斑鳩を出て、次は石上神宮へ向かいます。
天理教の巨大な建物が立ち並ぶ天理の町を抜け、東側の山のふもとの高台に石上神宮はあります。
この碑の文字は、富岡鉄斎によるものだそうです。
参道を緩やかに上っていくと、左側に柿本人麻呂の歌碑があります。
「未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)」
境内は、結構広く、山之辺の道の北の基点ということもあって、ハイカースタイルの人も結構います。
しかし、この神社、なんとも不思議な空気に満ちています。
伊勢の神宮と並び、記録に残る最古の神社で、古代豪族、物部氏の氏神として、ヤマト政権の軍事拠点っだったとも言われてます。が、それだけではありません。
世の中、パワースポットブームで、石上神宮もそのひとつにあげられています。残念ながらスピリチュアルなパワーを感じる能力を持っていないのですが、ここは何か他とは違うものを感じました。空気の密度が濃いと言えば良いでしょうか。
ここは、布留社とも呼ばれています。この辺の地名も布留です。
物部氏は呪術集団でもあったらしく、その呪術は現在でも継承されているそうです。そして、布留=振るは、魂を呼び寄せる呪術的意味があったといわれています。乙女が袖を振るのは、相手の魂を呼び寄せる=求婚を意味したとか。
拝殿(国宝)。
パワースポット云々ではなく、何かもっと大きな力を秘めている、とでも言えば良いでしょうか。使い方を誤るととんでもないことになりそうな。
でも、現代人にはその力を発動する能力はないのかもしれません。
ところで、ここの境内には鶏が放し飼いにされています。
東天紅という尾長鳥だそうです。
神社めぐりをしている方もそうでない人も、ぜひ一度訪れて不思議な感覚を体験してみてください。
さて、石上神宮から南下し、次に立ち寄ったのは、崇神天皇陵。丁度山の辺の道の中間あたりになります。
崇神天皇は実質、ヤマトを治めた最初の天皇とも言われています。
宮中に祭られていた天照大神を皇居の外に移し(最終的に伊勢の神宮にご鎮座)、大物主大神を三輪山に祭った(大神神社)のも、崇神天皇で、やはりそれなりの根拠があるのでしょう。
外部からやってきたとの説もありますが、個人的には、九州の邪馬台国から卑弥呼の死後にやってきた、という説が面白いと思います。
ちなみに、崇神天皇陵の前、御陵餅本舗という小さな和菓子屋さんがありますが、ここの御陵餅が非常においしかったです。
次は、その大神神社へ行きます。
(その3に続く)