今ではPCは大抵の会社で、皆さんに使われています。たいていの人は自宅にPCを持っていますし、PCが無くてもスマホからインターネットにアクセス出来ます。でも、僕が働き盛りの時代には、PCはまだまだ一般に普及していませんでした。
96年の5月、僕は仲の良い友人達とゴルフに行きました。楽しいラウンド後のコーヒーの席で、彼らは何やら僕には理解出来ない話を始めました。
それがパソコンの話でした。
A氏が会社でPCを使わなければならない羽目になったので、パソコン開発者のS氏、それが趣味のI氏がPCの説明をしていたのです。自分は完全に蚊帳の外。口惜しいと共に恥ずかしくなりました。同じ社会人として遅れを取りたくないと思い、質問をしました。
「そのPCって、何が出来るの?」
「何でも!」
「本を作ったり、新聞を作ったり出来る?」
「当然。そんなの序の口」
「音楽を作曲したり、譜面をおこしたり出来たら楽なのに」
「それも出来る。メールやインターネットで通信費を安くして、海外との交流も出来る!」
「それじゃあ、まるで僕の為に発明されたようなものじゃないか?」
「その通り!」
「じゃあ、買ったら使い方を教えてくれる?」
「いいよ!」
僕もPCを購入しようとすぐに決意しましたが、いかんせんお金が無い。そこで自分のコレクションのCDや映画VTR、値打ちもののコレクターズ・レコードを惜しげも無く売り払い、思い切ってPCを購入したのです。僕は一つ新しいことにのめり込むと、それまで夢中になったものでも換金します。最初から買わなかったらいいのにと言われることも。しかし買ったものは、なぜか買った時以上の値段で売れて、毎回株のように利益を得ています。(笑)
購入したのは、富士通のディスクトップでした。
さて購入後PCを使い倒す為に、I氏に質問攻め。ところが「人に教えてもらうのは部長以上の年寄り。君は部長じゃないから自分で勉強しなさい。」とのオコトバでした。とんでもない食わせ物 いや、良き友人です。(初歩は自分で独学しましたが、高度になってくると親切に教えてくれました。)自分で学ぶ。当たり前のことです。
この直後、長年の柔道での無茶がたたり、右膝半月板及び靭帯の手術・入院のため、三カ月も会社を休むことになり、幸運?にも病院で、そして自宅でゆっくりPCの勉強が出来ました。
早速電子メールを導入。距離が離れていたり、なかなか電話連絡が出来ない友人たちとも頻繁にコミュニケーションが取れるようになり、ネットワークがますます広がって行きました。まだメールが一般化していない時期に、音楽ファイルや写真を添付して送ったり、ホームページを丸ごと圧縮して相手に送ったり、JAVAも含め、かなり最新の技術を皆で学んで楽しみました。
インターネットに接続し、ゴルフのマスターズや全米オープンの日本でのTV放送開始前に選手のスコアをリアルタイムで知ることも出来ましたし、TVに映らない選手のスコアも調べる事が出来ました。知りたい情報を真夜中でも入手。友人から受ける刺激は本当に自己啓発に繋がります。もし、あの日のゴルフが無かったら・・・考えただけで恐ろしい。人生が変わっていたでしょう。友人は大切にしなくてはなりませんね。皆いろいろな情報・知識の引き出しを持っていますから、常に刺激があります。
仕事でもPCは大活躍しました。JavaやJavaスクリプト、簡単なビジュアルベイシック、エクセルの関数などはマスターし、仕事でPCを使って業務効率を上げて行きました。ところが、「そんなものを使って、自分だけが楽をしていいのか?」という言葉を上司が口にした時、僕は転職を決意しました。誰もが躍起になってPCの使い方を覚えようと努力している時、僕の会社の部長クラスは、「そんなものは使いたくない。ワープロで十分。この歳になって、そんなややこしいものを導入したくない」と思っている人ばかりだったのです。
しかし、携帯が当たり前になった為に、家の黒電話が無くなり、電話のかけ方を学ぶ機会を失ったり、携帯メールが物心ついた時から当たり前だった為、字が下手だったり、手紙を書けない人が増えたり。PCだけに留まっていれば良いものがスマホという形になったことで、人間はかなり多くの必要不可欠なものを失っているような気がします。