隣の庭に遊びに来たメジロ
およそ半月ぶりの書き込みである。自分の部屋から、隣のお宅の庭に時折遊びに来るメジロの姿を観ながらブログを書いている。
「今年こそは平穏であってほしいものだ」と願っていたものの、2016年を迎え1カ月と幾日しか経過していないというのに、またもやその願いは打ち砕かれてしまった。我々兄弟にとってかけがえのないあの優しい兄が逝ってしまったのである。
およそ4年前、時折はげしい咳が出るので専門医に診察してもらったところ、「間質性肺炎」という名の「難病」であることが判明。以降、この病気の進行を抑える「投薬治療」を続けつつ日常生活を続けていた。ところが、昨年秋頃から病状が進行したことにより「入院治療」に専念。今月初旬には「一時退院」し療養していた。しかしその一週間後には急速に病状が悪化、たちまち「危篤状態」に陥り、去る18日の午後、85歳の生涯を閉じた。
一昨年の2月、隣に住む義兄が他界したのに続いて、その年の夏には広島に住む義弟が他界。そして、昨年春には妻が他界。その「一周忌法要」を前にして、今度は兄が他界した・・・・。こんなことを「運命の悪戯」というのであろうか。
兄は、「戦後」間もなく郷里の本郷村(現、岩国市本郷町)に帰り、郵便局勤めをはじめた。およそ10年間本郷郵便局に席を置いたあと岩国西郵便局に転勤。以降、数か所の郵便局を経て、再び郷里の本郷郵便局に帰ってきて両親の面倒をみつつ定年まで勤めた。退職後は、農作業のかたわら自治会活動などをしていた。その数年後、村会議員への就任(一期4年)を経て、収入役・助役の任にも就き、平成18年3月の「広域合併」前年12月の「任期満了」まで務めた。退任後も、集落の諸々の世話役活動はもとより、自治会、本郷の歴史を辿る会や老人クラブ、カラオケクラブなど多岐にわたり「難病」にかかって以降も関わり続けてきた。
兄と僕との年齢差はおよそ10歳。郵便局に勤めるかたわら農作業に明け暮れ、両親の世話はもとより、6人の弟や妹の面倒もよくみてくれた。僕の今があるのは兄の存在があったからいっても過言ではない。中学を卒業して田舎から広島の学校に入った際、その費用の一切を出してくれたのも兄だった。
兄さんありがとう。僕も兄さん同様、「本郷大好き」だから、今までに増して度々本郷に帰ることにするよ。家周辺の「草刈り」はもとより、「道つくり」などの行事にも参加したりし、兄さんに代って近所の皆さんとの親交を温めていこうとおもっている。・・・ありがとう兄さん・・・ゆっくり休んでください・・・。