*~ 講堂 (国宝)~*
こちらは日本最古の庶民のための学校です。
岡山藩主・池田光政公によって
江戸時代前期の寛文10年(1670年)創建され
身分制度が厳しかった江戸時代において
庶民をはじめ他藩にも門戸を開きました。
※講堂(旧)が完成したのは延宝元(1673年)
建学の精神は儒教
孔子による論語が根底にあり
地方のリーダーを養成したいという光政公の願いでした。
*~ 講堂内で論語の勉強をする中学生たち ~*
開校以来、講堂の床に正座して論語を学ぶ姿は
旧閑谷学校の伝統でした。
今でもこちらでは論語の勉強を体験する姿が見られます。
訪れた時には、広島からやって来た中学生たちが
論語の朗誦の声を響かせていました。
~ 子曰、義を見て為ざるは、勇なきなり ~
シノタマワク、ギヲミテセザルハ、ユウナキナリ
※この一節だったかは定かでありません。
その声を聞いていると
ふっと江戸時代にタイムスリップしたようでした。
「礼節を重んじる」ことは
今の時代に甦ってもらいたい日本人の大切な心持ですね。
*~ 代々の生徒によって美しく磨かれた拭き漆の床 ~*
学ぶ心、礼節を重んじた近世の教育が
近代化の原動力となり、
現代にも受け継がれていることが認められ
平成27年(2015年)4月には
「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館、
史跡足利学校跡、史跡威宜園跡などとともに
最初の日本遺産に認定されました。
*~ 講堂と楷の木 ~*
講堂の屋根は備前焼の本瓦葺きです。
*~ 孔子を祀る聖廟と学問の木・楷の木 ~*
閑谷学校は二度目ですが、この度は
楷の木(かいのき)の紅葉を楽しみにして来ました。
楷の木は、元々日本には無かった木です。
中国山東省にある孔子の墓の周りに
弟子たちが多くの木を植えた中のひとつが
この楷の木でした。
その孔子廟から種を持ち帰り、育苗したものが
この聖廟前に移植され「学問の木」と呼ばれています。
*~ パンフレットの写真 ~*
向かって左が紅葉、左が黄葉するのですが
今年は夏の暑さで
右の木が、葉を秋まで保つことが出来なかったそうです。
一対の紅葉、黄葉を楽しみにしていましたが
残念なことでした。
現在の気候変動がここまで及んでいるとは
暗澹たる気持ちにさせられました。
遥々中国から渡って来た木です。
何とか復活出来ることを願って止みません。
*~ 二本の楷の木 ~*
葉を落とした右の楷の木が痛々しいですね。
*~ 楷の木と講堂 ~*
楷の木の大きさが分かりますね。
*~ 校舎を囲む石塀 全長765m ~*
*~ 石塀と紅葉 ~*
幅約1.8m、高さ2mのかまぼこ形
巧みに石を組み合わせ独特の塀です。
全国でも珍しいようです。
紅葉が見事でした。
周囲は山に囲まれています。
石塀があることで気持ちが更に落ち着きます。
*~ 火除山 ~*
こちらも珍しい施設です。
資料館と講堂を隔てています。
講堂が延焼しないように造られたものと思われます。
*~ 石塀と資料館前の校厨門 ~*
*~ 石塀の外から見る講堂 ~*
初めて閑谷の地に来観された光政公は
「山水閑静、宜しく読書講学すべき地」と賞賛され
この地に学校の設立を決めたとのこと。
その言葉通りの
静かで勉学に集中出来そうな雰囲気でした。
*~ 校門(鶴鳴門)~*
旧閑谷学校の正門
屋根は備前焼の本瓦葺き、棟には鯱が載せられています。
*~ 備前焼の瓦と鯱 ~*
後ろは楷の木です。
※ 参考 旧閑谷学校パンフレット
現地スタッフの説明より
続きは
資料館と論語の小道、黄葉亭などをご紹介しますね(^_-)-☆