師走のある日、私は朝一番に郵便局へ。ホカロンを腰に貼り、暖かくして家を出たのに
何故か無性に、風の冷たさを感じた。
携帯の受信に、50年来の親友Y ちゃんの番号が複数回記録されていた。
「Yちゃん、お久しぶり!」と折り返し電話。
「いいえ、弟です。姉と代わります」
「あの・・・・失礼ですが、かこちゃんと妹が呼んでた方でしょうか❔」
一瞬私の心に不吉な予感が走った。
「生前、妹が大変お世話になりました。一昨日、旅立ちました」
あまりにもYちゃんの声に似ているお姉さんの声。
私は冗談であって欲しいと願ったくらいだった。
彼女とは学生時代、御茶ノ水をよく歩き、よく遊び、よく学び、そして心の底から話し合える親友だった。
卒業後、函館に帰り まもなく結婚した。男の子に恵まれる。
しかし、数年後に離婚。女手一つで子供も立派に育て上げて幸せな余生を送っていた。
ある時、いつも控えめな彼女の声が弾んでいた。
「息子もやっと I 医大の助教になったのよ」電話を通して二人で喜んだことが、
ついこの間のように想い出される。
ガンだったそうだ。なんで話してくれなかったんだろう。
「函館に遊びに来て。いつでもいいよ!」と電話のたびに言っていた。
今思うと病気のことを話したかったのかなー。
色々な事を 語りたかったのかもしれない。
「北海道は寒いから、いい季節になったら行くね 」
「今度予定を作って遊びに行くね」 と同じ言葉を繰り返して何年の月日が、経っただろう。
前倒しに行動できなかった自分自身が大変悔やまれた。
師走の大掃除だって年賀状書きだって
ギリギリにならないとやらない。やる気はあるけど行動に移さない。
やる気になったら、早め早めに実行すればいいものを・・・・
わかっているのに、なんでいつも同じ事を繰り返しているのだろう?
しかし、今回は、暮れの大掃除や年賀状書きとは、ちょっと訳 が違う。
自分への心の戒めとして感じた事は、時と場合によっては、
「また」 「今度」 「そのうちに」 という後回しの気持ちではなく
前倒しに出来るような人間になることだ・・・・
「予定は未定にして、しばしば変更」ではなく、確定にしたい。
林先生の「今でしょ!」という言葉が頭をよぎった。
青春を共有した無二の親友との永遠の別れ。
前倒ししなかったばっかりに、心が哀しみに打ちひしがれ、後悔だけが残った。
現金書留封筒に遺族へのお手紙と香典を想いをこめてそっと入れた。合掌
かっちゃんでした