1990年くらいまで、大阪駅前第3ビルから第4ビルへの地下2階の連絡通路に、「銭湯」があったのをどれだけの人が知っているでしょう。
僕が学生時代に「洗い屋」のアルバイトをした時のこと。料理店の大きな換気扇の掃除なんかをすると、こびりついていた黄色い油を、頭から体中に浴びてしまいました。そういう現場が梅田などの繁華街だと、そのままでは臭くて電車に乗れませんから、銭湯に行く必要に迫られます。そういう時に、梅田のオフィス街のド真ん中にあった、この銭湯にお世話になったのです。
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その銭湯の名前は「梅田壱番湯」と言いました。連絡通路にオレンジ色の「ゆ」と書いた暖簾がかかっていました。連絡通路の上の写真の左側壁に入り口があったのです。今はその痕跡も残っていません。
この駅前ビルの一帯は、戦後は闇市街でした。
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その中に、この地図にあるように「梅田温泉」があり、この付近の再開発の立退きの際、駅前ビルに店を出すことで合意したのです。この梅田繊維街の地図と写真は、昭和30年代初期のもので、大部分のお店は新大阪駅が出来る際に、そちらに移転しました。それが新大阪の「繊維シティ」です。
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その付近にあったイーグルボウルには、1980年代にお世話になったものですが、2019年12月に解体されて、その歴史に幕を閉じました。
話しを戻して「梅田壱番湯」の規模は、大人3~4人で一杯の浅浴槽がメイン、後は電気風呂の浅い浴槽・カランが10個ぐらい・無料の立ちシャワー、という感じでした。銭湯に入ったのは、大学時代が最後だったと記憶しています。(温泉ではなく、いわゆる町の銭湯。)
部活の後で仲間と銭湯に行った時、銭湯に行ったことのない後輩がいて、銭湯での入浴マナーを知らずに、常連さんに怒られていた光景も懐かしく思い出します。