ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

宇美八幡宮

2006-09-04 21:11:45 | 平々凡々

 

 宇美八幡宮本殿

 

 土曜日、次女の腹帯も近くなってきたので、宇美八幡宮に参拝に行くことにした。この八幡宮は神宮皇后が応神天皇を産まれたところとして祭られ、安産・育児の神様として敬われている。私たちも長女が産まれる時から、ずっとそのたびに参詣に行っている。もう30年以上の付き合いだ。その御利益だろうけど、みんな健やかに育っている。もちろん和音君のときも参詣した。

 

 9月に入って急にさわやかになったので、ドライブを兼ねて小旅行として、急遽行くことでまとまったのだが、その日の朝次女が一緒に行く、と言い出した。仕事が休みで旦那は休日出勤だそうだ。

 

お参りなので午前中に行かなくてはと、10時に家を出発。戸締り用心を充分にチェックしたのは当然だ。次女を拾って、都市高速から九州縦貫道へ。福岡インターで降りて県道二日市線を南へ。20分ほどで宇美八幡宮に到着。11時半だった。いつもながら樟の巨木に圧倒される。根回り10m以上はありそうな樟が20本近くありそうだ。言い伝えが本当なら応神天皇の生誕を見守っていたことになる。樹齢2000年だ。

 

 樹齢2000年の樟

 

本殿に参拝したあと、妻と次女は社務所で腹帯を購入した。長女の時は色々と悩んでいたが、今度はすんなり買ったようだ。長女と同じものにしたのだろう。記念写真などを撮って参拝終了。帰るだけだが今来た道を戻るのでは芸が無い、ということで飯塚を抜けることにした。八木山峠を快適に走って、飯塚へ。

 

この地は炭鉱で栄えた町で、荒くれ男たちが遊び回った街である。五木寛之の「青春の門」で有名になったので知ってる人も多いでしょう。遠賀川の堤防の直ぐ横に、昔の栄華を留めた嘉穂劇場という芝居小屋が残っている。筑豊水害で水没して根太や廻り舞台などが壊れてもう駄目かと思っていたが、全国からの支援や芸能関係の強力な応援で復旧したところである。一度は見ておこうと寄ったが、中村勘三郎の襲名披露公演が開催されていた。思っていたよりも小さく、やはり地方の芝居小屋と妙に納得させられた。

 

嘉穂劇場 正面

 

2時を過ぎたので昼食を、とドライブインをチェックしながら車を走らせると、一太郎というでっかい鯛の看板の店があった。見てみると魚介物の店で、回転寿司もやっているようだ。早速車を止めて寿司屋に入った。昼間なのに人でいっぱいだったが、席は運良く空いていた。回転寿司は下関の唐戸市場が新鮮で安くておいしいが、この店もそう遜色なかった。ただひらめが無かったのが残念だったが、満足した。

 

新鮮な魚をお土産に買って帰路に着く。長女宅にお土産を渡す口実で寄った。もちろん和音君に会うためだ。元気に寝ていた。うつぶせになって。首を上げて寝返りみたいに方向をしきりに変える動きをしていた。もう首も強くなってきたようだ。娘たちの育成プログラムだろう。私たちの手から離れて心配していたが、丈夫に育っていて安心した。

私たちは精神的にも、お腹も、充分に満足して帰宅した。

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コメント (10)
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