバルの死を悼みました。
アンディ・フグさん、ピーター・アーツ、アーネスト・ホーストと共に「K-1四天王」の1人として、90年代後半のK-1ブームを支えてきたマイク・ベルナルドさん。がっしりとした体格とスキンヘッド、破壊力抜群のパンチ、十字架の入ったトランクス(敬虔なクリスチャンだったから)が印象に残っています。見た目からして強面そうだったけど、「ベルちゃん」という愛称で親しまれ、流暢な日本語でバラエティ番組にも出ていたし、「ベリー切れてな~い」と言ったカミソリのCMは今でも忘れられません。
K-1グランプリに何度も出場しながらも世界王者とは無縁で、「無冠の帝王」とまで呼ばれていました。ホースト選手が4度優勝、アーツが3度優勝したのに対し、ベルナルドさんは一度も優勝できずに引退。1回でもいいから王者になってほしかったなあ。
K-1四天王、ジェロム・レ・バンナやミルコ・クロコップ、フランシスコ・フィリオといったトップファイターが活躍し、石井館長がプロデューサーを務めていた時代のK-1は本当に熱くて面白かったのに、石井館長の逮捕と同時にブーム終焉。セーム・シュルトが絶対王者になってからは以前のように盛り上がらず、今ではK-1の開催すら無く、主力選手は海外のリングに上がり、アラフォーを迎えたバンナ選手やアーツ選手は日本のプロレス団体に参戦。活動再開の情報は未だに無く、存続の危機に立たされています。PRIDEが消滅し、K-1も終わりに近づき、日本の格闘技の灯が徐々に消えつつあります。格闘技ブームが再燃する時代はいつになるんでしょうか?
つい最近、ホイットニー・ヒューストンが薬物中毒で急死しましたが、ベルナルドさんの死はそれ以上の衝撃を受けました。インターネットのニュースを見ると、ベルナルドさんはうつ病を患い、自殺未遂を図った事もあり、奥さんとは数年前に離婚。タフだった現役時代とは一転、晩年は精神不安定に陥るほど苦しみました。まだ42歳なのに、死ぬの早いですよ。マイク・ベルナルドさんのご冥福をお祈り申し上げます。