大阪の北の果て、能勢町をご存知ですか?僕も1時期住んでいたのですが、「大阪のチベット」等と揶揄されもしましたが、町内全域が標高200m(天王地区は500m)地帯で大阪市内と6~10℃気温差があり、夏は涼しいものの、冬は氷点下まで冷え込むことが多い場所です。
上は平成15年の写真ですが、丹波篠山方面にも「るり渓」や「天の橋立」に抜けるのにも便利な主要道路となり、住民や観光客に大いに利用されていました。
問題はその町までの道路。国道173号線が開通したからこその場所で、それでも一庫ダムの周囲の数多くのトンネルを潜り抜けて辿り着く別天地。トンネルとトンネルを繋ぐ橋、また橋から成る道は「三国志」に登場する蜀の桟道そのものです。この国道が整備された為、田舎に家を買い不幸になった人がどれだけ多くいるでしょう・・・。
若い時、この田舎町に家を買った時は、休みの日にはゴルフ場まで車で5~10分というロケーションに、仕事を忘れました。子供たちはカブトムシやクワガタ、蛍、玉虫まで捕まえることが出来、小学校まで徒歩1時間という道のりは、彼らの足を鍛えてくれる。子供が大きくなったら家を売って、都会に出ればいいと考えていましたが、そんな話は夢物語で、この能勢地区は人生でも最悪の町でした。リーマンショックやダイオキシンの風評被害で、ローンが払えずに競売物件になる家が続出し、家は全く売れない地区です。バスも減便が進み、歳寄りは歩いてどこにも行けません。そして、現在では2022年(令和4年)4月1日過疎地域に指定されました。最悪の頭の無い町会議員たちの悪政の結果です。
僕は売れない家を能勢町に放置していましたが、勿論固定資産税はこの町を出てどこに住んでいても追いかけてくるので払いました。しかし、東京に住んでいても、この「能勢町の住民税」を払え!と言われた時は驚きました。貧乏な町なので、取れるものは何でも取ろうと言う政治です。間違いではありません。東京に戸籍を移して住み、東京で住民税を払って暮らしていても、能勢町に家があるため、その固定資産税(これは当たり前)だけではなく、能勢町の住民税も払い続けなければなりませんでした。
あの島田紳助氏は問題を起こして芸能界を去る前は、この町に大御殿を建てて住んでいましたので、つぶれかけた幼稚園を再建したりと町にかなり尽くしていました。
天王~福住間は江戸時代より「七曲峠」や「脚木摺峠」(すねこすりとうげ)とも言われて、足の脛がすれると言われるほどの急坂でした。明治43年に改修され「丹州街道」と名付けられました。
昭和58年(1983年)4月に天王トンネルが完成し、峠の中間地点までが開通。その後昭和60年に天王~福住間が開通して、一庫ダムに関連した新国道173号線の改修は完成しました。