新聞配達さんの足音で目覚めることが多くなりました。
ごろごろしていたけれど、思い切って洗濯機を回し、コーヒを一杯。冷蔵庫を開ける音を聞いて玄関の石の上で寝ていた犬のこころも起き、彼女にも冷たい牛乳早朝タイム。寝ていてもよく音を聞いています
完全に枯れそうな白いつつじの事を考えていたら昔のもみじの大木の枯れがいつだったのかと気になりねむれませんでした。パソコンの写真を調べると」9年前の2017年の3年前と書いていました、2014年の庭木の枯れ始めでした。その頃は、植木屋さんの言われるように、虫だと思っていましたが、時間を過ぎれば人為的でした。
多分その頃から私はお盆の棚経は受け入れていたが、以前からしていたお寺参りが嫌になり、今年も施餓鬼法要はスルーしていました。
やっと私の気分の原因がわかってきました。
やはり、あれがない、これがない、木が次から次と家も畑も田の盆花まで異変があったり、家の裏にはいろんなものが持ち込まれたり、滅入ることが多すぎたせいだと、確信しました。ずっと不調だった原因がやっとわかりました。
やっとお寺への行事も以前のように、お参りできそうです。
今年の棚経は坊さんの怪我の為、合同でしたが、総代さんに志を届けて、済ませていました。
やっと本来の私に戻れそうです。
時間を要したが、やっとです。
あてにならぬ自己分析に光が見えてきました。
色々おかしいと思い始めたのが、買っていたキュウリの苗3本のドロンから始まっていた。いやもっと前から軽トラに置いている手袋が使い古しに代わっていたり、其のころ、離れに住んでいて、二階にあるべき昔のアルバム写真が下の倉庫に転がっていたり、不審な事が次から次とあったことが、不調をもたらしていたのだと、納得。
だれの仕業かきずいた私に、次は花木の枯らしへとつながり、やっと原因なるものが 解った。ブログでいろいろこぼしていたことはすべて関連していて、鮮やかに解けました。もし、田6反弱、畑をしてぐるぐる舞していたら、分らなかったでしょう。もう田1反あまりに減らしたから解ってきたことでした。母なんか、殆どわかりません。父ならもっとわからなかったでしょう。私が帰るまで、よく遊びに来ていたのに、私が戻ったばかりに調子が狂ってしまったのでしょう。
多忙にしていると、見えるものも見えなくなります。
スローダウンしてきずいた私でした。
気をつけなよとアドヴァイスを受けても、何を気を付けていいのかわからず、またみな田舎の人はいい人という、単純な気持ちでいたものですから、大変でしたが、勉強でした。
もう怖い思いをしなくていいのでほっとします。
田舎のミステリーでしした。
秋に虫が鳴き始め、そろそろ秋の足音も聞こえます。
今年の秋から、本来の私に戻ります。
ゆるやかに。