一昨日の夜は、お月さまがとてもきれいだった。
くっきりと優美な三日月で、地球照も水晶玉のように見えた。
しばらくぼうっと眺めていたら、
昔むかし
幼い頃に、伯父に背負われて帰宅した時のことが思い出された。
野良仕事の帰りだったか、町に出た帰りだったか覚えていないが、
暗くなりかけの空に上がった月が、いつまでも自分について来るようで、
「お月さまが、あちについて来るよ、なんでついて来るの?」
そう尋ねると
「お月さまは、アッコ が好きなんど!」
と伯父が答えた。
たったそれだけの会話だったが、アッコの心は満足感でいっぱいになった。
お月さまにはそんな思い出があって、その時の伯父の言葉は、
思い出す度に、今でも私の心を温めてくれるのである。
※ あち ー 「 私 」の幼児語
なんど ー 「 なんだよ 」の方言
アッコ ー 私の愛称
~ 幼い頃は伯父宅 ( 母の実家 )に預けられていた ~
その様子はこちら
↓
「素朴に生きることは美しいこと」
こんにちは。
同じ月を遠く離れた土地から眺めていたのですね。
地球照もちゃんと写っていますね。
伯父さんの
「お月さまは、アッコ が好きなんど!」
は素敵な言葉ですね!
きっと一生忘れないでしょうね。
ロマンチストな取引先の社長さんから
「たまには夜空見上げないと駄目だよセニュ-ル」
(あ、セニュ-ルは言わなかった)
と言われ、ああそうかと眺めていましたが、
最近は・・・・・・。
越後美人さんは、よくそんなに小さい時のこと覚えてますね。僕は全然。
そうそう
いま二十歳の長男が小さい時、車の後部座席で
「おちゅきさまが、ついてくるよぉ~」言ってました。
あ~あの頃は平和でした~。
あたしも、うっかりうっかり、眺めて見惚れて、家の前でぼーっとしてました^^;
同じ月を眺めてらしたとは。
なんか、うれしいです^^♪
お月様はあっこが好き
なんて素敵な言葉でしょう。
そういう思いで育ててくださった方々に囲まれて、こんなに情緒あふれる方に育たれたのですね。
すとん、と納得、です^^
子どもの頃、思いましたもん、ねぇ。月が、どこまでもついてくるなぁ、って。
みんなが、伯父様のように答えてくださったら、子どもはだれも、素敵な大人になれますものを、と。
なんとなく、ぎすぎすした事件が多い昨今、本気で思ってしまいますよ。
はい!fukurou0731さんと同じ月を眺めていたとは、面白いものですね。
思いは違っても、良い月を見ることが出来て良かったでしたね。
地球照は、fukurou0731さんの画像には敵いませんが、
私のバカチョンカメラもちゃんと捉えてくれていました(^^♪
伯父は、さほど口数の多い人ではなかったので、こんな短い言葉でも宝物のように感じます。
一生心の中で温めていきます(^_-)-☆
そうですね、たまには夜空を眺めて、ロマンチックな気分に浸って下さいね。
でも、お住まいの都会では、お星さまやお月さまはネオンが邪魔をして
見えずらいかも知れませんね。
伯父宅でのことは、たくさん覚えているわけではなく、断片的に映像のように覚えています。
だだをこねて、走っているバスの中から、雪中に放り出されたことなど、
自分にとって都合の悪いことは覚えていないんです(笑)
ははは♪「おちゅきさま」は可愛いですね。
本当ですね、子供がそんな頃は平和でしたね~(笑)
でも、その息子さんも20歳になられて、海外で活躍されて、立派に成長されましたね。
きれいでしたね~
otikomiさんも同じ月をながめておられましたか、嬉しいですねえ(^^♪
一日忙しく過ごした後で眺める美しい月は格別ですよね。
そうですね、そんな言葉かけをしてもらって育ったので、
いつまでもその温かさが残っている気がします。
この言葉は、子供の気持ちを大事にしてくれていますよね。
小さいながらも、そんなことが分かったのかも知れません。
優しい大人の中で育ててもらって、幸せだったと思います。
本当に、現代は人の心を大事に出来る余裕が無くなって来ているようで心配ですね。
ご案内のあった過去記事も含めて読ませていただきました。
お母様のご実家で大勢の温かい人々に囲まれていらした越後美人さんの幼少期
お母様から離れた心細さなど、微塵も感じさせない大きな愛に包まれていらしたんですね!
なんてお幸せだったんでしょう♡
伯父様が素敵ですね。口数の多くない方だったそうですが
何気に越後美人さんを、そんなに満足感で満たす言葉をおっしゃれるなんてね!
ご同様に田舎の大家族を親類に持っていましたので、家族のような感覚で
育んでくれる存在の有難さを、とても懐かしく思い出させていただきました^^
過去記事もお読み頂き、有難うございました^^
本当に幸せな幼少期を過ごせたと思います。
母が会いに来て、帰る時に私が泣くといけないので、散歩に行っている間に帰ったそうですが、
母がいなくなっても、泣きもせず「馬鹿だなあ、あちが帰って来たのに!」と言ってたそうです。
後で母はそれを聞いて、安心したり、寂しかったり、複雑な気持ちだったそうです。
私はと言えば、大勢に囲まれて、結構楽しく暮らしていたようなんです。
母の実家で、祖父が病気で寝込んだ時には、更に父の実家に預けられましたが、
そこでも泣くといけないと、散歩に連れ出した間に伯父たちは帰りましたが、
泣かずにけろりとしていたのだとか。
結局、田舎の人たちは見るからに優しそうで、何の不安も感じさせなかったのでしょう。
そんなことは良く覚えていませんが、叔母たちが話してくれたので後から知りました。
もし気に入らなかったら下げますので、見ていただけたら幸いです。^^
読ませて頂きました^^
私の気持ちを、充分に代弁して下さっています。
素晴らしい記事にして頂いて、有難うございました(^_-)-☆
こんばんは
ほんのりとあたたかになれる思い出ありがとうございます
人はみな過去に優しいことば やさしい表情
暖かな雰囲気の場面に出あって成長するのですね
そんな優しいことば 思い出が多い程幸せを噛みしめてやさしく育って行けるような気がします
「お月さまはアッコが好きなんど」と言われると一生忘れませんね
できることならば生涯やさしさを育ててもらった分ほど人にやさしく接することが出来るように心掛けたいものですが
本当ですね、人は優しい言葉、優しい表情で人間らしく育っていくのだと思います。
暖かい雰囲気の中で育つことほど幸せなことは無いとも思います。
伯父のその言葉は、生きる素晴らしさも教えてもらった気がします。
はい!優しく育ててもらった恩は、これからは周囲の人たちに返していくしかないですね。
それで伯父も喜んでくれるように思います(^_-)-☆
それを、胸に刻んで覚えてる越後美人さんも、素敵です♪
otikomi さんのコメ欄では、わざわざお返事を下さり、ありがとうございました♪
いつもotikomiさん宅で、お会いしている気分でおります♪
本当にね、伯父はバリバリの田舎人でしたが、この言葉はお洒落ですよね。
伯父の優しさが、この一言にギュッと詰まっているようです。
またヤモリの季節がやって来ました。
今年も求愛されるのでは?!と恐れています(^^;
ご訪問&コメントを有難うございました(^_-)-☆
昨晩、山の帰り私も助手席で真正面に三日月を眺めていましたよ。
一日遅れでしたがとても綺麗な三日月でした。
「お月様はアッこが好きなんど!」
拝見した私も心がとても温かくなってしまいました。
素敵な伯父様のお言葉でしたね。
そして幼い頃のアッコさんのエピソード
私の家でも姉夫婦が結核で長い闘病生活を送っていましたもので
一人息子(私にとっては甥ですが私より三歳上、昔は兄弟姉妹が多かったので末っ子が生まれる前に長女の子供が先に生まれると言う例は結構、有りましたよね)
が同居しておりました。
あの頃、父は既に他界しておりましたので高度成長期とは言え母は大変な思いで育てたのではないかと思います。
当時、私は未だ小学校にも行っておりませんでしたが
姉夫婦が退院する日まで兄弟同然の日々を送ってきたのは
母の分け隔てない育て方が有ってこそなのでしょう。
アッコさんの記事を拝見しておりまして、そうした母の姿がふと思い浮かんで参りました。
そんな経験が有りましたから胸をキュンとさせながら3度も読んでしまいましたよ。
たかさんは、やはり山に行かれてましたか^^
このところ、お天気が良くて爽やかですから、山は気持ちが良かったでしょうね。
またお土産話が聞けますね♪
たかさんも美しい三日月を見られたんですね。
まん丸お月さんもきれいですが、三日月は風情があって素敵ですよね。
この伯父の言葉は、何度思い出しても伯父の優しさが感じられて、
人間っていいな♪そんな気分になります。
田舎の人で、おべんちゃらなど縁の無い人ですから、心からの言葉だったと思います。
絵のように思い出す伯父との一場面です。
そうですね、兄弟よりも兄弟の子供の方が年上ってこともある時代でした。
そして、戦後の大変な時期でしたから、預けられる子供も私だけでなく、
全国にはたくさん居たかも知れませんね。
たかさんの甥っ子さんも、お母さまの懐で大きくなられて幸せだったと思います。
家族や親族など、誰彼となく助け合って、思いやっての生活は
子供が安心して暮らせる素晴らしい環境ですよね。
仲良きことは美しきこと、ですね。
胸をキュンとさせて、三度も読んで頂き光栄です(^_-)-☆
冒頭の黒い写真よ~く観せていただくと、しっかり
したお月さま・が・凛として・・まるで
越後美人さまの細目の瞳に輝く笑顔を浮かんで
まいりました。
ロマン・と月がすばらしいですね・・まして
エニシャル入りが印象的です。
きゃあ~♪
凛とした、細目の瞳に、輝く笑顔で・・・
どんな笑顔にしたらと良いか、難しいですね~(^^♪
平安時代なら「清少納言」、安土桃山時代なら「お市の方」あたりでよろしいでしょうか(笑)
それにしても、私が「細目」とは良くお分かりになりましたね。
想像力抜群です!
はい、月はそれだけで物語が浮かびそうですが、実際の思い出が重なると、
眺める楽しみも大きくなります。
イニシャルも絵の一部で、楽しんで入れています(^_-)-☆
清少納言は、今でいうところの、お目がぱっちりくっきりした、少しウェーブのかかった御髪で、
いわゆる「現代美人」だったようですよ・・・・ひそひそ
見た目はともかく、心や才能ならば、ズバリ越後美人さん似、だと、思います、きっぱり。^^♪
以上、内緒話でした。
内緒なので、お読みになられたら削除してもかまいません。^^うふ。
紫式部によると、清少納言はチリ毛で、知識をひけらかす、お高くとまった女性だったとか・・・
細目でなく御目がぱっちりした現代美人だったとは、うかつにも知りませんでした(^^;
でしたら、その対抗馬の「紫式部」ではいかがでしょう?
それとも「紫の上」では?^^うふ。
賢くて、うらやましがられる素質十分の才女だった、と。
反対の評価は少ないですが、あたしの見たところ、あっけらかんとした、少女のようなお茶目で朗らかなふるまいもあったのでは?
当時の、油でおさえた「重い」髪質と違って、少しでもウエーブかかってたら「チリ毛」というとは、なんと、イマドキ給湯室の同僚評価にも見えてきますよね^^;
他人評価でそういうこと(ひけらかすとかどうとか)書くなんて、
紫式部、実はかなり・・・・とか、いや、なんでもありまっひぇーん。ごふぉげふぉ。
そうですね、紫の上は、少しよわっちい気もしますし。。。。
と、昔の人のことで勝手に遊ぶな、って、しかられそうです^^;;