青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

大阪のど真ん中に飛行場があった!~靭飛行場

2021-05-08 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪のド真中。大阪市内に飛行場があったことを知る人は、今やほとんどいないと思います。御堂筋の1本西の四ツ橋筋(フェスティバルホールの前の広い道)の、本町辺りにあったのが、この靭(うつぼ)飛行場!

現在の靭公園が、飛行場だったのです。靭公園は、四つ橋筋からあみだ池筋まで、なにわ筋を挟んでの東西に細長い敷地を有する公園です。中の島と本町の間の大きな公園が、飛行場だったと聞いて、僕は子供の頃驚きました。



戦後、焼け野原になった大阪に、進駐軍が小型機用に飛行場を建設したのがここ。大阪に出て来て福島にあった会社で働き始めた親父が、こんな広い道路を作ってどうするんや?と思ったほどの、当時としては規格外の広さの御堂筋を行き来していると、飛行機が目の前の大阪のど真ん中に降下して来る。

「飛行機が墜落する!」・・・そう思って見に行くと、そこに空港があって驚いたそうです。

昭和27年にここが返還され、大阪市は現在の靭公園にしました。僕の親父の代で、大阪で若い時から働いていた人たちには常識らしい。そんなことも知らない僕らは、まさに「戦争を知らない子供たち」です。

今も靭公園に行くと、かつて飛行場であった証拠を見ることが出来ます。



当時田舎から出て来て、全てが物珍しかった親父は、友達と給料からお金を出し合って、カメラを買ってみんなが行く先々(運送屋なので)で、いろんな場所(親父が)や綺麗な女性(親父の友人が)をカメラに収めて行ったそうです。



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