同じ東大卒のエリートで、対応が180度違っている。
ご存じセクハラ事務次官と、新潟県知事。
財務事務次官の一件はテレ朝の会見で財務省に玉が投げ返された。
まさか名乗り出てこないだろうと高をくくった挙げ句の「全否定」だったろうに、こうなると様相が違ってくる。
「仕事に影響がある」ことを理由に辞任しながらも、セクハラは「完全否定」した事務次官。
まさか、己の会見後にあんなことになろうとは・・・。
繰り返し流される事務次官の会見が滑稽すぎる。
「あんなひどい会話はしない」と自分で「ひどさ」も認めてしまう凡ミス。
テレ朝の女性記者が自分の所属するメディアでなく、週刊誌にネタを渡した経緯もほぼ推察通り。
組織の論理が個人の意思を抹殺するのは相撲協会も同じ。
組織とはそういうものなのだ。
しかしながら事務次官が訴訟も辞さずと言うからには、ネタを渡した女性記者が事情聴取されるのは必至。
隠し通せやしない。
少しだけ同じオヤジ族として事務次官の肩を持つなら、ああいうエロトークをまるで「息をするように」いうオヤジはいる。
そこに本気度はあるかというと、さほどない。
つまりあの手のオヤジにとってのエロトークは時候の挨拶のようなもの。
あわよくばという思いが頭の隅に欠片もないとは言わないが、全力で口説いているワケでは100%ない。
寧ろ相手がその気になると逆にビビって何も出来なかったりする。
その程度のダメオヤジなのだ。
事務次官とは正反対に、あっさり非を認め辞職した新潟県知事。
聞けば聞くほど哀れに思えてくる。
「歓心を買うために」お金を渡す。
「歓心を買うために」プレゼントをしたり、高級レストランに連れて行ったりする心優しき男どもと、さほど違わない。
それがたまたま現金だったというだけ。
もっとも相手の女子大生の思惑は違ったよう。
毎回、金をもらった挙げ句に週刊誌にネタを売る。
誰がそそのかしたのかは知らないが、ろくな女ではない。
灘高から東大医学部に入り、司法試験まで通ってしまう超エリート。
50歳にして独身という純情オヤジの悲哀が切ない。
あの悲愴な会見は、恐らく世のオヤジどもの同情は買うだろう。
東大卒の2人のエリート。
世の中で勝ち抜く知恵や知識は持ち合わせていても、世の中とうまく折り合っていく知恵や知識はなかったということなんだろう。
財務官僚のセクハラ問題は長引きそう。
さっさと幕引きを図るかと思ったが、財務省しぶとい。
件の女性記者が名乗り出ないと踏んでの全面否定。
よほど自信があるのだろうか。
週刊誌にネタを売り渡した記者。
最後は敢然と立ち上がると思っていたが、まだ気配はない。
こうなると、記者に対する批判も出てくる。
安倍首相のお友達記者として有名だった山口某をレイプで訴えた女性のように、顔も名前も出し告発する覚悟がないなら卑怯に見えてくる。
山口某を訴えた伊藤詩織さんが、その後バッシングに遭い辛い思いもしているという現実の前に臆することもやむを得ないが、1人の人間を葬り去るのなら、それだけの覚悟があってしかるべき。
麻生が言うように、福田次官にも人権はある。
編集された音源だけで抹殺するのは如何なものか。
こういうことがまかり通れば「悪用」も可能になる。
つまりトラップも。
件の女性記者がどんな事情があったにしろ、己の所属するメディアでの告発ではなく、週刊誌にネタを渡した以上、いずれは自ら名乗り出て事実を明らかにするのがジャーナリストとしての使命だとは思う。
ただ公開された音源でとっても気になっている会話がある。
「エロくない服できました」
「その前エロいやつだったの?」
「その前はパジャマでした」
このくだりがサッパリ分からない。
前はパジャマで会ってたってこと?
サッパリ分からない。
財務省の事務次官、完全否定したらしい。
往生際が悪い。
テレビもグダグダ引っ張って、ああだこうだ。
ナンセンス。
被害を受けたとされる女性記者が口を開けば済む話。
でも名乗り出られない事情があるのだろう。
セクハラ被害は1人ではないらしい。
周辺では有名だったという話もある。
被害に遭ったのはテレビや新聞、マスメディアの女性記者。
恐らく、セクハラ事務次官の仮面を剥ぎたかったのだろうが、上層部に止められたと見るべきか。
ICレコーダーで録音し、週刊誌にリークしたのは精一杯の抵抗だったのかも知れない。
政権や財務省を敵に回したくない。
そんな上層部のスケベ心が、女性記者の告白を押し潰したのか。
事務次官の完全否定も、メディア上層部と話がついたからと見える。
さあ、どうする。
か弱きメディアのジャンヌ・ダルクよ。
正義のペンで、薄汚き野郎どもにトドメを刺せるか。
随分前に、指を舐めて紙をめくる人のことを書いたことがある。
そんな人のことを、ボクは勝手に「ペロリスト」と呼んでいる。
ボクはあれが大キライ。
自分のもになら、ご自由にである。
誰のものであろうとペロペロ舐めるのが許せない。
毎月、血圧の薬をもらうために通っている病院で目撃した。
カジュアルな格好の男性。
60代後半か。
マガジンラックの週刊文春を持ってソファに座る。
そしてペロリストの正体を現した。
舐めてはめくり、めくっては舐める。
ページの下隅は唾液だらけである(きっと)。
ああいう類いの人たちは、本屋の立ち読みでもペロリストとなるに違いない。
紙を見ればペロリストになる。
満月を見ればオオカミになるように。
この世にペロリストがどれほどいるのかは知らないが、ペロリストの残した唾液爆弾には恐ろしいウイルスが仕込まれていないとも限らない。
それが病院の待合室なら尚更である。
ノロウイルスもインフルエンザウイルスも移動し放題。
ビザもパスポートもいらない。
入国審査もない。
何と恐ろしいことだろう。
ペロリストは何故この世に誕生するのか。
テロリストが利己的な怒りで生まれるなら、ペロリストはどうやって。
テロに連鎖があるように、ペロにも連鎖があるのか。
子が親を見て育つものならば、どちらかの親がペロリストだったのかも知れない。
ならばその親はどうやってペロリストとなり得たのか。
蛙の子は蛙。
ペロリストの子はペロリスト。
テロリストとペロリスト。
どっちもイヤだな。