青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

レンタルビデオ物語 2 ~ビデオ全盛期

2020-10-14 | 昭和・思い出は色褪せない

僕が店長として雇われた時、ビデオ店に利益をもたらすものは、新作映画と名作映画だと思い込んでいたのですが、実はこれが大ハズレでした。新作は確かに最初はよく出ます。しかしすぐに旧作に変身するのです。名作映画はコアなファンが見れば終わりです。それほど映画に詳しいお客様というのは、世間にはいないということがすぐに分かりました。

では何が利益を生むか。前回書いたようにアダルトビデオだったのです。これには当時純情な僕は驚きましたが、確かに回転がよく、次々とレンタルされて行くのです。貸出中の札がついたゴムがかけられるのは、アダルトばかり・・・。当時は馬鹿な経営者がいて、アダルトを目立つ場所に置く店もありました。アダルトは当然店の1番奥で、お客様の姿が見えないように棚を配置したものです。目立つ所にアダルトなんか置いては、子供用のビデオを借りに来る人や、女性客は入れません。そういう時代でした。

大体夜の9時を過ぎた辺りから、男性客が奥に消えていき、1人で複数のアダルトビデオを借りて行きます。単車のヘルメットを被ったまま取らない人もいれば、ろくに洗濯もしていない臭い服を着た若い男もいました。(帰った後も臭いので、カメ虫という名前で呼んでいました)その店では、借りたいビデオのケースをレジに持参し、そのケースの番号を見て、棚からビデオを出していました。ところが、返却された際に、中身が入替わっていたり、置き場所を間違えていたりで、数千本の中のどこかにその作品はあるのは間違いないのですが、なかなか出て来ない場合もありました。

しかし借りる方も中途半端に照れているので、「早くしろ!」と怒鳴ります。アダルトビデオで、過激なタイトルのものを借りる場合ほど、早く貸出して欲しいようで、いわゆる変態ビデオのケースを、カウンターの上に置かれたままにされるのが恥ずかしいのでしょう。しかし時には本当に見つからない場合もあり、「申し訳ございません。札が外れていたようで、貸出中です。」と最後の手段で収めようとすると、「どうして無いんだ!」と激怒する人もいました。大体、こういう人の多くが、教師、医師、新聞社勤務というのに、僕は非常に驚いたものです。こんな変態モノを見て、明日生徒の顔を見て何を考えるのだろう・・・と気味が悪くなりました。

当時は山本奈津子も人気がありました。


僕は本当に、ピンク産業にお金を1円も使ったことがない人間で、逆に異常と思われるかも知れませんが、アダルトビデオもエロ本も、ストリップもノーパン喫茶も、ソープランドもキャバクラも行った事がない。(ビデオ屋でこうしてバイトしていても、アダルトは見なかったし、返却されて来たビデオテープには、汚れていて触るのも勘弁してくれ!というものも結構あったのです。)こういうビデオやそういう場所は、必要悪だと分かっていても、いわゆるレイプ、痴漢、変態ビデオは行き過ぎた趣味の悪いものだろうと、店から全部撤去しました。(笑)すると、「どうしてここにはそういうビデオが置いてないんだ!」と客からクレームが出ます。置かないなら(仕入れないなら)、入会金を返せというのです。これには参りました。(笑)

そこでアダルトが無くても黒字にしてやる!と、「店長のお薦め」というシールを作って、僕が良いと思う映画に貼ったり、店に無い作品を取り寄せたり、音楽ビデオやプロレスビデオを仕入れ、他店と差別化を計りました。これによって、「あの店は・・・」と口コミで人が来るようになり、入会金が大幅に増えたのです!しかし名作目当ての客は、それを1回借りたら終わりで、リピーターにならなかったのです。リピーターは、やはりアダルト客だったのです。これにより、アダルトを全て店から追い出すという作戦は失敗に終わりました。アダルト客は毎回返却と同時に借りてくれる優良客だったのです。

基本的に予約は受け付けていなかったのですが、隣近所のお店の店主とは仲良くなり、(駐車場を共有していたりするので)便宜を計りました。そのおかげで嬉しい事に、向かいのパン屋さんからの差し入れ、隣の「小僧寿司」の主人からの差し入れ、もう1軒隣のローソンからも食事の差し入れを頂きました。これは助かりました。

しかし1度だけ「予約は受け付けない」という規則が破られる事件がありました。時代は前後する話ですが、東映の「極道の妻たち」の第1作がレンタルになった時です。

その筋としか思えない人達が、「このビデオが入ったら電話してこい。忘れんなよ」と凄んで行くので、「ハイ、分かりました。」と僕の留守の間に予約を受け付ける店員が続出したのです。「兄ちゃん、このポスターの映画な、入ったら1番に見たいから置いとけ。すぐに来るからな。」と言われても、「当店では予約は受け付けておりません。申し訳ございません。」と言うのは僕だけ。当時は暴対法なんてまだの時代だったので、チンピラが「なんやと~、表に出えや~」なんて言う事もありました。表に出て数秒で「話し合い」は終わりましたが。

しかし、大勢の気の弱い他の店員が予約を受けたので、3本しか入荷しないのに、予約は20件以上!この事態を収拾する為に、引き受けた店員には自腹を切って、他店にレンタルに行かせました。でも、こういう時に限って、予約した人より一見さんが先に来店して、「それ貸してや!」と。レンタル棚の箱にはレンタル中の札をつけてるのに、見えるところにビデオを置いていた馬鹿店員がいました。急いでダビングして、それを無料でその筋の予約客に差し出す奴もいたり。(笑)「自分で自分のケツは拭け!」と言えば、皆いろんな知恵を出すものです。

レンタルビデオ店の登場に活気づいたポルノ映画界。東映Vシネマのように、劇場用作品ではなく、ビデオ用に製作された作品がアダルトビデオと呼ばれ、毎月把握出来ないほどの数が続々とリリースされました。ちょっとタイトルを出すのがはばかれますが、「八神康子のいかせてあげる」というビデオが大ヒットしました。このビデオは30分ほどのものでしたが、この当時、ほとんどのアダルトが30分でした。この作品を出した会社が宇宙企画と言う会社で、20歳前後のアイドル並みの女の子を使った作品を作成。「まさかこんな可愛い子がこんな事を・・・」と思うような点がヒットに繋がったようです。この後アダルトでは、小林ひとみのブームがやって来るのです・・・。店員は大抵、無料でアダルトでも何でも見る事が出来るということで、募集すればいつでも集まりました。そんな時代だったのです。

しかしこの後、レンタルビデオ店には新たなドル箱が生まれます。これはアダルトすら凌駕するかという勢いがありました。そう、ホラー映画、ホラービデオです。「死霊のはらわた」と言う作品が火付け役になりました。血が飛び散るスプラッタームービーと言われる新しいジャンル名で呼ばれるようになりました。しかもこのブームは劇場よりもビデオ業界で爆発したのです。

いわゆる未公開ホラー映画と言われる、劇場で公開してもヒットしないだろうと思われ、お蔵入りしたホラー映画が続々とビデオでリリースされたのです。元々低予算で作られており、ストーリーにも見るべきものがないのですが、残酷描写や特撮だけは一見の価値がある映画が、マニアから一般にまで受け入れられたのです。また日本のスプラッターホラー映画もリリースされ、特に残酷シーンだけを売りにする「ギニーピックシリーズ」は、後にあの宮崎事件により社会的にも注目されました。

「ゾンビ」や「サスペリア」などは、まだA級と言ってもいいほどで、B級ホラーが天下を取りました。そこで僕は字幕の無い海外のホラー映画を、今度は仕入れました。何とかしてアダルトを駆逐したいと思ったのです。ホラー映画は人殺しのシーンがありますが、お化け屋敷みたいなものと思っていました。「デッドゾーン」とか「クリープショー」「悪魔のはらわた」「悪魔の墓場」という、なぜ日本盤が発売されないの?というものから、「ビデオドローム」「赤い影」「地獄の門」「血の魔術師」「血の祝祭日」「ビヨンド」「墓地裏の家」・・・

そして暇な時間帯に来るマニアには、意味が分からない部分の通訳?みたいなことをしていました。字幕なんかほとんどホラー映画には必要ないですから。(笑)それでもこのシーンは何と言っているのですか?という質問をしてくる当たりはマニアでした。(笑)

これらの作品は大当たり!僕が店長をする店は大繁盛しました。しかし問題が起きました。これらのホラーの売り物は残酷シーンの特撮ですが、大抵若い男女のカップルが追いかけまわされる。そこでボカシの入るようなシーンもある。作品の中でカップルが大抵Hをするからです。(笑)そこで税関で引っかかったのです。これは駄目ですよ・・・と。中には驚くような作品がアウトになりました。イーストウッドの「ダーティハリー」やナスターシャ・キンスキーの「キャット・ピープル」など。ロングショットだし影かヘアか分からない、ビデオの悪い画質では何が見えるんだ?というようなモノでしたが、アウト!でした。「時計じかけのオレンジ」も「シャイニング」など、スタンリー・キューブリックもアウト!今DVDでは、ボカシも何も入っていないのですから、時代は変わりました。

僕がビデオ屋を辞めようと思った「きっかけ」が、この後業界に起こりました。競争の激しいレンタルビデオ店の生き残り合戦が始まったのです。

つづく・・・

 


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