騎手時代に1992年にミホノブルボンとのコンビで日本ダービーを制し、その後調教師に転向した小島貞博氏が、23日に亡くなりました。60歳でした。死因について当初は明らかにされていませんでしたが、一夜明けた24日に自殺と判明しました。
小島さんは23日午後、栗東トレセンの2階で首吊り自殺を図り、夕方に栗東市内の病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されました。関係者の話によると、小島さんは厩舎経営に悩んでいて、多額の借金を抱えていたそうです。24日と25日の調教師免許更新を前にの面接を目前での出来事でした…。
小島氏は1951年11月10日に北海道新冠町に生まれ、1971年に騎手免許を取得してデビュー。若手時代は平地と障害レースの両方で活躍し、1982年にキングスポイント(テンポイントの弟)とのコンビで中山大障害春秋連覇を達成し、その年の優秀障害騎手賞を受賞。デビュー20年目の1991年、ミホノブルボンに騎乗して朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)でGI初制覇。翌年の92年に皐月賞とダービーの2冠を制覇。94年にはチョウカイキャロルでオークスを勝ち、95年にはタヤスツヨシに騎乗して2度目のダービー制覇を成し遂げました。
2001年に調教師免許を取得して騎手を引退。2年間の技術調教師を経て2003年に厩舎を開業。2005年のアイビスサマーダッシュ優勝馬・テイエムチュラサンし、中山大障害を勝ったテイエムドラゴンを輩出。2009年には調教師通算100勝を達成し、昨年は14勝をマーク。今年に入り、同厩舎所属のシゲルソウウンが1月15日の京都・山科ステークスを制しました。
通算成績 騎手時代4722戦495勝(重賞27勝、うちGI5勝)。 調教師時代通算138勝(重賞4勝・うちGI1勝) ※重賞勝ちは平地・障害を合わせました。
小島氏と言えば、ミホノブルボンとコンビを組み、他馬を置き去りにして勝ち続けていたころが一番印象に残っています。デビューからラストランまで一緒で、小島騎手の強気な手綱裁きにより、3度もGI勝ち。無敗でクラシック2冠を達成し、3冠制覇も間違いなしかと思いましたが、菊花賞で2着に敗れて三冠馬の夢が打ち砕かれてしまいました。ブルボンは今でも最強の逃げ馬であると思っています。
深夜に「小島調教師が死去」というニュースを知った時は、正直「えっ?マジか」という感じで、最近の寒さで心臓発作を起こしてしまったのかと思っていましたが、厩舎経営に行き詰って首吊り自殺するという悲しい最期を迎えました。小島氏の奥様に対しての『先に行くから』という一言は、最期の別れの言葉といえるでしょう。かつてのダービージョッキーがこういう形で天国に旅立つのは切ない気がします。
デビュー20年過ぎた辺りからGIを勝ちづづけ、ダービーも2度も勝った遅咲きの名ジョッキー、調教師になってからは通算100勝以上をマーク。騎手と調教師で実績を挙げながらも、晩年は借金トラブル…。小島調教師が亡くなり、厩舎の後継者、それに残された馬達の移籍先がどこになるのか気になります。小島貞博さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
小島さんは23日午後、栗東トレセンの2階で首吊り自殺を図り、夕方に栗東市内の病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されました。関係者の話によると、小島さんは厩舎経営に悩んでいて、多額の借金を抱えていたそうです。24日と25日の調教師免許更新を前にの面接を目前での出来事でした…。
小島氏は1951年11月10日に北海道新冠町に生まれ、1971年に騎手免許を取得してデビュー。若手時代は平地と障害レースの両方で活躍し、1982年にキングスポイント(テンポイントの弟)とのコンビで中山大障害春秋連覇を達成し、その年の優秀障害騎手賞を受賞。デビュー20年目の1991年、ミホノブルボンに騎乗して朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)でGI初制覇。翌年の92年に皐月賞とダービーの2冠を制覇。94年にはチョウカイキャロルでオークスを勝ち、95年にはタヤスツヨシに騎乗して2度目のダービー制覇を成し遂げました。
2001年に調教師免許を取得して騎手を引退。2年間の技術調教師を経て2003年に厩舎を開業。2005年のアイビスサマーダッシュ優勝馬・テイエムチュラサンし、中山大障害を勝ったテイエムドラゴンを輩出。2009年には調教師通算100勝を達成し、昨年は14勝をマーク。今年に入り、同厩舎所属のシゲルソウウンが1月15日の京都・山科ステークスを制しました。
通算成績 騎手時代4722戦495勝(重賞27勝、うちGI5勝)。 調教師時代通算138勝(重賞4勝・うちGI1勝) ※重賞勝ちは平地・障害を合わせました。
小島氏と言えば、ミホノブルボンとコンビを組み、他馬を置き去りにして勝ち続けていたころが一番印象に残っています。デビューからラストランまで一緒で、小島騎手の強気な手綱裁きにより、3度もGI勝ち。無敗でクラシック2冠を達成し、3冠制覇も間違いなしかと思いましたが、菊花賞で2着に敗れて三冠馬の夢が打ち砕かれてしまいました。ブルボンは今でも最強の逃げ馬であると思っています。
深夜に「小島調教師が死去」というニュースを知った時は、正直「えっ?マジか」という感じで、最近の寒さで心臓発作を起こしてしまったのかと思っていましたが、厩舎経営に行き詰って首吊り自殺するという悲しい最期を迎えました。小島氏の奥様に対しての『先に行くから』という一言は、最期の別れの言葉といえるでしょう。かつてのダービージョッキーがこういう形で天国に旅立つのは切ない気がします。
デビュー20年過ぎた辺りからGIを勝ちづづけ、ダービーも2度も勝った遅咲きの名ジョッキー、調教師になってからは通算100勝以上をマーク。騎手と調教師で実績を挙げながらも、晩年は借金トラブル…。小島調教師が亡くなり、厩舎の後継者、それに残された馬達の移籍先がどこになるのか気になります。小島貞博さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。