青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

昭和の阪急・池田駅前!あの頃は良かった!

2022-12-30 | 昭和・懐かしい北摂の風景

ここは阪急電車・池田駅前です。池田サカエマチ商店街前の踏切を阪急電車が通っています。奥には商店街入口が見えます。昭和51年(1976年)の景色です。

現在と比較して見ると・・

池田駅の高架化は、下り線が昭和58年、上り線が昭和59年でした。高架化以前は当然上の写真のように踏切がありました。昔は道路の両脇に歩道は無く、道幅は現在より広かったのです。写真で見ると、随分昔に比べて現在は綺麗になったものの、廃れたような気がします。

こちらは遮断機は下りていませんが、上の踏切を逆方向から見た同じく昭和51年(1976年)の写真です。この頃は本当に町に活気がありました。

既にスクランブル式交差点が出来上がっています。写真左側には池田駅前のロータリーが覗いています。駅舎はロータリー左奥にありました。

大都市周辺のいわゆるベッドタウンは、現在ではどんどん寂れて来ました。僕が30代になった頃、この辺りには家は高くて買えませんでした。駅前のマンションは「億ション」と呼ばれ、普通のサラリーマンは家が欲しければ、遥か北に向かって能勢町、豊能町(大阪府豊能郡)や、猪名川町(兵庫県河辺郡)まで行かなければなりませんでした。

猪名川町は町の政治が上手く行き、現在開けていますが、能勢町などは元々の地の百姓たちを優遇、サラリーマン中心の新興住宅地を軽んじた政治を行い、今は廃墟が多い。中でも最悪だったのは府民牧場の維持や昔ながらの小さなスーパー等の既得権に拘る余り、イオンなどの大型ショッピングセンター進出等のいろいろな儲け話を全て失ったこと。結果、そこまでして守った牧場は今は無くなっていますし、バスの本数も激減。

平成に入ってからは新興住宅地では町会長が、町会費の積立金数千万を使い込み逃げるという事件も発覚。更にダイオキシン問題が降って湧き全国的に悪名が轟き、リーマンショックによって新興住宅地を買ったサラリーマン達が次々ローンを払えず、マイホームは続々と競売物件となり、町の価値は暴落しました。歯止めが全く効かない悪夢のような町の壊滅は、能勢町の政治腐敗に原因があったのは明らかでした。

既得権にがんじがらめになった田舎には用心が必要ですが、今ではそんな所まで行かなくても、池田周辺で3千万円もあればマンションが十分購入出来ます。バブル崩壊後であっても、昔は土地神話がまかり通っていました。今の若い人たちには、便利の良い都会に、安く良い物件を購入出来る現代に、上手に立ち回って欲しいと願っています。