僕は岸田政権が大嫌いです。海外に金をばら撒いて、外交が得意?中国・韓国にも厳しい政策を取れず、国内における「いわれのない外国人優遇政策」も最悪。任意であるマイナンバーカードを健康保険と紐付け、事実上の強制とし、ゆくゆくは国民の個人資産にまで手を付けようとする動き。中韓への政策も甘過ぎる感が否めない。
「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく」と昔は言われましたが、今は「チャイナが熱を出せば、日本は不可解な病で倒れる」に様変わりしてしまいました。
僕は岸田さんを個人的に知りませんので、岸田さんが嫌いだとは言えない。確かに彼の話し方や態度は僕は好きではありませんが、彼の人格を貶める発言はすべきではない。だって、どんな人なのか分からないのですから。だから、岸田政権の政策は大嫌いとは言いますが、いくら公人であっても岸田さんを揶揄することはしません。
しかし、大嫌いな岸田政権よりも僕が大嫌いなのが、いわゆる「マスコミ」です。
岸田文雄首相には「増税メガネ」というあだ名までついて・・と、国民が言っているのであって自分ではないというスタンスから、岸田首相を貶める言葉を連発する。こういうことを自身がしておきながら、虐めは駄目だとか言っても、どこに説得力があるのだろう。
マスコミは公人だから仕方がないという大義名分の下に、日々、多くの人たちを誹謗中傷する。こういうマスコミの発信を受けて日々生活を送る普通の人は、知らぬ間に影響され、同じように政治家だから有名人だから公人だからは可愛い方で、ここだけの話だからとか言って、実生活でもインターネット上でも他人を攻撃する。こんな世の中で、大人が子供に虐めは駄目だとか、社会においてパワハラ、モラハラ、セクハラは駄目だと言っても説得力が無い。
何が中傷誹謗や差別になるかを理解もせず、何でもかんでも「多様性」だの「少数意見の尊重」だのと言っていると、世の中「言ったもの勝ち」になる。大多数の意見でも少数派の意見でも、間違っているものは間違っているものとして許すべきではなく、それを価値観の多様性という理屈で認めるのは大きな過ちです。
日本は本当に民度が下がり、人々の規範となるものが失われ続けています。今の時代は暴力は許されない。しかし、つい数十年前までは、本当に駄目なことは駄目だと、口を酸っぱくして説教したり、時には殴ってでも親が子供に、あるいは先輩が後輩に、友人が友人に教えて来たのが日本という国でした。そういうことが消えて行くと同時に、世の中には無残な殺人事件が急増化しています。今日も恐ろしい殺人事件で人の命が失われています。
裏金事件の当事者である政治家のような己の都合の良い理屈を捨て、何か規範となるものを人が持たないと、世の中は無茶苦茶になる一方です。それが「法」だったのですが、現在では政治家が自分たちに都合の良いことを「議員立法」として成立させています。上がこれだから、世の中の隅々まで自己都合の考えが行き届くのも当然です。
周囲の流れに委ねない自分を一人一人が見失わないことが、日本の尊厳や国益、命を失わない為に大切なことだと年末にふと考えてしまいます。