では、6日と7日に支援物資を届けた地域と、その様子についてお話します
まずは女川町について。
建物の解体は、9ヶ月経ってもまだ終わることはなく・・・。
今回女川町支援物資窓口に持っていったのは、各集落の仮設住宅内集会所で使用する日用消耗品です。
また、潜水支援をした指ヶ浜には、これから寒い季節に漁師さんが浜で使用するように、七輪や炭・帽子など等を渡してきました。
震災から9ヶ月、これまで女川町支援物資窓口に何度訪れたでしょうか・・・。
企業や団体からの支援物資のみ受付ていた多くの市町村に比べて、個人からの支援物資も受け入れていた女川町。(震災後しばらくは仕分け作業が大変だったようですが)町民のニーズに合った物資が届きやすかったのだと思います。
そして、ある程度過ぎた時期から、避難所に物資を配るだけではなく、倉庫にある物資の中から必要な物を選んで持ち帰れるシステムが出来たので、自宅や仮設住宅にいる町民も物資を受け取ることが出来ました。
そして、町役場の支援物資担当者Tさんから、訪問翌日の8日に電話連絡がありました
●先月、3階建ての仮設住宅が出来上がったことで避難所生活の町民がいなくなったこと。
●町外れに、大型ドラッグストアやコンビニが出来たこと。
●それに伴い、必要な物資の要望が減ったこと。(買い物に行けない高齢者などからの要望はあるが…。)
↓ ↓ ↓
だから
「これからは町民の自立に向けて動いていきます。支援物資の受付は今月いっぱいで終了することに決まりました」とのお話でした。
一安心です。
女川町の仮設住宅に住んでいる漁師さんや奥様たちからも「物資はだいぶ大丈夫だよ」っていう声を多く聞くようになったな~と思います。
(家もないし、船もない。ウン千万円借金して養殖再開だ、とかお話聞きますが。)
とりあえず、女川町への支援物資は落ち着いてきたようです。ご支援してくださった皆様、ありがとうございました
今後は、漁や養殖でのお手伝いや、生活自立のためのお手伝いを呼びかけることがあるかもしれません。
次に南三陸町戸倉へ。
こちらの仮設住宅へは、今回多くの物資を持って行きました。
●南三陸町は合併により旧志津川町と旧歌津町が一緒になった町なのでエリアが広いこと。支援物資は企業や団体からしか受け付けていなかったこと。さらに、町での支援物資受付は10月で終了したこと。
なのに、南三陸町の中には生活に必要な物を買える店はない。衣類も生活用品も足りていない。
●仮設住宅に肉・野菜・魚の移動販売車は来るけれど、醤油・砂糖・塩などの調味料は売っておらず、トイレットペーパーやボックスティッシュなどの日用消耗品も売っていないこと。買い物するには、隣町まで車で片道40分以上かけていくこと。
●月1位で炊き出し隊が来てくれるが、これは町からの依頼ではなく、独自にツイッターで呼びかけて来てもらっている。
●80戸280人の住宅地には、お年寄りも多い。小さなコンテナはあるけれど、ちゃんとした集会所が出来る予定は今のところない。
●やっと断熱材の工事が始まった。けれど、隙間は多いし、雨が降ると水が中に入ってくる。
他、色々…いろいろ…。
こちらはまだ、物資での支援が必要だと感じました。
小さいコンテナには、集まりを呼び掛けた貼り紙が。
『アイランダー』さんの皆様は、実際に被災地を訪れ、直接被災者の話を聞き、ニュースやネットで流れる情報と違う面を知り、改めて「今、何が出来るか、何が必要なのか、帰ったらみんなにどう伝えたらいいのか」を考えさせられた2日間になったようでした。
潜水支援・物資支援・そして今後の支援について検討して頂き、ありがとうございました。
またお会い出来る日を、楽しみにしています
まずは女川町について。
建物の解体は、9ヶ月経ってもまだ終わることはなく・・・。
今回女川町支援物資窓口に持っていったのは、各集落の仮設住宅内集会所で使用する日用消耗品です。
また、潜水支援をした指ヶ浜には、これから寒い季節に漁師さんが浜で使用するように、七輪や炭・帽子など等を渡してきました。
震災から9ヶ月、これまで女川町支援物資窓口に何度訪れたでしょうか・・・。
企業や団体からの支援物資のみ受付ていた多くの市町村に比べて、個人からの支援物資も受け入れていた女川町。(震災後しばらくは仕分け作業が大変だったようですが)町民のニーズに合った物資が届きやすかったのだと思います。
そして、ある程度過ぎた時期から、避難所に物資を配るだけではなく、倉庫にある物資の中から必要な物を選んで持ち帰れるシステムが出来たので、自宅や仮設住宅にいる町民も物資を受け取ることが出来ました。
そして、町役場の支援物資担当者Tさんから、訪問翌日の8日に電話連絡がありました
●先月、3階建ての仮設住宅が出来上がったことで避難所生活の町民がいなくなったこと。
●町外れに、大型ドラッグストアやコンビニが出来たこと。
●それに伴い、必要な物資の要望が減ったこと。(買い物に行けない高齢者などからの要望はあるが…。)
↓ ↓ ↓
だから
「これからは町民の自立に向けて動いていきます。支援物資の受付は今月いっぱいで終了することに決まりました」とのお話でした。
一安心です。
女川町の仮設住宅に住んでいる漁師さんや奥様たちからも「物資はだいぶ大丈夫だよ」っていう声を多く聞くようになったな~と思います。
(家もないし、船もない。ウン千万円借金して養殖再開だ、とかお話聞きますが。)
とりあえず、女川町への支援物資は落ち着いてきたようです。ご支援してくださった皆様、ありがとうございました
今後は、漁や養殖でのお手伝いや、生活自立のためのお手伝いを呼びかけることがあるかもしれません。
次に南三陸町戸倉へ。
こちらの仮設住宅へは、今回多くの物資を持って行きました。
●南三陸町は合併により旧志津川町と旧歌津町が一緒になった町なのでエリアが広いこと。支援物資は企業や団体からしか受け付けていなかったこと。さらに、町での支援物資受付は10月で終了したこと。
なのに、南三陸町の中には生活に必要な物を買える店はない。衣類も生活用品も足りていない。
●仮設住宅に肉・野菜・魚の移動販売車は来るけれど、醤油・砂糖・塩などの調味料は売っておらず、トイレットペーパーやボックスティッシュなどの日用消耗品も売っていないこと。買い物するには、隣町まで車で片道40分以上かけていくこと。
●月1位で炊き出し隊が来てくれるが、これは町からの依頼ではなく、独自にツイッターで呼びかけて来てもらっている。
●80戸280人の住宅地には、お年寄りも多い。小さなコンテナはあるけれど、ちゃんとした集会所が出来る予定は今のところない。
●やっと断熱材の工事が始まった。けれど、隙間は多いし、雨が降ると水が中に入ってくる。
他、色々…いろいろ…。
こちらはまだ、物資での支援が必要だと感じました。
小さいコンテナには、集まりを呼び掛けた貼り紙が。
『アイランダー』さんの皆様は、実際に被災地を訪れ、直接被災者の話を聞き、ニュースやネットで流れる情報と違う面を知り、改めて「今、何が出来るか、何が必要なのか、帰ったらみんなにどう伝えたらいいのか」を考えさせられた2日間になったようでした。
潜水支援・物資支援・そして今後の支援について検討して頂き、ありがとうございました。
またお会い出来る日を、楽しみにしています