青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

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エリック・クラプトン ~1974年・初来日ステージを振り返る

2017-05-15 | 素晴らしかった興行・イベント

クラプトンの初来日コンサートについて、思い出せるだけ書いてみたいと思います。1974年のことですから、僕も明確に思い出せません。間違いがあってもお許し下さい。

来日の度に大会場を、確実に満員にする人気は驚異的でした。そんなにも日本のファンに愛されているクラプトン。僕からすれば、「???」なのです。格闘技が好きで、格闘技イベント「プライド」を観戦する為にだけ来日していたクラプトン。自ら「世界一お気に入りのレストラン」と語る、原宿のトンカツ屋「福よし」へ足を運び、注文するのは「チキンカツ」(笑)というクラプトン。レッド・ウィングのショップに足を運び、日本限定モデルを購入するクラプトン。なぜわざわざ日本で買うのかと訊くと「センチ・サイズのmade in Japanが1番フィットするんだ。」と答える。そんな素顔のクラプトンが普通になってしまった今では、大物感が僕の中ではハッキリ言ってありません。しかし1974年の初来日から絶えず来日公演の際には、ウドー音楽事務所のTACK高橋氏にツアー・マネージャーを一任したり、とても信義を重んじる人間ではあります。

しかし、1974年の初来日コンサートは、お世辞にも素晴らしいとは言えなかった。今思い出しても、なけなしのお小遣いをはたいて行ったのに、損をした。行かなきゃ良かったと後悔した事を思い出します。(笑)僕にとって歴史的なコンサートは、1974年11月6日、大阪厚生年金会館でした。5回行われた日本ツアーの最終日でした。別にクラプトンが好きで行ったわけではなく、ビートルズを通じて親交のあった、僕の友人の兄(現在カメラマンとして活躍中)が誘ってくれたから。と言うより、彼が一人で行くのが嫌なので、僕を道連れにしたと言う方が正しいと思います。「世界3大ギターリストのうち、ジミー・ペイジとジェフ・ベックは来日したけど、今度のクラプトンが最後の1人で、1番の大物だ。その初来日は絶対に歴史に残るから行かなくては駄目だ!」と、口説かれたのです。

そこでクラプトンの経歴を調べていくと、ジャンキーで(笑)ドラッグ中毒からカムバックしたところである。待望のアメリカ・ツアー敢行。アルバム「461 OCEAN BOULEVARD」とシングル「I SHOT THE SHERIFF」が全米1位になった!そういうことが分かって来ました。コンサートの日まで、アルバム「LAYLA」を何度も聴いていました。コーラスのイボンヌ・エリマンも来るのかな?なんてことも考えていました。それほど乗り気ではなかったコンサートも楽しみになり、遂に当日を迎えたのです。チケットはLP1枚分くらい。2000円くらいだったと記憶しています。勿論1か月分の小遣いが飛ぶ金額でした。

厚生年金会館大ホールに着席し、開演時間となり「あれ?」と思ったのは、いきなり訳の分からないミュージシャンが演奏を始めたこと。前座の演奏だったのでしょうが、それが誰かは記憶にありませんが、僕の気に入るような音楽ではありませんでした。(有名になっていたらファンの方にはすみません。)この後、遂にクラプトンがアコースティックギターを抱えて、ステージに現れました。レコードジャケットと同じ髭面。大きな拍手と歓声でクラプトンは大阪のファンに迎え入れられました。当時はネットなんてありませんでしたし、東京での3回のコンサートと、前日の大阪のコンサートの情報などが既に入っている時代ではありませんでした。

ステージに登場した時から気になっていたのですが、どうもクラプトン、酒を飲み酔っているように見えたのです。曲はオープニングが「LET IT GROW」そして「CAN’T FIND MY WAY HOME」とスタートを切りました。僕が好きな曲でのスタート。そしてイボンヌ・エリマンもステージに立っていると喜んでいたのですが、周囲の観客の反応がどうもおかしい。(笑)ギター・ソロを他のメンバーが取り、派手なコーラスを二人の女性がつけているステージが続くに至り、言い方は悪いが「こんな奴、クラプトンじゃない!」という怒りにも似た雰囲気が会場を支配し始めたのです。東京でのコンサートは知りませんが、大阪では明らかな拒否反応です。

事実この時のクラプトンは酒に酔ってステージを行っており、演奏は長くダラダラとして、1曲がなかなか終わらない。「早く次の曲を演れ」 という罵声も飛びました。そして曲間にはMCは無く、代わりにイボンヌや仲間とステージ上で身内話をしているのです。完全観客無視!(笑)そして挙句には笑い声までステージ上で出る始末。そして時間が過ぎて行くのです。次の曲はいつ演るんだ?という雰囲気が会場に充満して行きます。ハッキリ行って、全く緊張感の無いステージで、後にも先にも僕が行ったコンサートには、こんなコンサートは他にありませんでした。最悪だったのです。

演奏曲は「KEY TO THE HIGHWAY」「I SHOT THE SHERIFF」「BADGE」「TELL THE TRUTH」と、そう悪くはないラインアップなのですが、中身が伴っていなかった。そして遂に曲と曲の間に、ステージでクラプトンらが(恐らく)酒を飲み、タバコを吸いながら身内で喋っているのに業を煮やした観客が叫んだのです!



「おっさん、はよせんか!」



「早く次の曲を演奏しろ!」という意味の関西弁ですが、これは大阪のファンの真の怒りの声でした。しかし、クラプトンは何と笑いながらステージの袖まで逃げて行ったのです。これには僕も観客も呆れていましたが、「クラプトンって、大阪弁が分かるのか?」という僕の声にも笑いが起こる始末。

終盤になって「LAYLA」を弾き、やっと大阪のファンも、「これが聞けたから良しとするか・・・」という気持ちになりました。それほどこの曲の時になってやっと歓声が上がったのでした。

この日のクラプトンはアコースティックギターの後は、ギブソン・エクスプローラで演奏をしていました。そう、幻のギター、ギブソン・エクスプローラの1958年製だったのです。しかもボディの1部がカットされているもので、当時の僕はそんなものには興味が無かったというか、知らなかったのですが、多くの人が「あのギターは何だったんだ?」という話を帰り道にしていたのを覚えています。

「あの当時はギブソンを使っていたよ。ギブソンの弦が切れてブラッキー使ったのが、日本でのブラッキーのデビューかな?初来日の、あの恥ずかしいコンサートの時なのは間違いないよ。メインにブラッキーを使うようになったのは、1977年の来日からだと思う。」

1976年以降クラプトンはギブソン・エクスプローラを使っていません。この理由は本人が簡単に解決していました。「ボブ・マーリィのバンドに加入した若いギターリストのジュニア・マーヴィンにプレゼントしたんだ。」とのこと。しかしその後ジュニアはこのギターを20年以上大切に保管していましたが、98年にアメリカのギター・コレクターへ売却し、現在に至っていることは確認されています。またボディの1部がなぜカットされていたのかの理由は明確になっています。このギターがニューヨークのリペアショップ「Guitar Lab」に持ち込まれた際、ボディの一部に既に修復不可能なダメージがあったため、やむなくカットされた。」と、当時のその店のリペアマンが生前証言をしています。

話がそれましたが、このコンサートでのアンコール2曲では、クラプトンはギターを持ちかえ、ブラッキーを演奏したのです。この時は特に何も感じませんでしたが、後にブラッキーがクラプトンの愛器になってからは、いいものを見れたと思うようになりました。この時のアンコールの1曲が確か「LITTLE WING」だったと記憶しています。しかし酔っ払って日本のステージに上がるなど今ではあり得ない光景ですし、今のクラプトンからは想像も出来ないと思いますが、クラプトンの初来日がこんな感じだったことを、今のファンは信じられるでしょうか?(笑)

挙句の果てはジョージ・ハリスンの妻を奪ったクセに、コーラスのイボンヌ・エリマンにも手を出していたのです。他にも女性関係は数知れず・・・。素行という点においては、女・酒・ドラッグと、クラプトンはかなりだらしがない男だったことは確かです。(笑)

 

1974年11月6日 セットリスト

 1.Let It Grow
 2.Can't Find My Way Home
 3.Driftin' Blues
 4.Singing The Blues
 5.Willie And The Hand Jive
 6.Get Ready
 7.Key To The Highway
 8.I Shot The Sheriff
 9.Badge
10.Tell The Truth
11.Steady Rollin' Man
12.Crossroads
13.Layla
14.All I Have To Do Is Dream
15.Mainline Florida
16.Let It Rain

アンコールなし



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