どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

七人の侍(Blu-ray版)、鑑賞

2009年10月25日 19時13分09秒 | 日記
疲れと呆けた頭なんで、つまらない映画だと永遠とした長さに感じられ、寝落ち必至状態な体調なのですが、それでも最後までキッチリと観ていられる…そんな作品が「七人の侍」です(^_^) 今回もBlu-ray来たし、とりあえずちょこっと画質を確認してみる程度にしておくか…と付けたら、グイグイ引き込まれてしまい、アッと言う間に最後まで行ってしまいました(^_^;

観る度に新たな発見や感慨があるのですが、今回は米の大切さ、日本人と米の親密さ…を味わったというところでしょうか。たまたま昨日の天声人語に「ご飯と日本人は切っても切れない。だが米食民族というより、『米食悲願民族』だったという人もいる。史上ずっと混ぜ飯を食べてきたからだ。誰もが白米を腹一杯食べられるようになったのは、昭和も30年代を待ってだった」と言う一節を目にしたからなのだと思いますが。

命をかける戦いに対する報酬が、米の飯が腹一杯食えるというだけの設定。流石の勘兵衛も「余程の物好きでなければ務まらぬ」と躊躇してしまうワケです。しかしその考え方がいかに偽善的で軽んじていたものかという事に気づかされ、有名な「この飯、疎かには食わぬそ?」という台詞に結びつくワケですね。


白い米"銀舎利"は価値の高いモノであり、御上に年貢として納めるモノでしかなく、生産者である農民は滅多に口にできるモノではなかったワケで…。私の父方の祖母は岩手の農家の出身で、私自身「米は一粒残らず食べなさい」とか「疎かにすれば目が潰れる」とまで言われて育ちました。今でもお茶碗に飯粒一つ残さず食べる習慣が身についていたりします。それだけ日本人と米の関係は強いモノがある。

大切な米を何者かに盗まれてしまい、激怒した利吉が壺の底に僅かに残った米を叩きつけ、途方に暮れた与平が床にバラまかれた米粒を一つ一つ手にとって拾うシーンは胸に迫り、切なさが痛いほど伝わってきます(Blu-ray版では、白い米粒と、焼き板という独特の工程を経て丹念に作られ木目の浮き出た黒々とした床板とのコントラストの美しさを存分に味わえます(^_^))。


私は稗など食べたこともなく、どれだけ不味いのか想像もできませんが、混ぜモノがない白い米飯を普通に食べられることの有難味をあらためて感じた次第です。

ラストシーン、平和な農村に戻ったところで、生き残った三人の侍にとって既に居場所はありません。本当に強いのは農民であり、"負け戦"を実感した彼らに去る以外の選択肢はないワケです。非常に重いメッセージ性を残しつつ、"終"の文字。

何度観ても、(安易なモノではない)感動があり、いろいろと考えさせられる名作です。